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2010年11月30日火曜日

ルナサ「Leitrim Equation」




ルナサの即売のCDを整理していたら、こんなCDがあったのを思い出しました。Leitrim Equation。ルナサの企画でアイルランドのLeitrim州のローカルミュージシャンが集結。素朴で心あたたまるセッション演奏中心。通常のルナサのアルバムとは大分違いますが、2枚組でアートワークが笑えます。

そういや同じ企画でダーヴィッシュもやってる、って聴いたな。あれ、どうなったのかなぁ。

このCD、もうだいぶ前にホームページの販売用に購入したのを思い出しました。在庫を確認したら,残りは約30枚弱。コンサート会場に持っていきますので、ぜひぜひお求めください。超貴重ですよ〜




ロンドン

はい、もうオフィスに戻っていますが、最後のロンドン。良かった! 何が良かったってミーティングもしたのですが、ロビン・ヒッチコックに久々にゆっくりあうことができて、話もたくさん出来て,本当によかった。ロビンは人を幸せにするパワーがある人だと思う。一緒にいるだけで、もうすっごく楽しく幸せでポジティブな気持ちになれます。

それにしてもいろいろ考えますね。グレンやロビンのいる世界は伝統音楽の世界とはだいぶ違って見える。もしかすると伝統音楽の世界はいろんな意味で幸せです。ポップスの世界は……なんか常軌を逸していると感じる時が多い。でもそんな中で私たちは寄り添って一緒に仕事をしている。ロビンもグレンもこちらでは大スター。でも日本にはプラッと遊びにきてくれる。そこが素晴らしいなぁ、と思いました。特にロビンとは何を話しても価値観がぴったりあって、本当に出会えるべくして出会ったというか……この出会いに感謝です。

早くロビンの次の来日も検討したいと思っています。

写真は上からマンチェスターからロンドンに行く電車の中より雪景色。北イングランドは超寒波だったのでした。私は全然降られなかったけど。ロンドンの地下鉄、ロビンにご馳走してもらったホタテ!(まいう!) 




2010年11月28日日曜日

スクイーズ、昨日のセットリスト

Black Coffee in Bed
Take Me I'm Yours
Annie get you gun
Loving you tonight
When hangover strikes
Hope Fell down
It's so dirty
Good bye girl
ここでなんと5人のダンス。楽しかったですよ。
Slaughtered, Gutted & Heartbroken(イェイ!)
Is this love?
Up the junction
The Knack
Model
Labelled with love
Someone else's heart
Is that love?
Hourglass
Tempted メンバー紹介

アンコール
Slap and tickle (グレン、キーボードを演奏)
Cool for cats
Another Nail
Pulling Mussels from the shell

スクイーズ@マンチェスター・アポロ

マンチェスターにやってきました。それにしても今年は北イングランドに縁があるな〜。今年2度目のマンチェスター。2ケ月にわたる大ツアー中のスクイーズです。


今日も1日けっきょく食べる時間がなく、それでもルームサービスをとったら、こんなにポッシュなフィッシュ&チップスが来ちゃいました。味はそうでもなかったけど。


会場はこんなところ。市の中心からは外れてますが、中央駅からも歩けます。


来日する二人。






どいういうところかというと、こういうお客の量なんですよ。本当にグレン、ぷらっと日本に来て100人くらいの規模の場所でやってくれるのって信じられないよね〜。京都なんて45名限定のパブですよ!

それにしてもグレン、かっこよかったなー。ホントにかっこよかった! 声はバッチリでてたし、ギターも最高だし。本当に言うことありません。

今、あまり詳しく書いている時間もないので、これで消えます。また後で。

2010年11月27日土曜日

冬のケルト音楽フェア


タワーレコード各店さん他で、ケルティック・クリスマスにともないCDフェア開催中。いろんなプレゼントも当たりますよ。詳細はこちら

リバプール。ジョン・スミスは本当にすごい。

やってきましたリバプール。ビートルズのお膝元。ちなみに前回は今年の4月に火山灰騒動で来ている。だからわずか半年ぶり。駅を出るとすぐにビートルズのiTunesのでかい看板が。すでに学生時代にミミおばさんの家もリンゴのセンチメンタル・ジャーニーのパブも、ストロベリー・フィールズもペニー・レインも観たから観光なし! っていうか、学生時代に旅は済ませておくもんだよ。大人になったら忙しいしかったるいしで観光する気になんてなれないもの。それでもなんとか1時間くらい町に出る事ができました。町はクリスマスのせいか、屋台みたいなのが沢山出て、おいしそうなお菓子が沢山売られてました。





ジョンったら、駅前のこんなすてきなホールでやるんですよ。地元とはいえ、すごい!!

今日こそ美味しいものを食べたかったのに、時間がなくってビュッフェ式チャイニーズ。でも美味しかった。しかも安い! こういうのを食べ放題でグラスワインとスパークリングのミネラルウォーターたのんで、12ポンド弱。なんて安いんだ!

外観もすてきだけどロビーもすてき。この置物(笑)、コローナズの日本盤のCDのカバーになった作品と同じアーティストじゃない?

ジョン、かっこよかった。最高にかっこよかった。本当にかっこよかった。ベーシストと二人での演奏。2010年は、このあとよっぽどルナサやラウーが頑張らない限り、ベストライブは、ジョン・スミス(ポルカドッツ公演)、Person of the yearは、アルト・ヤルヴェラに決定かな。

ジョンは本当に本物中の本物です。また絶対に絶対に絶対に呼びます。たぶんが私やって成功しなくても、いつか必ず成功するでしょう。必ずビックになるアーティストです。ジョン・スミス。2010年はやっぱりジョンに持っていかれたかも。ジョンのホームページまだ見てない人は見てね。それにしても、どうやって彼と出会ったんだっけ。自分でも忘れそうになり、ここを読む(爆)。もうジョンなしの音楽人生は考えられないなー。

ジョン、私が突然訪ねていって、すっごく嬉しそうだった。やばい、笑顔にやられそう〜っ。いいよなぁ、ジョンは。

明日はマンチェスターに移動し、いよいよスクイーズを観てきます。

2010年11月26日金曜日

ルナサ、最高でした!!! かっこいいよーーー

ルナサ!! 彼らをみるのはどのくらいぶりでしょう。多分私は1年あけてないと思いますが、本当に本当にかっこよかったです。ベースがとにかく良かったなぁ。あらためてトレヴァーの存在の重さを感じます。ルナサはベースが本当に良い。そして、超かっこよかったのが、キリアンのソロ!!!! レッド・ツェッペリン!!って感じでした。なんと4年ぶりの来日になるので、メンバーもみんなテンションがあがります。このUKツアーはあと1日で終わり、1週間あけてすぐ日本です。

それにしても今回の訪問も彼らに教えてなかったのですが、私に会ったときの驚き方といい、なんといい、ルナサは最高ですね〜。即売のCDにサインをしているのを遠くからながめていたら、まずトレヴァーが私を見つけてくれて、死ぬほどびっくりしてくれました。ケヴィンもショーンもあいかわらず。ポールもキリアンも。それにしてもキリアン、本当に男らしくって格好よくなったよなぁ。最近は顔つきもキリっとして、ますますハンサム! CDは飛ぶように売れてました。あぁ〜日本も頑張らないと!

