ポール・ブレイディ来日までの道のり20:プランクシティ

ポールが伝説のバンド、プランクシティに在籍していたのは、実はあまり知られていないのかもとふと思った。というのも、ポールが在籍していた頃のレコーディングが一切ないからだ。今みたいにインターネットもないから、CDが…じゃないレコードがリリースされない限り、遠い日本で認知されるチャンスなどまるでない。とはいえ、プランクシティは英国系の普通の音楽雑誌や新聞などでかなり頻繁に取り上げられていた。

プランクシティは本当に大変だったらしいけど、表面上は非常に成功しているバンドで有り続けました。ケンブリッジ・フォーク・フェスティバルでは12,000人のお客さんの前で演奏したそうです。英国中を周り、そしてその様子はメロディ・メーカーなどがとても高く評価していました。ちなみにガーディアンなどは「ホースリップスは最新作で商業主義に走った。この新しいバンドは、そういった危険を大きく超えた場所にいる」とプランクシティを紹介したそうです。かっこいいね(笑)

ポールいわく「僕らは通常のフォーク・ミュージック以上のものを作りたいといつも考えていたのだけど、日々の雑事に追われ、なかなかいろいろ整えたりする時間がなかった。それでも僕らの音楽に惹かれて、新しいフォーク・ファンではないお客さんがたくさん来ているようだった」と話しています。

リアム・オフリン「人々がダンスしたり手拍子したりしている時って音楽を聴いてくれてないんだよね。それは何か別の物を得ようとしている時だ。僕らの音楽はもっと“聴く為のもの”だった」←これすごい分かる。本当に聴いている時、お客さんは手拍子をしたりしない。

再びポール「僕らは真面目で厳粛なものをつくりたいわけじゃないんだけど、だからといって、ただの飲んべえのグット・タイム・フォーク・グループにはなりたくなかった。フォーク・クラブ的な楽しいMCもありつつ、でもちゃんとした音楽を届けたかったんだ」

このヘンの当たりがチーフタンズの「アイリッシュ音楽をステージにのせる」というコンセプトと非常に似ていて、でも非なるものだということを表してますよね。ここが、まさに、アイルランド音楽が進化を遂げた瞬間だと思う。やっぱりプランクシティはすごい。

そして、またこれがクリスティ・ムーアの「いわゆるベラベラしゃべってお客さんを楽しませるミュージシャン」と、ポールとのステージ上での態度の大きな違いとも言えるわけです。

いずれにしてもポールは楽しいだけじゃない、音楽的にも充分練られたものをステージに持っていきたかった。でもなにせ時間がまったくない。とはいえプレスの評価はものすごかった。SOUNDという音楽新聞は「ブリテンで一番素晴らしい伝統音楽のグループ。全ロックバンドがこのバンドをうらやましがるだろう」。メロディーメーカーはメンバー全員のインタビューを大きく掲載したそうで、その注目ぶりが分かります。

このヘンの英国プレスの盛り上がりは、90年代になって私がアイリッシュミュージックと初めて出会った頃の興奮を彷彿させます。だからすごくこの気持ちが分かる。アコースティックなのに、こんなにロックっぽい。そしてこんなに熱い。こんなにカッコいい、こんなにソウルがある!ってね。

75年バンドはドイツをツアーします。この頃のステージのスタイルは、だいたいソロセットで構成されていたんですって。最初にリアムがまったくのパイプソロを聴かせたあと、ポールがステージにあがりソロ。次にアンディ、ジョニーのソロと続き、最後に全員で演奏。そんなスタイルだったのだそうです。バンドは大変だったけどアンディは当時友人にあてた手紙で「本当に大変だけど、いろいろ進化していきているし、きっと僕らはもっとビックになれると思う」と綴っています。

その年の10月、バンドは再び英国ツアーへ。しかしここで税金やら何やらややこしい問題が発生。つまりマネジメントがまるでなってなかったのだと思われます。バンドは経済的に窮地に建たされます。当時のバンドのドライバーを勤めた人の証言では、みんなすごく仲良しだし、良い人たちだった。特にアンディは本当に親切にしてくれたけど、とにかく彼等は全員ミュージックビジネスのゴタゴタには辟易している様子だった、と。そして第一期プランクシティの最後のツアーはフランスで、なんとあの伝説のマリコリヌとの共演だったそうですよ。すごすぎ!

バンドとしての最後の公演は75年12月5日、ブルッセルにて。リアムがバンドミーティングで「実は辞めたいと思うんだ」と言いだすとと、全員が「俺も、俺も」と続いたそう。

アンディの分析「ドーナルがバンドを離れた時、ちょっとパワーが落ちたと思う。ジョニーは素晴らしいプレイヤーだが、でもすごくリリカルな演奏で、エンジン・プレイヤーじゃなかった。僕もエンジン・タイプじゃない。ポールが入って、再びパワーがバンド内に戻ってきたけど、クリスティが抜けたことで多くのレパートリーが失われた。やはりこれが大きかった。クリスティはバンドにおいて自分が持っていたものをすべて持って独立してしまったんだ。レパートリーも、ステージでの楽しいおしゃべりも」

ポールの回想「当時はレコード会社からマネジメントから、いわゆる音楽ビジネスのインフラがアイルランドではまだまるで整っていなかった。そういうのが整いはじめたのはU2以降なんじゃないかな。当時、僕にはバンドのビジネス・サイドで何が起こっているのか分からなかったし、正直言えば知りたいとも思わなかった。僕はアイルランドに戻ってきて、バンドにいられることがとても嬉しかった。それだけだった。もちろんアルバムを制作出来たら、素晴らしかっただろうね。でも正直もうやってられないと思っていた。経済的にも大変だったし」

こうして各々のメンバーは別の道へと進み始めるわけです。

ポールが入っているプランクシティの映像ってこのくらいしかないわ。アンディが「ジョニーはリリカルな演奏者でエンジンプレイヤーじゃない」って言うの、分かりますね。とりあえず貼っておきます。