(ますます思い入れたっぷり)メアリー・ブラック物語 3

湯川先生が書いてくれたレビュー 91年
そんなわけで会社的にもメアリーを押していこうという状況が出来上がり、追加宣伝費が費やされた。その金額はここには書かないけど、まぁ洋楽にしては大変な金額だった。今から思えば、もっと効果的につかう方法があっただろうけど、なにせインターネットも個人宅には存在してない時代である。シングルカットというのをやり、かつ音楽雑誌に広告を打ち、他にやったことはライターさんたちを現地に飛ばし取材してもらい、そのライターさんたちが持っているページに露出させることで、広告以上の効果を狙う、といったものだった。今思えば洋楽バブルっぽい時代だったよね。当時各社洋楽部はこぞって取材費を出してライターたちを飛ばした。うまくすると売れっ子のライターさんだと何社か話を取り付けて、まとめて1海外出張で3、4アーティスト取材なんてこともよくあった。そんなわけで、メアリーもライターさん、5、6人に取材してもらったんじゃないだろうか。まぁ、いい時代だったよね。取材記事が出れば,アーティストもだんだん実体化していく。そして当然のことながらレコード会社としては次のステップ…来日に向けて動きだしたのだった。

当時私がいたレコード会社に一番近いコンサートプロモーターさんはシャンソン専門でほとんど外国人タレントなどプロモートしてなかったO音楽事務所だった(現在は閉鎖)。なんで必然的にO音楽事務所さんがメアリーのプロモーターとして来日の実現に向けて動きだした。正直最初のミーティングで東京はメルパルクを押さえました…と言われたときはビックラこいた。そんなにお客が来るんだろうか。でも担当のMさんと頑張ってプロモーションしたよなぁ。女同士だからよくMさんとはランチとかもしたよ。今はどこにいらっしゃるんだろう、Mさん… そして、私がFM局をあれこれ回っている中で、来日コンサートにPENTAXの冠スポンサーの話が持ち上がったのだった。

これは当時PENTAXがスポンサーしていたラジオ番組を制作していたFMサウンズという会社の藍原さんからの話だった。実名だしちゃお…(笑) 藍原さん、しばらくお会いしていないけど、お元気かなぁ。藍原さんも私の大恩人である。藍原さんが「PENTAXが冠コンサートやりたがってて、公演を探してるんだけど、メアリー、プレゼンに出してみては?」と話を持ってきてくれたのだった。そしてPENTAXの代理店の人を紹介してくれたのだ。

ところで今もPENTAXってあるのかな…と思ったら、本社は板橋区。今はブランド名だけ残しリコーに買われちゃったのね。来日中にメアリーと社長さんの会食とか数回あったんだけど、たしかM本さんといってすごく優しい社長さんだったように記憶している…そして若造の私がメアリーつれてご飯に来る、っていうのでわざわざ庶民的な店にしネクタイなしで代理店の重役さんと一緒に来てくれたこともあったな。あの時の私はちゃんとビールのお酌とかしてたんだろうか… きっとしてないだろうな(笑) 

この当時は永田町の妙に印象的なビルにペンタックスの本社があったように記憶している。で、藍原さんに紹介された代理店はK広告さん。担当は今ではソーシャルネットワークをつかいこなす元気なオジさんとして大活躍し、本もたくさん出しておられるT本さんである。今でも交流がある。

T本さんは私の熱意を買ってくれて(だから今でもT本さんには頭があがらない)とりあえずクライアント(PENTAX)には5本ばかり提案しないといけないんだけど、メアリー1押しで出してみるよ、と言ってくれた。そう…こういうもんは1押しがあって、あとは…まぁ捨て駒なのだ。悪いけど。ちなみに他の候補は今だからばらしてしまうと、ジュリア・フォーダム、アランナ・マイルズ、そしてソニーが押してたアンヌ・ドゥールト・ミキルセンだった。つまりクライアントは女性ヴォーカルでやりたかったんだね。特にFM誌での露出が強かったアンヌ・ドゥールトについては、私は異様なライバル心を燃やし、つねに意識していた。ビジュアルのつくりは向こうの方が100倍上手だったけど、歌は声が似たような感じだったけどメアリーの方が俄然上手かったからね。

ソニーのやってたミキルセン。
ふふふ、彼女は結局何回来日した?
私は最後までメアリーをちゃんと見届けるんだ!
勝ったぜ!(心の中でガッツw)
そして…ここでも通ってしまったんである。T本さんが1押ししてくれたから当然なんだけど。ここでもメアリーは本当に幸運だった。最初からホール公演が出来たのはPENTAXさんのおかげだと思う。他の落ちた候補者たちの小屋はまだ小さかったころのクアトロだったのだから。

PENTAXさんが出してくれた金額は大変なものだったが(ここには書きませんが、家が買えますよ、ハイ)、そのほとんどは名義主催をした放送局へのスポットとその放送局の放送枠を買った特番の購入にあてられた(と、このように上手く出来てるんですよ、放送局の主催事業って)。それでも冠がついて、私のいたレコード会社はO音楽事務所にたいしては顔がたったと思う。まぁ、そうだよね。やっぱり人の会社にお願いするからには、子供じゃないんだから、きちんと金銭的にサポートしないとさ…。そういうの分かってない大人,多いけど。

しかし考えてもみて。これってチーフタンズが来日する前年ですよ。そのチーフタンズだって、最初は単独公演じゃない。東京ムラムラというフェスティバルで、しかもミュージック・フロム・ザンジバルとダブルビルだったんだから。この時の白石和良さん、茂木健さん、おおしまゆたかさんの喜びようったらなかった。確かその数年前にBoys of Loughかなんかが来日して、2、3列目にしかお客がいなかった…みたいな逸話も聞いていたが、とにかく伝統音楽(じゃ、ホントはないんだけどね)のアーティストがちゃんと来日するのなんて初めてだったから。

曲はメアリーの「Water is wide」 これ今回のベスト盤に入れようと思って却下された。この曲は日本でもよくCMになったりしてるから入れたらウケる、と言ったんだけど,本人たちは気に入ってないようで…確かにアレンジといい、なんといい、やっつけ感はあるよね。



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4月23日に私がライナーを書き選曲もしたメアリーのベスト盤が出ます。