昨日はNewcastle Under Lymeという町で(最寄りの駅はStoke on Trent)、マンチェスターとバーミンガムの間くらいにあるところです。円形劇場で普段はピーターパンとかやっている場所。なのでこんな風に変わったセッティングでした。

それにしてもルナサもラウーも、最近はちゃんとした劇場系で演奏しているので写真撮影の許可が取れなくて(もちろんパスとかもらえばいいのだけど、他人の現場で余計な迷惑でワサワサしたくないのです)、こんな写真しかなくってごめんなさい。それにしても彼ら、出世したなぁ。キリアンが特にUKは長く定期的にやれているので、少しずつ良くなる手応えを感じている、と言ってました。日本でも、もっと頻繁に呼べれば良いのだけど! プランクトンさん、またお願いしまーす!(って、まだ今回のが無事に終わってからだな)

というわけでルナサ、早くおいで〜!!

コンサートが終わったあとメンバーとマネージャーのスチュワートと一緒にホテルのバーで飲む時間が持てました。しみじみと「まだ一緒にずっとやっているなんてすごいよね」という話題に。そう、今までルナサを通り過ぎ、もう一緒に仕事してない人はたくさんいる。実際そのほとんどが消えて行った人たちかも。過去/現在/未来いろんなバンドがあるとはいえ、私にとっても「My band」(ベッキーの口ぐせ/このブログのルナサ・ストーリー参照)と呼べるのはルナサくらいしかいないかもしれません。ルナサ、4年ぶりの来日、期待しててください! 彼らは本当に素晴らしいです。

ルナサ、皆さんにお会いできるのを楽しみにしています!



ルナサのケヴィンとショーンが皆さんにメッセージをくれました。会場でお会いしましょう! 

「ハウ・アー・イ?」ってのがアイリッシュだなぁ〜♥

ラウー、昨年の映像

昨年の来日時の映像が、出張用ラップトップの中に残っていたので、アップしま〜す。(たぶん未公開部分多数あり)

英国電車の旅〜

今日はエジンバラからStoke on Trentという駅まで南下の旅。1度マンチェスターで乗り換えて、約5時間、電車に乗ってましたが、あきませんでしたね〜。景色もきれいでした。それにしても晴れ女だよなぁ〜私。エジンバラのぬけるような青空!

英国は電車の旅が良いのです。バス(というかコーチと呼びますよね、こっちでは)も安くて良いのですが、やっぱりロビン・ヒッチコックファンは電車だろ!(I often dream of trains参照)紅茶やコーヒーの車内販売も良い。椅子もラッキーだと大きなテーブル付きの4人シートにすわれます。電源もあって仕事するのにも最適!

そして、現在は「ここどこ?」みたいなホテル(というかロッジみたいな感じ)にチェックインして、ネットにつないで仕事中。メールやら何やら、ひたすら追いかけてきます〜トホホ。お昼寝したかったが、無理そう。





2010年11月25日木曜日

出張DAY1


久々の海外出張にやってきました。火山灰以来だから4月以来ということになるのかな。やっぱり英国はいい! なんか旅をするのにも楽です。これは悪名高きヒースローターミナル5。私は好きですけどねぇ。ANA(マイレージをありがとう)でターミナル3に到着し、そのままターミナル5へ。ここからBAの国内線でエジンバラへ飛びます。

小腹がすいたのでさっそくWAGAMAMAのラーメン。まいう〜。こっちくるとご飯がおいしくて、おししくて‥‥また太る。

エジンバラにLonesome Winter Moon! 

ラウー、ライブは圧巻でした。これはビザの書類を整理している彼ら。ちょうど明日申請に行くらしい。

それにしてもギャイギャイとうるさいバンドだにゃ〜

彼ら、日本に行くのを楽しみにしてくれています。なんと昨晩は新曲をやったのですが、その曲の前にエイダンが「このツアーが終わると10日間の日本ツアーに出かけるのを本当に楽しみにしている」と言っってくれたのです。うふふ。彼らもお寿司を食べることを楽しみに頑張っているのね!(あ、ちがった日本で演奏できる事、だ/笑)嬉しい! 

終わったあと会ったら、まさかあと2週間ほどで日本というこのタイミングで、私がくるとは夢にも思わなかったらしく、もんのすごくびっくりしてくれて爆笑が止まらなかった3人。あいかわらず、ものすごいウルささで、沈黙というものが存在しません。JPPのツアーとすごい違うなー。(といいつつ、JPPの演奏をはじめてみたのは、このクイーズホール@エジンバラだったよな、とちょっとシンミリしたのでした。あの時はまさか7年後に日本に呼べるなんて思ってなかったけど)

ライブのことはあまり書くと日本ツアーのネタばれになるので、書きませんが、どの曲もすごい進化をとげ、ものすごいことになっていたという事はご報告しておきます。特に「The Lang set」いったー。飛ばされたー。爆発だったー。はっきりいって、もんんんんんのすごい事になってますよ、ラウーは。以前とはまた全然違うラウー。楽しみにしていてください。これは期待ですよ!!

ラウー、すごかった!!



今日はエジンバラに来ています。ラウーを見ましたが、圧巻でした。しかしもう眠いので、消えます。明日の朝、早く起きれたらレポートします。

それにしてもよかった。ラウー、すごかった。

明日はルナサですが、5時間くらい電車に乗らないといけないので(のりかえもあるし)、もう寝ます〜

2010年11月23日火曜日

LAU - I am a lonesome Winter Moon...



ラウーのマネージャーのトムは、ラウーが売れるためには歌のトラックをプッシュするしかないと考えているみたいだ。彼によると最新作(といっても、もう古いけど)「アークライト」のリードトラックはこれ。私にいわせりゃ「フランク&フロー」とか「ホリゾンティゴ」だけどね。もちろん良い曲だが、私はラウーはインストバンドだと考えている。そして時々、歌が入る、歌が入る時はセットの中でも休憩っぽいという認識だ。ラウー自身も1曲しか演奏できない場では、必ずインスト曲を演奏する。

もっともさすがラウーで、この曲も細部に渡って非常によくアレンジされている。クリスの書いた歌詞もとっても良い。

2010年11月22日月曜日

ルナサ・ストーリー6

今でもアーティストが帰国してしまうと、ひどく落ち込んでしまう私だが、ルナサの初来日の喜びとその後のダメージは本当にひどかった。今でも自分の人生の中で、一番嬉しかった事の1つとして記憶しているルナサの初来日。

アメリカから輸入したセカンドの「アザーワールド」も好調だったルナサ。ある日、香港まで来るから、日本になんとかよれないかという話が出た。香港で公演があるのだが、週末に行われる2つの公演の間、日本まで4、5日ほど間があく。その間に日本で数日公演が作れないかという事だ。うーん、と私は困った。確かにCDは売れているから、その予算をはたいて呼ぶことは可能だけどお客さんが入るのだろうか。当時、まだ私はブーやクライブ以外に日本の公演を作ったことがなかった。バンドが自分で呼べるとは思ってもいなかった。

