カフェ・バッハ店主、田口護さんと鶴岡真弓さんのトークイベントに行ってきました

知る人ぞ知る、コーヒーの超名店カフェ・バッハの店主、田口護さんと鶴岡真弓先生のトークイベントがあるということで出かけてきました。

いや〜まずは美味しかった!(笑) 私は普段滅多にコーヒーは飲まないのだけど、本当に美味しいコーヒーをいただきました。しかも4種類も! そして素敵なフルーツケーキまで。絶対に今度お店にうかがいたいと思いました。というか、近いうちに絶対に行きます。

カフェバッハというのは本当に名店で68年のオープンから100店舗以上もグループ店があるのだそうです。グループ店、といってもチェーン店というわけではありません。店主の田口さんを慕い、教えを得て自分も開業したという方が、もう100店舗以上あるのだそうです。

今の時代を生きる私たちにカフェがもたらす役割。そんなお話を伺いました。最初は田口護さんがスペシャルティコーヒーのお話を映像を交えながらスペシャルティコーヒーについて説明をされました。鶴岡さんは、田口さんの推進されているフェアトレイドの精神を絶賛されると同時に、このような解説を加えておられました。

そもそもいろんな事を学者が頭の中で律したとしても、結局のところ人は宇宙の円舞の中で生かされているにすぎない、と。財宝(=知識?)以上に命は輝く、と。黄金とは、常に分かちあわれるものであり、1つのところに積まれるものではない。またどこかに溜まると変わってしまうものなのだ、と。また命は連鎖し途切れるものではない、と。あまねくあるものだ、と。

田口さんいわく、秋葉原の悲劇など、あまりにも寂しい。今の社会は人々を正しく導く機能が社会にない。カフェには昔、そういう役割があった、と。出会いがあり、話もできた。赤ちょうちんやバーも似たような役割。導いたり、話をしたり。Cafeというのは過去、保険の発祥の地でもあった。ロビスピエールたちが革命を語りあった場でもあった。カフェは歴史的に見ても、そういう社会の作り方に重要な役割を担ってきた。ヨーロッパの町の様式美。こういう町にしてもらいたくて、こういう町を作っている、という都市としての機能美。人があり、人がはぐくんできた世界。価値観。そこにカフェが常に存在していた。

鶴岡先生。ケルト圏のウェールズ出身フランク・ロイド・ライトなどは「自然の家」という著作の中で言っているように、炉のある家、茶の間、こたつという考え方が中心にあった。炉に火を絶やさず、人間があつまる、お茶をすする、語りあう、生きていると感じる。共に飲もう、語ろう、と。

カンパニーというのは、もともと命のもと、つまり共に食するという意味がある。Company 仲間、会社という以前に。利益がどこかにたまっていくのではなく、ともに食べていくため、という意味。世の中の炉のような役割がカフェ。町に出かけていってカフェという炉に集まる、ということ。

もともとカフェというのはアジア、東欧的なもの。ヨーロッパのものではない。世間と個人をつなぐ。人を迎え、応対して送りだす、という社会機能。

鶴岡先生の言葉。「私が実は本当に熱い思いで『内なるキャンペーン』を貼っているのは、芸術家の仕事は天使の仕事だということ」。(この、先生の「内なるキャンペーン」っていい言葉でしょ! 私にはめちゃくちゃ響きました!)それぞれが表現者だということ。みんなが表現者。何かと何かをつなぐのは皆さんなのだ、ということ。カフェバッハの田口さんと、ママであるエリン・ママ(田口文子さん)のもとに100店舗以上のお店がグループとして精神でつながる。チェーン店というわけではない。

表現者の仕事は天使の仕事だ、ということ。従来サーブ(給仕)というと低くみられていた時代があった。何かを人にサーブする、火のそばに持って行く、という作業。でも何かを運んでくる人は、される方よりも10倍できないとサーブできない。一人一人が一生の中で、カフェのような炉辺をつくれるか、天使の仕事ができるか。地域社会に責任をもつ。それがカフェのリテラシー。一方でチェーン店ならチェーン店ならではの役割がある。

上海では某チェーン店のグランデのカップを持ちながら歩くのがステイタスだ、と。でも炉の中でおちついて、いろいろあるけどみんなで一杯のコーヒーを飲む。そこからはじまる「囲炉裏」「奉仕」の精神。命は本来みんなの物である、と。命はあまねくあるものだ、と。

田口さんのお話。飯館村にはもともとものすごく辺鄙なところにあったカフェ。隣が見えないようなすごい場所にあったカフェ。それが災害により引っ越さねばならなくなり、また福島の駅にすみやかに復活した。これこそカフェの証明のような店。

鶴岡先生。今はいろいろな問題があるけれど、国の前に私たちという人間の存在がある。命の存在がある。多摩美術大学芸術「人類学」としているのは、「ヒューマン」スケールではなく、「マンカインド」というスケールで考えたかったから。そもそも縄文時代の人間の寿命は12、3歳だった。そちらの時代の方が今みたいな文明社会の時代よりも、うんと長い。

以上、お話の内容のほんの一部ですが、私が録音もせずに手でメモったものを基準にしてこのブログを書いているので、勘違いしている部分があるかもしれません。すみません。

いずれにしても本当に良い講演でした。鶴岡先生のお話はとにかく元気が出ます。マーティンとデニスの公演ちらしも配付させていただいちゃった…

多摩美大の皆様、鶴岡先生、ありがとうございました。


左の写真は今回のイベントの「協力」NPO法人エイブル・アート・ジャパンさんが販売していた手ぬぐいとソックス。ちょうどいいや、というわけでマーティンたちのお土産に購入。

















ちなみに田口さん。こんな資料もWeb上にある。すごい。うーん、1つの事業でここまでなれたら本当に素晴らしいと思う。人に給仕することで、炉を作る、自分の炉をともす。

私も『内なるキャンペーン』に頑張ろう。音楽で日本を元気にするんだ!! 

そんなわけで「ケルトx和」というコンセプトでマーティン・ヘイズとデニス・カヒルが公演を行います。詳細はこちらへどうぞ。今日はCDジャーナルさんにもご掲載いただきました。感謝、感謝。