マーティン・ヘイズの哲学 1

実はマーティン・ヘイズのドキュメンタリーが最近出来て、それを日本で紹介することは今はできないのだけど内容が良いので、マーティンの言葉を拾って紹介していきたいと思っています。

マーティン・ヘイズはアイルランドの西クレア州のフィークルに近い町に生まれました。

「子供のころから自分の住んでいる場所はすごく特別な場所だということが分かっていた」「まず景色がとにかく美しい。そして音楽に溢れている。多くの素晴らしいミュージシャンがここにいたり、ここを訪ねたりしていた。今は、もうみんな死んじゃったけどね」

「あそこが僕が行った学校だよ。学校には良い思い出も悪い思い出もある。あまり自然には学校というものには馴染まなかったように記憶している」「最初の日に先生に“こっちに来なさい”と言われて、“なんでそっちから来ないんだよ”と思った。僕は権威というものを理解できなかったんだ。何でこんなことしなきゃいけないんだ、とかいつも思ってた」

「まぁ、どうやって折り合いをつけて行けばいいかは学んでいったけどね。自分の自由のセンスとは相容れなかったんだ」

「古い音楽ばかり聞いていたから、あんまり学校ではソーシャルな奴じゃなかったかも。音楽は僕にとっては避難場所だった。父が出かけると、こっそりと昔のレコードを聞いたりしていた。他の音楽に夢中になることはなかったね。よくバスルームに籠って演奏していたね。音楽の中に自分のすべてを入れて、音楽に浸ることが大好きだった」

「父の友達が遊びにくると、早く寝るように言われるのだけど、キッチンの上にあった自分の部屋から少しだけ扉をあけて演奏されている音楽を聞いていたね」

「僕の名前はおじいちゃんの名前から取ったんだ。本当は女の子が欲しかったらしいんだけど、“念のため”ってことでマーティンという名前を用意していたらしい」

「僕の父は非常に笑いが好きな人でユーモアのセンスを欠かさなかった」

「海外とかでワークショップとかやって“この音楽は東クレアの道の向こうからやってきた”なんて説明すると、“先生,僕はその道を知りません。僕はアルバカーキーに住んでいます” “東クレアには、どうやって行ったらいいんでしょう”とか言われるんだよ。つまりそれを伝えることが僕のミッションなのさ。いったい絶対的な音楽(absolute music)って何なのだろう、とね。この音楽の、いったいどの部分が取り出されて、他の人にも演奏できるようになるのか、ってね。いったい音楽のどの部分がユニヴァーサルになるのだろう、と。この美しい景色は持っていけないし…」

「でも、それは絶対に可能だと僕は思う。結局のところ一番重要なことはメロディの中にあるんだ。メロディをよく調べて、そのニュアンスや感情をさぐる事が重要だ。音楽を演奏するのに必要なすべては、メロディの中にある。そして作曲者の気持ちを曲の中に探って行く。そうすることで、音楽は誰にでも共有できるユニヴァーサルなものになる」

このシリーズ続きます。

<マーティン・ヘイズ来日公演>
11/3(土)トッパンホール
11/5(月)小諸高原美術館 白鳥映雪館
11/6(火)名古屋 秀葉院
11/8(木)京都 永運院
11/10(土)松江 洞光寺

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11/3の公演にご来場の皆さん全員に紅茶をプレゼント


これなんか装飾音いっさい無しだけど、すごく曲の気持ちが伝わるよね… すごいと思う。