当然のことながら自分の尊敬するプランクトンの川島社長に相談した。最初川島さんはそれほどのっていなかったように思う。でも私は相当しつこかったし、今やどうやってそうなったのかも記憶があやふやだが、結論が出たのは、忘れもしない朝までつづいた川島邸のホームパーティ(笑)。みんなが寝てしまったり帰宅してしまったりで、なぜか川島さんと二人だけになったとき。私は「もしここでお願いしてもダメだったら、もう自分で呼ぼう」という決意を胸に川島さんに言った。「このバンドのポテンシャルがどのくらいあるのか私にも分らない。でもCDは売れているし、日本に来たらそれなりに盛り上がると思う。将来どうなっていくかは分らないが、間違いなくトレヴァーやショーンは将来アイリッシュミュージック界の重鎮になることは間違いないし,今、私としてもこの世界でやっていくなら彼らとの人間関係は決して無駄にはならないと思うのだ」「でも人の会社に迷惑はかけなられないし、誰がこのプロジェクトをやりたいんだと言われれば,それは私であって…」みたいな事を話した。そしたら、そのとき、すでにあまりにしつこい私に、川島さんはやることに決めていてくれたのか、最後の私の言葉をさえぎるようにして「そしたら、やってみましょうか」と言ってくれたのだった。あの夜明けの飲み会は、今でも、あの空気をはっきりと覚えている。たぶん朝の5時ごろだったと思う。もう外が明るかった。

いろいろ詳細を決めて、プランクトンさんは公演を作り、私がその他の飛行機やホテルの手配など基本的な事は仕込むことになった。当時まだE-ticketなんてなかったから、確か香港の彼らのプロモーターに航空券を送ったりした。(まだあの赤い文字のクーポン航空券だった!)それから今でも覚えていることの一つに地上手配のバスがある。空港から宿泊場所へのマイクロバス。これが結構高い。MUSICMANという業界ハンドブックからいくつか業者を選びだし見積もりを取った。そしたらいくつかいるトランポ会社の中で唯一、わざわざ社長が出向いて挨拶に来てくれたのが、今でもおつきあいのあるサンプラントさんなんだよねー。業界大手で大きな日本のアーティストのツアーをたくさんやっている会社だが、ウチみたいに年間さほどオーダーもしないような相手にもきちんと対応してくださる。先日もノルディックトゥリーのハーモニウム運搬でとてもお世話になったばかりだ。

そして宿泊は、今だからバラしてしまうが、なんとトレヴァーの妹さん(IT系のキャリアウーマンで東京に広い広いアパートを借りて住んでいる)が宿泊場所を提供してくれた。折しも2,000年問題で貸し布団が流行っていた後だったので(笑)、彼女は貸し布団屋さんから布団を何組も借りてきてくれた。広い家だから、まぁ6名が泊まることには問題がなかったのだが、今の私だったらバスを成田エクスプレスにしてでも宿泊を安ホテル手配するだろう。でも当時はそういうノウハウもあまりなかったし、何よりトレヴァーのベースの大きさなど楽器の量が恐怖だったのだ。妹さんの家に成田に帰る日の早朝、サンプラントさんのバスで彼らを迎えに行くと、こんな状況下の中でもしっかりジョギングしていたケヴィンが、腰に真っ白なタオルだけで出てきたのを覚えている。

それにしても今やれば、目をつぶってでも出来そうな簡単なツアーだったのに、当時の事前の準備たるや、今では考えられないくらい大変な1事業だった。何ケ月も前からいろいろ考え、想定し、何度も何度も日程表をつくりなおした。もちろんトレヴァーの妹さんは私が心配しないように、事前に自分のアパートを見せてくれたし、みんなが来たら、こんなレストランに行くのがいいと思うのと言って、二人で下見したりした。本当にありがたかった。そして名古屋! 名古屋の今井さんにもルナサは頭があがらない。日本で一番最初のルナサのコンサートは、あの名古屋のTOKUZOさんでのライブだった。今井さんが呼んでくれなければ、不可能だった名古屋公演!

そうそうケヴィンといえば、当時は新婚ホヤホヤで、新しいバンドにこうやって参加していくことに奥さんの抵抗はなかったのかなと思うが、何かのインタビューでケヴィンは答えていたね。自分は実は迷ったのだけど、トレイシーが行かせてくれたんだ、と。せっかくだから行きなさい、自分の実力を試してみなさい、って励ましてくれたんだって。だからケヴィンの奥さんには、ケヴィンだけじゃなく、ルナサのメンバー、私も全員頭があがらない。本当に偉いと思う。そんな風にバンドは、みんながそれぞれの生活を犠牲にしながら必死で運営しているものなのだ。(トレイシーは今バンドのアシスタントみたいなことをやっていて、ホームページの運営などにも関わってくれている)

一方、バンドとのこの頃のコミュニケーションはあまり詳細に覚えていない。でも香港の担当者がすごく良くって、詳細な情報をこちらに渡してくれたから出来たツアーだったと言える。それが、非常に非常に助かった。来日のビザの取得のためにパスポートのコピーを送ってもらうとか、そのテの事務作業が必要だったのだが、それをバンドに任せる事に非常に不安を覚え、わざわざバンドのロンドン公演にあわせてロンドン出張した。もちろん自腹で(笑)。CDが売れていたから予算があったんだよね。そして、そのときにルナサのマネジメントをベッキーから引き継いだ現在のマネジメント、SGOのロンドン事務所(当時)でパスポートのコピーを取ったり、メンバーにビザの申請書類を書かせた事を記憶している。ビザ申請の書類を書きながら、ケヴィンはショーンの書類をのぞきこみ「どれどれ最初の答えはショーンだな」とかいいながら、爆笑させてくれる。当時はドナもいて、ドナの声も大きかったから、ほんとにうるさくて(笑)元気で中学生の男の子の集団みたいなバンドだな、と思った。

と、書きながら思い出した、ことが1つ。私はこの日ルナサと同じホテル(というかゲストハウスみたいなところ)に泊まっていたんだよねー。スチュワートの秘書のサンディが押さえてくれたホテル。翌朝、トレヴァーが「車の中にノート忘れてたよ」と部屋に届けてくれたのを記憶している。あと何故かドナと階段のところに座って朝ご飯をぱくぱく食べたことも。あれはいったいなんだったんだろう。でもホントに一つ一つが良い思い出だ。

はっきり覚えていないのだが、スチュワートのオフィスでそんなビザの作業をしながらも、まだスチュワートが正式なマネージャーというわけではなかったようにも記憶している。スチュワートは、じゃあ日本のことね、と議題がうつった時、直接話してね、と言って、ミーティングの席をはずしてしまった(みたいな事をよく覚えてるなー私!)。しかもこの日のコンサートにも仕事が忙しいから、と会場に来なかったのを覚えている。これは想像なのだが、おそらくバンドはベッキーの素人くさいながらも熱心なマネジメントよりも、ドライだったとしてもプロフェッショナルなマネジメントを欲していたのじゃないかと。スチュワートはクリフ・リチャードの楽曲出版を管理する会社の社長で、特にバンドが好きでこれを始めましたというわけではなかったと想像する。私はそういうのについては非常に敏感な性格だったから「ベッキーだったら絶対に来るのに」とちょっとムッとしていた。でも音楽出版系のマネジメントだったら、今後、映画の音楽とかタイアップがオファーされるかもしれない、という読みもあったのかも。インストバンドにとって、これは大事な事だしね。(ちなみに誤解のないように言っておくと、スチュワートもバンドのことがどんどん好きになっていったんだと思う。今ではスチュワートなしのルナサは本当に想像できない!)

