音楽評論家という仕事:とうようさんの死について考えた事



フレアークのこんな映像みつけちゃいました。長いです。1時間くらいたっぷり。フレアークのコンサートって地元じゃでかいシアターみたいなところでやっている。つまり大勢の人に向けての音楽だから、素人にも分かりやすいように非常に楽しい。ちなみにここに出てくる楽器全部は持ってきませんが、それでも楽器をとっかえひっかえ楽しいライブになること間違い無し! 公演まであと2ケ月。チケットはこちらで、どうぞ! 10/1(土)Star Pine's Cafe@吉祥寺。

中村とうようさんの突然の死から24時間たって、TwitterのTLや登録しているブログでの皆さんの言葉を読むにつけ思います。音楽評論家ってなんだろう、って。

そんな時、私はずいぶん前に週刊文春で宮崎孝弥さんが紹介していたデイズニー映画のエンディングを思い出すのです。以前もここで紹介したことあったと思う。映画自体は観ていないのですが、どうやら料理の映画で、最後の料理コンテストでいわゆる「評論家」の人が自分のコメントを読み上げるというシーンだったと記憶しています。それをそのまま、評価の対象を「料理」から「音楽」ということに置き換えて紹介します。ただしく覚えていないと思うけど、だいたいはこういう事を言っていました。

「自らは楽器がうまいわけでも、素晴らしい音楽を書けるわけでもないのに、安全な位置にたって人の作ったものを評価する。音楽評論家は極めてむなしい、そういう職業だ。我々はいつも忘れてはならない。我々の評論など、実際作られた作品そのものに比べたら、なんの価値もないことを。それがどんなダメな作品であっても……それにくらべたら、まったく価値もないものだという事を」

「だが、我々がリスクをかけて自らの存在を意味づける場所がある。それは自分の名誉というリスクをかけて誰も知らない無名の新人を評価し、応援し、世に送り出す時だ」


いいでしょ? 私はこの言葉が気に入っています。ちなみに我がTHE MUSIC PLANTのアーティストたちも、本当に最初はまったくの無名で、最初から広告打つなんていう芸当はできないし、リスクを持って取り上げてくれる音楽評論家&ライターの先生方がいなけえれば、まったく日本では存在しなかったものばかりなのです。特にウチみたいなとこのアーティストを応援してくれる時、音楽評論家って職業は本当に素晴らしい!!(笑)と、まぁ、手前味噌ですが…心からそう思いますよ。

とうようさんの死を「老人の孤独死」というふうに捉えている人もいるけど、そんなことないと思う。ミュージックマガジンはとっくにとうようさんの手を離れていたし、親しい人だけに送られた遺書、葬式はしないでくれという言葉、自分のコレクションを大学に寄贈し、79で自らの命をたつ…という、ある程度自分の思い通りに書いたシナリオだったのではないか……と勝手に思うわけです。これがとうようさんの美学だったんでしょう。

まぁ、でもとうようさんのことを良く知らない私が書いても説得力ないよね。分かりません。実際は。ただ今日は業界全体がなんとなくドヨーンとしているので、思い切って書きました。

先輩に自死されると、業界全体が見捨てられた気分になるかもしれませんが……音楽はずっと存在するし、リスナーの存在もずっとありつづけます。そのどちらか(もしくは両方)をちゃんと応援しているかぎり、私たち音楽を仕事にする者も、その居場所を見つけ続ける事ができると信じています。元気にがんばりましょう!


PS
マーティン・ヘイズのTVでの反響。コンサートチケットはすべてウチの事だから良いとして、CDはせっかくプロモーションしてもライナー付き日本盤以外、AMAZON界隈の並行輸入の連中に美味しいところを持っていかれるんだよな……とグチる時間があったら、自分のところのHPをちゃんとせい!(笑) というわけで、マーティンのCDショップのページを更新しました。今なら私がすぐ発送しますよ〜ん。