ポール・ブレイディ来日までの道のり7:ロック・シュター

(正式な)2回目の来日は、ポールの新作を聞いたプランクトンの川島さんがケルティック・クリスマスでポールを呼ぼう!と言ってくれたのがきっかけだった。この時もやはりいろいろなリスクを考え、たったの2公演。たった2公演でも本当によく作れたと思う。ポールは2公演のためにまたはるばるやってきてくれた。ファンの皆さんは、よく大阪来てくれとか、札幌に来てくれとか、なんで名古屋を飛ばすのか言ってくるけど、ホントに公演をやるのは大変だ。私たちだってやりたいと思っている。一番やりたいと思っているのはアーティストであり私たちだ。でもそれをお客さんに分かってくれ、ってのは無理だよねー。でもせめて単なるお願いじゃなくって、私がチケット50枚買いますから何とかなりませんか…くらい言ってくれないもんかなーと、このインターネットですべてがフラットなこの時代に厳しいことを思ったりしてみる。ま、いや、無理ですよね、普通のお客さんに、それを求めるのは到底無理だよね。でも、そうやって具体的な行動を起こさない限り自分の思い通りに世の中は動かないんですよ、と言う事なんです。あ、またこれも厳しすぎ?(笑)まぁ軽く聞いておいてください。

でもウチのお客さん名簿を見てみると、熱心なお客さんたちが、本当にビックリするほど遠くから来てくれてるんだよね。で、そのお客さんたちの苦労や努力が「来てくれ」って言うだけのお客さんの努力より少ないとは、とても思えないのだわ。本当にみんなすごく無理して遠くから駆けつけてくれている。だから本当に遠くから来てくれるお客さんには大・大・大感謝だ。あなたのその1枚が、コンサートの実現を可能なものにしているっていう事を、いつまでも強く自覚し、うんと誇りに思ってもらえたらと思う。そしてアーティストも私も本当に本当にいつも感謝していることを忘れないでいてほしいと思う。

でも、あの時も、ホントたった2公演だったけど、ポールは素晴らしかったね。そして、あの時、私が一番感謝しなきゃいけないのはルナサだ。自分のグループ、アーティストが2組同時に来る時の辛さは…想像していただくしかない。本当にルナサと離れているのは、心が痛かった。今まで来日したのは、5回?だっけ? 4回だっけ? 空港から空港まで。ルナサは今までは来日したら私が離れている瞬間なんか一度も無かった。でもポールの場合、やっぱりアテンドを出来る人が他にいないんだよね。ケルクリの大きな公演が終わった翌日、ポールが渋谷のホテルに移動をする日、ルナサたちはバスで茨城の方の公演に向かう日だったと思う。ちょうど私とポールがタクシーに乗ると、彼らはプランクトンの野本さんに先導されてバスに乗り込むところだった。「ちゃんと野本さんの言うこと聞いて、いい子にしてるのよーっっ」と私がタクシーの窓から身をのりだして叫んだら、ポールは笑ってた。I'm very very worried! そしてポールが帰国した日。私は成田でポールを見送り、ルナサが公演をやっている兵庫へすっ飛んで行った。ロビーにプランクトンの人たちがいて「おつかれ様! ホントによくやったね」と声をかけてくれて、席まで用意してもらって、私はしっかりお客さんとしてルナサの勇姿をみることが出来た。楽屋にいったら、みんなが声をかけてくれた。みんながポールのソロ公演のことを心配し、ポールのことを心配し、私のことを心配し、そして温かく見守ってくれていたのだ。うううう、、、涙。ありがとう、ルナサ! 

その後のルナサの来日もケルティック・クリスマスだったけど、デンマークのヴァルラウンや、新参者のラウーもいる中で、ルナサが本当によくステージ全体のことを考えて行動してくれていて、本当に私は誇らしかった。本当に本当に大人になったルナサ。フェスティバルのメインビルがやれるというのは、そういう事なんだと思う。いろんなアーティストが一カ所に集うというのは、大変なことだ。みんな表面上はニコニコとしているが(ニコニコすらしない連中もいる!)、実際はエゴとエゴのぶつかりあいだ。だから、自分のことだけではなく、ちゃんとイベント全体を見て、お客さんの方向を見て行動できるアーティストじゃないとメインビルは勤まらないのだ。その点、本当にルナサはよくやってくれた。

話がそれた。さて、ポールと渋谷のホテルについて、それからどういういきさつだったか忘れたが、ずっと二人で表参道まで散歩することになった。ポールは散歩が好きみたいだ。タクシーで行かなくて大丈夫?と聞くと歩く方がいいんだ、と言う。私も歩くのは大好きだからちょうど良かった。あれは楽しかったなー。あ、そうだ、ポールがイッセイ・ミヤケ(外人が言うとミヤキになる)に行きたいって言ったんだ。だからあっち方面に行ったんだった。ポールの買い物に付き合い、道を歩きながら、ちょうど青山の子供の城あたりに来た時だったかなー。メアリー(妻)もショッピングが好きなんだという話になったから、奥さんは何をショッピングで買うの?と言ったら、ポールはちょっと考えて「靴かなぁ」というから、「それはロックスターの妻としては正しい」と私が言ったら、ポールはそのジョークが気に入ったのか爆笑して「ロック・スターはロック・スターだけど、アイリッシュだからロック・シュターだ!」と言った。スターじゃなくてシュター。そこから何かというとロック・シュターというジョークが私とポールの間で定着したのだった。

シュって、アイルランド人はよく言う。シュターバックシュとか、そういう感じ。スノッブじゃなくってシュノッブ。ロック・スターじゃなくて、ロック・シュター。ちなみにポールによると綴りはhを入れるだけで良くって、shtarと綴るのが正しい。……っていうか、シュってのは、その前からあったんだわ。ルナサのケヴィンが生粋のクレア訛りで、あいつはバーミンガム生まれのくせにクレアのアクセントしているってのが、まずあって、シュターバックシュ(スターバックス)ってケヴィが言うのを真似するのがツアーの中、流行ってたんだよ…確か。そういう伏線もあったんだと思う。ロック・「シュ」ター。

そういえば、いつだったか私が「猿の惑星最高!もう人間はだめだ!地球は猿にルールさせろ」と興奮してfacebookのステイタスに書いたら、ポールは「でも人間は歌えるじゃないか。音楽を作ることが出来るじゃないか。ロック・シュターにもなれるじゃないか」とコメントしてきた…爆笑。

というわけでロック・シュターが最もロック・スターだったモーメント。ゲイリー・カッツのプロデュースでLAで録音されたアルバムから。