そういや川島さんと関係者数名で、ルナサの演奏をイングランドのフェスティバルに観に行ったことがあったなぁ。あれはいつの出張だったか? 初来日より前だったと思うが、もうそのヘンの記憶はあやふやである。たしか前日のロンドンFladhでルナサが演奏すると聞いて駆けつけたら,言われた時間にバンドの演奏はとっくに終わっていた。仕方なく翌日の郊外のフェスに行ったのだった。そこではブーやエディやクライヴも出演している。ブーは娘のホリーを伴ってやってきていたのを覚えている。(と、つまんない事を覚えてるなー/笑)(もう1つ覚えているくだらないこと。バンドのお土産に何をもっていってよいかわかなかった私は日本酒の小瓶を全員に1本ずつ持っていったことを記憶している。今だったら絶対にありえないのだけど!)

成田に夜の便で到着したルナサ。今でもすごくよく覚えている。懐かしいなぁ。成田の出迎えにはトレヴァーの妹さんも来てくれたのだった。

ルナサの日本で最初の公演は名古屋だった。それからプランクトンさんが作ってくれたCAYの公演。これは嬉しい事にソールドアウトになった。そして今は亡きHMV渋谷でのインストアという3つの演奏が、ルナサの初来日となった。



ケルティック・クリスマス、今年はルナサ、ラウー、ヴァルラウンの3組です。詳細はこちら

2010年11月21日日曜日

グレンの来日も、もうすぐ! 時間がすぎるのは本当に早いっ。



グレンかっっっちょい〜い! それにしてもギターも歌も最高にうまいよな、この人。スケールが違う。公演まであと2ケ月を切りました。早いなぁ。12弦でこの曲やるの珍しいかも。いつも6弦でやりますよね。

今朝は早朝、スクイーズのライブのネット中継があったのだけど、見ることが出来ませんでした〜トホホ。起きたら終わってた。また情報つかんだら、Twitterなどでお知らせします。

チケットやコンサートの詳細はこちら

2010年11月20日土曜日

休日の料理



休みの日は横やりが少ないせいか、仕事もはかどるし、料理にも力が入ります。たま〜に気がむくと、ヨーロッパ風の料理をしてみることがありますが、今日はこんなものを作りました。見た目ヨーロッパというかイギリスとか北欧の田舎の家庭料理のようですが、ポークはポン酢醤油のソースだし、向こうに見えているのは切り干し大根。一応ポン酢醤油ソースも小麦粉で煮詰めてグレイビー風にしてみましたが、味は完全に日本の味です。それにしてもマッシュポテトってなんて幸せな食べ物なんだろう。切り干し大根ともよくあう。

ヨーロッパに嫁にいくとこういう料理を作るようになるのではないか、と思っています。そんな日が来るのか?(笑)

2010年11月19日金曜日

マーティン・ヘイズ&デニス・カヒル、今夜24:00チケット発売です



それにしても来日が多い!

4月にはこの素晴らしい音楽がまた日本に上陸します。昨年のスターパインズカフェでの奇跡のような一夜をまた再び体験できるのだろうか。名古屋、京都、札幌にも参ります。札幌以外は本日売り出しですよ。どうぞよろしくお願いいたします。

来日の詳細はこちら。ワークショップもあります。

LAU LAU LAU - the best band on this planet!

Channel 4が言うとおり、絶対にこの世で一番素敵なバンドは、ラウーだ。本当にケルティック・クリスマスが楽しみ。今からケルクリの日は、この曲が良かろう、あの曲が良かろうと夢想しています。2,000人近いお客さんの前で、ぜひ実力を発揮してくれぃ、ラウー! 

日本では私がお母さん。自慢の息子たちです。私がまだBBCの賞をとる前にロンドンで見つけ、100人たらずのライブハウスでプロモ公演。ゼロから、ここをご覧いただいている皆さんが彼らを育ててくれました。ラウー。絶対に始めてみる人はぶっとぶよね。この曲は絶対だよね。あーーー,早く聴きたいっ。まったく元気がでるぜっ。



チケット残りわずか?らしいですよ。今年はチケットの動きが早いらしい。良かった。じゃないとプランクトンさんに出禁になっちゃう。詳細はこちら

2010年11月17日水曜日

食べ物と音楽




今日も営業ついでに美味しいランチを食べてきました! そしてちょっと思いついた。自分は食べ物が大好きだから、そんなところからも人脈やウチのお客さんになってくれそうな人たちとつながっていければ、と……。なんでも商売に結びつけたがるのは自営業者の悪い癖ですが、自分の好きなものだから無理無く続けられるしWHY NOT?

でも、ヘンな話、どこの企業さんでもやってもいいと思いますよ。だってどんな食べ物が好きかって、音楽のセンスや仕事のセンスにも直結しませんか?

ってなわけで、食べログというのを初めてみました。題して「ヨウコ・ヤルヴェラのレストランガイド」。タイトル、すみません、なんか匿名でやるように促す空気なんだもん、こういうブログって……ID写真はスヴェングのマスコット、ヒルパです! 

何はともあれ、ミュージシャンと食べた美味しい物とかをこちらで紹介できればと思っています。皆さんの食べログページともぜひリンクしていきたいですよね。おすすめのレストランとかありましたら、ぜひご紹介ください。スケジュールやきっかけさえあえば、ミュージシャンも連れていきたいと思っています。

今日食べたのはこれ!

ブログの右側のリンクに、ブログパーツを貼ってみましたが……ちょっとやり過ぎ???(笑)

2010年11月16日火曜日

Tempted



グレン、今度はピアノまた弾いてくれるかな〜。



次のツアーのドキュメント映像は、もう少しなんとかしようと、明日は仕事終わりにデジカメを購入しに行く予定。今まで使っていたデジカメはボッロボロ。あまりにボロくて、ハラールのツアーの時、大貫妙子さんに褒められた(笑)というシロモノ。5年は使った。修理したこともあったけど、よく頑張ってくれたぞ。またFine pixかな〜。今までボケボケ映像に我慢してくれてた皆さん、お待たせしました。次回のツアーレポートはもっとなんとかなりますよ。

グレンのチケット好調に動いています。特に東京の土曜日、京都の日曜日はもうそろそろヤバいかも。皆さん、お早めにお求めください。チラシまきもそろそろ本格的にやらないとなー! グレンの来日の詳細は、こちら

