アンディ・アーヴァイン ポール・ブレイディ 5



もあわせてお楽しみください。

M(DJ)「また一緒にアルバムをつくったりしないんですか?」

A(アンディ)「是非やりたいね。やろう、ってプッシュするとしたら、きっと僕の方かも…」

P(ポール)「やってもいいけど、まずは新しい曲が揃わないと… せめて5曲はないとなぁ。今2、3曲あるけど…うーん、そうだね、曲が揃えば是非やってみたいね」

M「さて、ここで二人のバックグラウンドについて伺いましょうか。イングリッシュ・ヴォイスが聞こえるからね(アンディのアクセントのことを言っている)」

A「僕はロンドンで生まれたが、すぐ3歳半でボーディングスクールに入れられたんだ。っていっても、ほとんど記憶もないけど。すごくそれが僕の人生においてトラウマ的な事だったと思う」

P「分かるよ…」

M「まぁ、なんでそんなに小さい頃から?」

A「僕も不思議だよ。父も母もずいぶん前になくなったからね。実際のところは分からない。母は大戦前から女優をしていた。それは1つの理由だね。いつも自分が中心にいないと駄目な人だった。ステージはあきらめたけど、演じることについては諦めてなかったのさ。また父はものすごく独占欲の強い人で、僕の母を溺愛していた。僕が近くにいるのを嫌がったんじゃないかな」

M「まぁ、なんて悲しい…」

A「ははは、そういうつもりはなかったんだが…もうはるか昔のことだからね」

P「そもそも3歳半の子を送り込むことは法律で許されてたのかな?」

A「まぁ戦後の混乱期だったんだろう」

M「どうやってダブリンにやってきたの?」

A「僕は子役だったんだ。で、当時のBBCにはたくさんのアイリッシュがいた。たくさんアイルランド人の知り合いが出来て、当時すでに飲みの楽しみを覚えたんだなぁ。で、アイルランド人の飲み仲間がいっぱいいたんだ。1962年にはダブリンにやってきたよ。そしてオドノヒューズ(パブ)で、ありとあらゆる人たちに出会ったんだ。そこで本当の自分が始まったのさ。本当のアンディ・アーヴァインをそこで発見したんだ」

M「でも歌は前から歌っていたんでしょ?」

A「うん、ウディ・ガスリーとかよく歌ってた。今でもカバーアルバムをつくりたいと思っている」

P「それはぜひ実現させるべきだ」

M「ポールはストラバーン育ちよね」

P「うん、でもあそこにはなんの歴史もないな。僕と父と母は二人とも教師であそこに住む必要があった。父は南の、母は北の教員免許だったから二人とも国境のあの町に住むしかなかったのさ。ストラバーンは嫌いじゃなかったけど、それほど良く知っているわけでもなかった。学校はサイモン・ミルズの方に行ってたからね。そこは男女共学、違う宗教の子たちがすべて混ざっていた。11歳までそういう環境にいたのさ。素晴らしかったよ。そして11歳で寄宿者学校に行ったけど…デリーのセントコロンブスさ。3歳半ってことはなかったけどひどく乱暴な環境だった。最近テレビが入ってあそこのドキュメンタリー作ったけど…。まぁ、でもあの世代の親にとっては同情すべき点もあったとは思う。子供にすごく良い教育を与えないと彼らの将来はないよ、ということもあったんじゃないかな。結局僕は大学はドロップしちゃったわけだけど…」

M「ご両親は残念がったでしょうね」

P「彼女はすごくアンビバレントな気持ちを持っていてね…。彼女は僕をテレビやラジオで見かけるのが大好きだった。例えば僕が大学で優秀だったらそれはそれですごく喜んだのかもしれないと思う。でもジョンストンズで僕が有名になって活躍しているのも、ある意味喜んでくれていたとは思う」

M「お母さんとは上手くいってなかったんでしたよね?」(そういう歌をポールが書いている)

P「うん、僕たちはとても似ていたんだ(といいつつ最後には「僕はとても違っていた」とも発言しているから興味深い)。そうだね…僕らの関係は良いものではなかった。まぁ、あの曲を書く前に彼女がなくなってしばらく時間が必要だったんだけど… 彼女は僕を愛してくれたと思うし、僕も彼女を愛していた。ただ僕らはとても違う人間だったのさ」

M「亡くなる前には少し近くなれた?」

P「うーん、そうでもないな。結局のところ僕がのぞんだような関係は母とは持てなかったと言うしかない。でも父とはすごく仲良かったんだ。音楽も演劇も大好きな人で、僕が幸せでいるかぎりオッケーという人だった」

M「二人ともお母様とはうまくいってなかった、ってことかしら」

A「まぁ、僕には傷跡を残したけど、結局のところ彼女にはそれほどあってもいないんだ。僕が17歳の時に亡くなったからね。彼女に対しては気持ち的にものすごく影響を受けたという感覚が強い。サイコロジストにでも会って、記憶を引き出してもらってもいいんだが…9歳くらいまでの記憶があまりないんだ。まぁ、でもそんな事はいいんだ。もう終わったことだし」

P「僕たち二人ともすごく難しく聴こえちゃうかな…」

A「視聴者の皆さん、僕たちは今、長椅子に寝そべってゆったりしてるんです(笑)」

M「音楽ってやっぱり人が生きるのを助ける役割を担っていると思いますか」

P「そうだね」

A「本当にそうだ。それに、たぶん両親が違う人間だったら、こんなにクリエイティブな人間になっていなかっただろうと思う」

P「うん、僕も両親にたいしてフォローしなくちゃいけないな。8、9歳ごろの頃、火を囲んで家族みんなで歌ったりした記憶もあるよ。すごく楽しい思い出だ。音楽は本当に素晴らしいし、音楽によって僕らは外の世界とつながることが出来た、と思う」

A「音楽は絶対に感情の救いの場だね」

今日はこんな音を付けておこうかな…ライブ版の「ポンチャートレインの湖」4分半くらいから、ポールの歌声が強くなるのがいい。そして5分すぎからまたゆったりするのがいい。物語がいい。全部がいい。



詳細な解説のついたCDはここで買えます。

ポール・ブレイディはもうすぐ来日します。10月10日、11日 丸の内コットンクラブ。なかなか敷居が高い、という人は是非ここをお読みください。東京駅も近いし、全然大丈夫ですよ。私も時々カウンター自由席で1人で楽しく一杯やりながらライブを聞きにいきます。10月13日はおなじみ京都磔磔です。すべての詳細はここ