ジョン・スミス、再来日… うれしすぎる 1

Hillstoneの石坂くんから連絡があってジョンがジョー・ヘンリーと来日することが決まったと聞いてとても嬉しかった。石坂くんとは彼が前職だった時から何度か仕事を一緒しているのだけど、一緒に仕事するのは久しぶりだったし、とにかくジョンが、ジョンが、わたしのジョンが(笑)、あのジョー・ヘンリー先生と来日なんて何て名誉だ!と思った。さすが私は見る目がある(そこかっっ!?)

良い音楽をやっていれば、必ず次につながるよね。ホントに嬉しい。

私とジョンの出会いはここにも書いたけど、またここに同じようなことをかくと、きっかけはフェスティバル中に滞在していたグラスゴーのホテルのバーでブー・ヒュワディーンに紹介された事。ジョンは自分のベーシストと二人で私たちと同じホテルに泊まっていて、ウチらが飲んでいるところに二人はプラッとやってきたのだった。本当に偶然に。ブーはジョンを紹介して「こんなにすごい奴はいないから、絶対にやった方がいい」と私に薦めてくれた。私は「ダメダメ。もうウチは新しいアーティストは出来ない。事業がつぶれちゃうよ」とはっきりと言った。「もう新しいアーティストはやらないんだ、ごめんね」と。ジョンは「日本に行きたいんだ、憧れの国だ」とか言ってた。まぁ、それは、よくある社交辞令的挨拶なので右から左だ。今思いだしてもそのときの私の態度はひどかったと思うわ。でもなんかこう無責任にいい顔をしたくないんだよ。もうなんかそういうゲームみたいなのは嫌なんだ。お互い本音でいこうよ、と。だから私は絶対に自分が責任を持てない事にいい顔はしない。日本人のビジネスマンはよく、会った時だけニコニコ、でもオファーのメールに返事をよこさない、ってよく聞くけど、私は違うんだよ、と。

だからジョンがくれるといったサンプル盤も受け取らなかった。サンプルもらって喜ぶ人は多いが、私は嫌いだ。だってもらっても何もできないもの。だからジョンには「分かった、分かった、大丈夫。必ず買うから大丈夫」と言って、何も受け取らないでバイバイした。

フェスティバルで,2週間以上グラスゴーの同じホテルにいた私は、すぐにアマゾンUKでホテルにそのCDをデリバリーしてもらった。約束は守りたかったから。で、そのアルバムを聞いてぶっ飛んでしまった。これは本当に素晴らしい。ジェイソン・ボスホフのアイディアでアメリカ南部を旅をしながら収録されたこのアルバムは、くすんで乾いた空気と、英国人の死生観がまざった不思議な魅力に溢れていた。今でも1曲目の「Invisible Boy」を聞いたときの衝撃は忘れない。

「僕は友達に見守られながら、死ぬんだと思った」と始まるこの歌は、ジョンの強烈な臨死体験を歌っている。(チケットを発売する18日まで、このシリーズ続きます。ジョン・スミス来日情報はここ