今日は……



今日は外周りの1日。まずは銀座にてランチ。うふふ、ちょっと仕事が出来る女って感じ? ねのひ銀座店。それにしても早くアルトやティッモのいない銀座になれないと……寂しいけど荒療治。このランチ、お野菜たっぷりで、めっちゃ美味しかった。

続くミーティングでは、来日中の海外の取引先と。渋谷のVIRONの2Fにて。「ミーティング続きでコーヒーを飲み過ぎた。天気が悪い日は赤ワインが良いんだ」という取引先の社長さんに誘われ,私もシードルを一杯。あま〜い。でもちゃんとオーガニックシードルで、ちゃんとしているわ、ここのフンレチ・カフェ。しかし打ち合わせ内容はとことんシビアでした。二人してお金の計算して……「うーむ、厳しい」と唸るばかり。この企画も、また流れるのか。

でもこの取引先の社長さんも「JPPみたいなバンドは後にも先にもフィンランドではあらわれないだろう」と言っていた。「エスコがマウノの跡を継いだら、もう違うバンドだと思う」「他にも伝統音楽の看板をかかげている連中は多いが、JPPは唯一無二の存在だ」という言葉にグッとくる。その最高のバンドをもうおいらは呼んじまったぜ! この後、いったい何をやれっていうのだ! 




最後はイタリアン・レストランで赤ワインをたらふく飲み、帰宅。たまにはこんな優雅な1日も良いよね。

今朝は事業仕分けのUSTを聞きながら仕事をしていた。蓮舫議員と、勝間和代さんの真剣な仕分け作業に感動する。USTだからTwitterのコメントを眺めつつ視聴することが出来るのだけど、ホント日本のネット社会って匿名で人のやる事にチャチャをいれる人たちが多いのよね。勝間さんが、ずっとチャチャをいれていた人に向かって「真剣な議論です。建設的な意見をください」ときっぱりTweetしていたのが、本当にかっこいいと思った。それにしても事業仕分け、なんだかゾンビのような官僚の連中を相手にホント大変だなと思う。いや、それが彼らの仕事だろと言われれば、それまでだけど、万が一自分がその仕事を与えられて同じように給料をもらったとしても、こんなストレス山盛りの仕事、私には出来ないな。USTを眺めながら、こちらが疑問に思うところを、勝間さんがずんずんとキリこんで行くので、ほんとうにすごいなと思ったよ。うーん,こうやって,少しずつでも世の中が良くなるのであろうか。

そういう頑張る人たちを揶揄するような事を言うばかりで、何もしない奴らは、ただ笑うかもしれない。「ファイト! 戦う君の歌を戦わない奴らは笑うだろ(中島みゆき)」実は私は日本の政治とか社会とかについてはずっと前から諦めている部分があって「将来はどこでもいいから海外に移住しよう、もう日本はダメだから」とか、「自分は子供も産むつもりもないし、日本がどうなろうと知ったこっちゃないわ」くらいに思っていた時期もあった。

でも今日ランチをした歳の離れた後輩。若い子が本当に就職が大変だという事。真剣に世の中を心配し、かつ自分がその中で何ができるのか模索している。そして一方、夜、イタリアンをした友人は、実はこれから人生の大きな転機を迎えるという事で、これからの事をどうするかなど本当に熱く語っていた。私もつられて熱く語ったよ。そんな頑張る彼女たちの話を聞いていると、やっぱりこの日本は女が良くしていくしかないよなと思うのでだった。頑張る女性はかっこいい。彼女たちに元気をもらった1日。とにかく美味しいもの食べて、がんばろー! 帰りに成城石井でドーナツを買ってしまった。ヤバい,太る。

2010年11月15日月曜日

KAN 死ぬほどかっちょいいー!!

ルナサ・ストーリー5

ファーストがそこそこ売れて、私のレーベルも順調に運営できるようになった中、ルナサからの連絡は途絶えがちになった。メルダックの担当に変わって、無理矢理ベッキーの携帯に電話をしたりしていたのだが、ベッキーはいろいろ難しい仕事が重なり、どうやら自己破産的な状況においこまれてしまったらしいのだ。それは……実はうんと後になってから具体的に知ることになるのだけど。

バンドを離れて自分の体制をたてなおさないといけない。大きな交通事故をして死にかけたから、もう自分の好きなことしかやらない、と言って、ルナサを頑張っていたベッキー。ベッキーはルナサを「my band」と呼べる唯一の存在だったと思う。でも後で聞くと、それなりにバンドとも問題もあったらしく、バンド側としても「しばらく離れた方がいいだろう」という結論になっていったらしい。未だに詳細は知らないが(まぁ、そういうのは、離婚の理由を聞くようなもんですから私もつっこんで聞いてない)、とにかく彼女の新しいバンド(しかもアイリッシュの)を立ち上げるときの苦労たるや、計り知れないものがある。だからしばらく私はどちらかというとバンド側よりもベッキーに同情的だった。

そんなわけでバンドとの連絡はトレヴァーの家へのファックスが中心となった。メールはまだそれほど普及していなかったのか、もう記憶もあやふやなのだが、当時のファックスは結構今でもキープしてある。もっともそれを懐かしく眺めるのは老後の楽しみに取っておくとして(笑)。

そんな中、ルナサのセカンドが発売になった。バンドだけになっておそらくアップアップになったルナサは、そのサンプルを私に送るという基本的な行為すらできるはずもなく(もっとも彼らによるとレコード会社にヨーコのところに送るように、とは指示はしたのだそうだ)、実は音をもらったのは当時配給をお願いしていた(今でもお願いしている)メタカンパニーさんからだった。そして非常なことにメルダックはセカンドアルバムは出せない、と言ってきた。あんなに泣く泣く息子をくれてやったのにっっ!! となると自分でやるのか?>自分? アメリカからのリリースだから輸入でやるとしたらアメリカから輸入しないといけない。今までみたいにトレヴァーにメアリーのオフィスに持っていっておいて、などと言うことは出来ないのだ。もっとも、この頃になるとすでに私は輸入通関業務についてはMSLという会社のM本さんという非常にデキる女性と出会っていたので、全世界どんなところからでも荷物を運べる自信はあったのだが。前にも書いたようにスケールを大きくしないとメリットのない輸入業務。アメリカだけでバックオーダーをさばけるのだろうか。初回はともかくバックオーダーの100枚、200枚くらい輸入しても赤字になるだけだ。ちゃんとスケールメリットを出さないとビジネスとして成り立たない。とにかく自分自身も、あまりにビジネスを広げることも乗り気ではなかった。(とか、言ってられない時代がすぐに来ることなど、この時点では全く知らず)

ルナサと契約したグリーンリネットは、もうすでに斜陽の時代を迎えてはいたものの、アメリカ発で全世界のケルト音楽を牛耳っているようなレーベルだった。ルナサはアメリカを重要なターゲットにしていたので、この契約は納得できる。が、いったい私はどこからCDを取れば良いのか。グリーンリネットはすでに日本にも何社か拠点があるらしく、たくさんのサンプルを日本のレーベルや配給会社に送りつけたらしい。が、それでもこの時期のルナサを拾う人間は、日本で私だけだったんだよね。メタカンパニーの担当者、今でもご恩を忘れないのが、深沢さん(現在では退職)がくれたルナサの「アザーワールド」のサンプル。聴いてみたら内容はもちろん良かった。私はどうしようかなーと思いつつも、深沢さんが強く薦めてくれたから、あの時やる決心がついたのだと思う。とにかく相当迷った。あと結構心を動かされたのに、Thanks Creditに自分の名前が書いてあったこと。そっか、メンバーも一応は私の存在に感謝してんだとポロっと思った。もっともビジネスセンスのあるバンドだったら、まずは自分の各テリトリーの拠点の人間に自らサンプルを送ってくるもんだろうけど、当時のルナサにはマネージャーがおらず、ほんとにアメリカとのことだけでアップアップだったに違いない。ホントこういう事はアイルランド系のバンドには非常によくある事なので、いちいち腹をたててられない。また腹をたてていては、良い音楽を失うだけである。

今でこそ日本先行発売とか仕込んでいるのだけど、当時はもうすでに私が迷っている間に、すでに店頭にはアザーワールドが並び始めていた。このときちゃんとバンド側がグリーンリネットに紹介してくれたか、それとも私が普通にグリーンリネットに飛び込みでメールしたのかは忘れてしまったが、とにかくグリーンリネットに連絡がつき、「アザーワールド」はウチ始めてのアイルランド以外からの輸入盤として取り扱うようになった。これは、今でもびっくりするくらいよく売れた。特に気の利いたプロモーションをしたわけではない。とにかく内容が良かったからだろう。4人になって、マイクとジョンがゲストとして入っている、今思えば中途半端な内容だが、何より楽曲が良い。



(6に続く)

2010年11月14日日曜日

ルナサ・ストーリー4

ルナサのファーストはおかげさまで、大ヒットという訳ではないが、それなりに売れていた。が、私はそれでもあまりバンドの将来を真剣に考えていた訳ではなかった。もちろん当時から、そりゃもう大好きではあったけれど。あいかわらずベッキーは熱心で来日させたいとしきりに言っていたけど、まだ先輩のダーヴィッシュだってシャロンだって単独で来ていない時代である。

そうこうしているうちに地味ながらもウチで出している輸入盤が売れているという評価が当時付き合いがあったメルダックの担当者の目にとまり、ルナサのCDをラインセンス契約して出したいと言うことになった。それで私は自分でインディーで配給するよりもメジャーな道を歩んだ方がバンドにとってもよかろうと、いったんメルダックに移籍(ってほどのことでもないんだけど)させたんだよね。

メルダックの担当がアイルランドまで行くというので、私も行った。もちろん自腹で。バンドへの印税前渡金もたいしたことなかったように記憶している。私は自分がダブリンに出張するくらいじゃわざわざバンド全員を呼び出したりしないのだけど、メルダックの担当が行くというので、ベッキーにお願いしてみんなに招集をかけてもらった。そしてそこで始めてバンドとちゃんと会うことになった。始めて会ったときからショーンは可愛かった。こういう赤毛のいわゆるアイリッシュって感じの子と仕事をするのは始めてだ。ケヴィンは爆発炸裂していて、お腹がよじれるほど笑わせてくれた。ドナとトレヴァーは実はその前にシャロンをダブリンの空港で見送ったときにちらっと会ったことがあったから初めましてじゃなかったのだけどね。今でも覚えているBloomsのバーで、狭いベンチソファにギッチギチに座った4人と面談って感じで向かいあった。まだ私はバンドの内部事情がそれほど飲み込めてなかったから「ジョンはどうしたの?」などと無神経な質問をしてしまったのを今でも後悔している。でも、彼らは当時から最高に騒がしくって(笑)まるで中学生の男の子みたいな集団で、とってもとっても楽しかった。

ベッキーにメルダックの担当者を紹介し、私はそれで役目を終えたと感じていた。ベッキーが「ヨーコにも何か仕事をまわしてあげて」と言ってくれたのだが、たかだかここでプロデューサー印税もらったところで、発売前後2、3ケ月拘束された上に、せーぜーギャラは合計2万円くらいだろ(笑)。そんなんじゃ、関わるだけ時間の無駄だ。なので私はベッキーに「息子の結婚式にたちあう母親みたいな気持ちでいるよ」と言ったら,その説明はわかりやすかったのか、ベッキーも納得してくれたようだ。「私も生活しないといけないから小さい仕事にかかわっている時間がない。申し訳ないけど、ここはすべて身を引いた方がいいと思う。何かあったら、もちろん精一杯助けるから」

そういえば同じ感じで手放したアーティストにブー・ヒュワディーンもいた。二つとも手放したのに、なぜかまた2つとも戻ってきた。きっとそれだけ縁があったんだろうね。

ミーティングからの帰りのタクシーで「はぁ〜終わった。これで終わった。お願いだからHさん、このバンドの途中報告はしないでくださいね。私はすべて手を離しましたから」とメルダックの担当者に言ったのを覚えている。自分なりに頑張ってきたバンドだったので、身を切られるような思いではあったけど、現実は厳しい。これ以上このバンドに私がかかわったところで、バンドにもメリットはないし、私にもメリットはない。

そして無事メルダックでルナサのファーストは発売となった。(が、途中アイルランド側に連絡が取れないだ、なんだでノーギャラの私の手を結構わずらわせてくれたのだった。メルダックの担当者には連絡をくれるなと言ったのに、何かとこっちに連絡が来るし。私も好きなバンドだからついつい断れず,くだらない事でも手伝ってしまう。いつも思うのだが、やっぱり外国人と仕事をするのはコツがいる。そして誰でもそのコツを掴めているわけではないのだ。それは今でも感じる。英語が話せるだけじゃダメなんだよね)

今、思い返してみると,一度メジャーに出したことはそのあとのルナサにとって非常に良かったことだと思っている。もちろんたいして売れず、バンドに渡った契約金はビビたるもんで、契約自体も結局は続かず、たいしたプロモーションもされず、何よりも出戻ってきてしまったし、なんってことなく終わった瞬間メジャー移籍だったけど。でも、それでも私は意味があったと確信している。このことはまた別の機会に詳しく書こうと思うのだけど。

ファーストはそれなりにソコソコ売れた。私が売った輸入盤も合計すると、トータルでかなりの数売れたんじゃないのか。ところがここでバンドを一生懸命まとめていたベッキーが、一時仕事を止めるという事態になる。

(5に続く)

2010年11月13日土曜日

ルナサ・ストーリー3

ベッキーは、新しくできたこのバンドをなんとかしようと必死だった。当時トレヴァーとドナはシャロンのバンドのバックもやっていたから、シャロンのマネジメント側とベッキーは二人のスケジュールのことで、しょっちゅう喧嘩していていた。私はどちらとも付き合いがあったので、ちょっと辛い立場だったけど、どっちかというと気持ちはベッキー側に付いていた。

ベッキーは頑張った。当時ルナサのことはアイルランドから来る雑誌にも載っていて「もっともエキサイティングな新しいバンド!」と絶賛されていたが、バンドの内部はボロボロだったと思う。「日本でもフェスティバルや大きなホールを満員に」なんていう大嘘記事もあった。いろいろ模索しながら、彼らは自分で自主制作でライブ音源を中心にあつめたファーストアルバムを完成させたのだ。

日本でも当時はまだまだレコード店も元気があった時代で、私がその数ケ月前に発足したレーベルのリリースもうまくいっていた。RUCDという番号は、当時所属していたランクアップ(RANK UP)というPR会社から由来している。ただこのレーベルの仕事を広げるつもりはあまりなかったし、これで自分が独立できるとも思っていなかったので、とにかくメアリーのところのCDだけ、地道に輸入していいければ良いと思っていたのだ。(PR会社の仕事は悪くなかったが,自分の好きじゃない音楽をプロモーションしなくてはいけないのが、地獄の苦しみだった)

何故レーベルをスタートしたのかというと、当時メアリー・ブラックがキングを離れてメルダックと契約したのがきっかけだ。当然のことながらメルダックは「ノー・フロンティアーズ」などの旧作の権利もほしがった。でもここでメアリーのマネジメントと話し合ったのは、日本のレコード会社って契約して最初の3ケ月は、まぁ面倒みてくれるけど、品切れしたら切れっぱなしで、権利だけ押さえ込んだりして、ろくな結果にならないのよね、という事だった。なので私たちは自分たちで旧譜の配給をスタートさせようとこころみた。ある日突然、アイルランドからCDが数千枚送られてきて「これ売ってよ、支払いはいつでもいいから」と連絡が来た。これがTHE MUSIC PLANTの始まりである。だから今だに私はメアリーとマネージャーのジョーには頭があがらない。当時、私はCDをどうやって配給するかなんて知識は、まったくなかったが、おかげさまでいろいろな人に助けられ、半年後にアイルランドに第一回目の支払いをしたときは本当に嬉しかったことを覚えている。

そんなわけでメアリーの事務所にやっとお金が送れるようになったころ、ルナサの話が来たのだ。輸入ビジネスというのは実はスケールメリットを考える事が大事で、あまり細分化して、細かい追加オーダーや支払いが細分化してしまえれば、それだけ利益は目減りし、ビジネス的なメリットが薄れてしまい、やる意味がなくなってしまう。

私はベッキーの頼みだったので、なんとかCDをリリースしてあげたかったが、自分では無理だと考えた。そこでメジャーレーベル数社に紹介しようとしたりしたが、どこもケンもホロロだったし、仕方がないのでウチで出してみようかという事になった。が、問題はバックオーダーなどの整備と経理だ。銀行の送金作業は1件5,000円程度かかる。こんなのをあちこちにしていたらただでさえ利益が少ないのに赤字になっちゃう、というわけで、最初はメアリーのオフィスにベッキーからCDを買ってもらうことを薦めた。私が買い取るので、ベッキーから在庫を買い取ってほしい。ところが、メアリーの事務所は、規模が大きくてビジネスもうまくいっていたことから(そしてその割に少人数で運営していたことから)こんな小さな案件には返事をくれない。もちろん社長にがんがんクレームすればやってもらえたのかもしれないけど、現場のペーペーで、でもいつも世話してくれるバカ・ポール・ヘファナン(あっ、言っちゃった)を無視するわけにもいかず、途方にくれていたのだけど、それでもやっと話がついて、トレヴァーが自宅から車でメアリーの事務所にCDを届けてくれることで話がついた。支払いはただし別々。利益が目減りするのは仕方がない。

一方の来日について。最初のルナサの来日はオーストラリアの帰りに日本による、というものだった。すでにジョンとマイケルが抜け、ショーンとドナ、トレヴァー、ケヴィンというラインアップになっていた。このヘンのラインアップについても、私は当時特にどうとも思っていなかったが、今考えても分るのは、あのマイケル・ゴールディの性格で長期的なバンド活動ができるわけがない。(だから今だにマイケルのバンドは続かない。フルックから抜けたのも非常によく分る)ジョン・マクシェリーも詳しくは書けないけど、また別の理由でツアーが出来る性格じゃない。4人になったルナサとベッキーに私はとりあえず小さなプロモーション滞在みたいなのなら作れるよ、と言った。そしてインストアをブッキングしようとしていたのだが、なにぜプロモじゃ経費がまったく出ない。当時、私はケンソーのライブや、クライブやブーのライブは作ったことがあったが、バンドの来日を自分が作れるとは思っていなかったし、自分でチケットが売れるとも思っていなかった。そうこうしているうちに、ベッキーからの「ファミリープロブラムで」と最初の日本来日は断念された。そして、結果的に、実際、彼らは日本にちらっと寄った。単なるトランジットとして。私はあんなに模索したのに、あんまりだなぁ、と思った。だからバンドに会いに成田にも行かなかった。でもあとでベッキーに電話したら「実はドナが帰ってこなくなっちゃったのよ、He is in love!」ということだった。これがバンドの最初の危機? ちなみにこのときの彼女にあてて書いたドナの曲が「Good bye Ms Goodvich」(はい、実名です。会ったこともありますが、綺麗な人でしたよ)セカンドの1曲めの曲である。名曲。

(4に続く)

2010年11月12日金曜日

ルナサ・ストーリー2

最初に彼らに出会ったのは、光田泰典さんのレコーディングでダブリンを訪れたときのこと。おそらく1998年の1月。ハーコートホテル(当時はライブをたくさんやっていた)の1Fに、その前年にドーナル・ラニーのバンドで来日していたジョン・マクシェリーが、出ているというので、興味本位で訪ねていった時。当時はバンド名もルナサとしておらず、Sean Smyth Trio featuring John McSherry and Michael McGoldrick。とはいえマイクはこの日予定していたフライトだか電車だかを逃し、4人での演奏だった。

私は時差ぼけでもうろうとしていたので、あまりこの日の事は覚えていない。それどころか疲れて途中で帰った記憶もあり。でもさすがみっちゃんは一人で最後まで聴いていたと思う。

だからルナサの当時のマネージャーのベッキーから資料が送られてきたとき「あぁ、このバンドだったらハーコートで観たよ」と返事をすぐにいれたのだった。当時はまだファックスだったのだけど。

ベッキーとはどこで出会ったかというと、クライブ・グレッグソンのマネージャーのジョン・マーティンが紹介してくれたのだ。当時私の英国エリアでの信頼できるコンタクトというとジョンくらいしかおらず、とある代理店からデパートの営業みたいなクソ仕事を受けて(それでも当時は伝統音楽の人を呼べるのなら、とてもありがたかった)そのデパートの英国フェアで演奏できるバンドを探すことになったのだ。そのブッキングをジョンにふったら、ジョンが「彼女の方が適任だし、実は交通事故で死にかけたところを復活してきたから、お祝いに何か仕事をふってあげたいんだ」という事で紹介してくれたのがベッキーだった。そのデパートのクソ営業仕事は実は流れてしまったのだけど、代理店的自体は、ちゃんとしたところだったので、キャンセル料が出た。(実はこういうの、なかなかないんですよ!)なのでそのキャンセル料を払ってあげるとベッキーはえらく感激し、私の事を信頼してくれたようだ。

と、まぁ、ベッキーとの具体的な仕事などルナサの前はその程度でしかなかった。でもデパートの営業みたいなクソ仕事でもちゃんとマメに連絡をくれるベッキーのことが大好きになった。そんなこんなで連絡をとり合っていたところに、彼女から紹介されたのがルナサだったのである。

「あ、このバンドなら観たよ」と返事をしたものの、まぁ、私に何ができるとは思っていなかった。当時の私のアイルランドでの取引先はメアリーの事務所だけだったし、たとえばウチのレコード番号RUCD001からRUCD008まではすべてメアリーのレコード会社のリリースなのだ。RUCD009のルナサのファーストは、私の始めてのメアリーの事務所以外からのリリースとなるわけなのだが、ここにいたるまでにも、まぁ、長い長いストーリーが存在する。

(3に続く)

2010年11月11日木曜日

ルナサ・ストーリー1



ルナサについて、これから数日に渡って書いていこうと思います。私がホームページを始めてから、ブログを始めてから、幾度となく書いてきたネタもありますが、まぁ新しいファンの方もいるか、と思って。

まずは1曲聴いてください。ルナサのファーストから1曲目の「Eanair」。このときのラインアップは、現在でもメンバーのショーン、トレヴァーに初代ギターのドナ・ヘナシーという鉄壁トリオ。加えてマイケル・マックゴールドリックのフルート、そしてジョン・マクシェリーのパイプという編成だった。最初から、ものすごいギター演奏と、レッド・ツェッペリンみたいなパイプの雄叫びには感動するが、後半そこにからんでくるマイクのフルートが、これまたたまらない。本当に最高の最高のバンドがここに生まれた。アイリッシュ・ミュージックでありながら、ものすごい熱い。マグマのように熱い音楽だ。それでいて、とってもクールで格好いい。マット・モロイが「ボシーの再来」と呼んだ。各メディアが絶賛した。が、アイリッシュ・ミュージックの世界はそれほど甘くない。バンドは嵐の航海へと乗り出していく。

(2に続く)

2010年11月10日水曜日

クリスマスは近い!



ケルティック・クリスマス、今年はルナサとラウーが参戦! やばい、寂しがっているヒマはない。忙しいっ。

こんなのを観ている時間はないのだが、ついつい……かっこいい!! 超かっこいいギターも歌も。ルナサと一緒にポールが来日したのはいつだったか。私の時間はあの時止まったままだ。ポールはいつだってスペシャルだ。あの時のポールの来日を超えるものを、今、私は作れているのだろうか。



うって変わって2006年のこの曲のときはめっちゃ不機嫌そう。でも演奏は素晴らしい。「メアリーと兵士」

JPP札幌FINLAND DAYS終了!

それにしてもFINLAND DAYSはすごかったですね! プロデュースしてくれた高橋さん、札幌の皆さん、本当にありがとう!


セットリストを考えるのはアルト、時々マウノとティッモの仕事。


またもや甘い物をいただき、あっと言う間に完食! ほんとにペリマンニは甘いものが好きです。

最後はワークショップ参加の皆さんもステージにあがり3曲演奏! 圧巻〜!

打ち上げはまたもや「ふる里」へ。ごちそう様でした〜。

それにしても札幌公演でのアルト巨匠のフィドルソロ@スタッフ・スミスのセットは、スッゴかった!!! またもや惚れてしまいました。かっこ良かったよ。

静かな静かなツアーでしたが、それでもバンドはやはり内側の人間関係やいろいろな事が取り巻いていて、本当に面白いよなぁ〜と思ったのでした。本当に存在感のあるマウノ。全然話はしないのだけど、すごい存在感。集合時間にも必ず10分くらい前に来ちゃうので、マウノに遅れないように頑張るのが大変でした(笑)。そのマウノを師とあおぎ、もうマウノが100%なマッティ。面白いですよー。ご飯を食べるときも、バスに乗るときも、ずっとマッティはマウノにべええええええったり。マッティは本当に性格が可愛くて、あの人の悪口を言う人を言う人は絶対にいないんじゃないか、って感じ。本当に心がピュアな感じ。やばいよ、マッティ。可愛すぎる。

そしてますます天才的なひらめきとエキセントリックなアーティストとしての危うさと美しさが同居してしるティッモ。ティッモの天使度。ますます高かったです。いや〜やばいわ。ホント。うん。一方のトッミはすごく普通の人でがっかりするぐらい(笑)。もちろんすごくいい人でしけどね。いろんなジョークとか話題とか、あまりに普通ですごく安心できた。話す声がスヴェングのヨーコ先生に似ているので彼に話しかけられるといつもドキっとする。JPP以外の他の普通のフィンランド人同様、物事にちょっとしたこだわりがあり、そこがヤワいというか。

その点、まったく物事にこだわりがなく「大事な物は音楽とエビとカニと甘いものだけ!」って感じで男らしいのがアルト。今回アルトの株はめちゃくちゃ急上昇です。ほんとどんな場面でも男らしく、かっこよく、決断力があって、行動力もあって、そして優しくて,大きくて、あぁいう男らしい人が私は大好き! いろんなことに拘らないのが本当にすごい。たとえば靴下の穴とか、フィドルの肩あてとか、フィドルのケースとか。普通、フィドルケースの中にいれるのはシルクのスカーフ的なものなのだけど、彼の場合はキッチンタオル! まさにペリマンニ。それでも内側に大事な写真やパンフレットがあって、なんか微笑ましいのでした。そしてペリマンニ文化と私をつなぐ架け橋になってくれたのがアンティ。アンティ、ホント頼りになる。いい子です。バンド運営の苦労もすごく知っている。アンティとアルトはすごく仲良しなのね。3人だけでしみじみ静かに飲みにいった日が忘れられない。翌日の朝に何かがあったりで、結局ちゃんと飲める日ってツアーが長くても、ほとんどレアで今回は2日しかなかったのだけど、それでも二人と一緒にいれて本当に良かった。

ノルディック・トゥリーはまた来日することが、もし運が良ければあるかもしれませんが、でもJPPは本当にこれで最初で最後だったかも。でもまた呼びたいな。まぁ無理だろうな。それが分っていながらやったツアーは初めてかも? やはり本当はなんらかの形でバンドを育てて行くことを前提としてツアーを作るわけだけど……何はともあれとっても複雑な気持ちで今はうまく書くことができません。またゆっくり書きます……が、引きずりたくないのも事実。これからケルティック・クリスマスもあるし、グレンの来日までもあまり時間がない。頑張らないと。

2010年11月9日火曜日

札幌オフ日


紅葉が綺麗。



残念ながらみんなの浴衣姿の写真はなし! 温泉ランチ。マウノ先生の目の前に座っちゃった!


ビールの名前と同じ札幌、サッポロ・ビール園へ。
ジンギスカンだったら、もっとおいしいところありそうだけど、まぁ、分かりやすく(笑)ラムが美味い。




本日公演は7:00PM開演。なんとワークショップで出演した皆さんもステージにたつようですよ。当日券あり!! 詳細はこちら