「ケルトの渦巻き」は無限の命の象徴

鶴岡真弓さんと福岡センセの対談とくりゃー、こりゃもう大ヒット間違いないでしょう! 福岡伸一の「万物は流転する」というコーナーで、これほどぴったりのゲストはありません。鶴岡真弓先生。内容を簡単にここに紹介したいと思います。







セントブリギッドの十字架は「動きへのリスペクト」 上下左右からくる線がぶつかる点が少しずつずれていて、あのようにずれた中心に四方から力がかかれば、その物体は手裏剣(しゅりけん)のように回らざるをえない。あの十字架には回転の動きが内包されている。(福岡先生)

ユーロ=アジア世界には回転を表す文様がたくさんある。そのなかで最も生命力に溢れたものがケルトの渦巻き。(鶴岡先生)

茨木の利根川の町で育った鶴岡先生は小学生のころから「世界は変化のなかにしかない」というふうに思っていた。

渦巻き状のものは自然の中にいくらでもある。貝殻、植物のつる、ヒマワリの種の配列。(福岡先生)

人間がかつて身の回りの生き物とより親しく向き合っていた時代があったということでもあります。(鶴岡先生)

1つの渦巻きがもつ回転のエネルギーが途切れることなく次の渦に流れ込む。渦から渦へ、物質、エネルギー、情報がどこまでもやりとりされているように見える。それは生命の動的平衡そのものに思えます。(福岡先生)

近代以前の人々は人間が生命をコントロールすることはできないし、してはいけないという倫理を直感的にもっていた。身近な例で言うと日本人も曲がったキュウリを捨てたりしませんでした。それはそれで旺盛な生命力と受け止めて。(鶴岡先生)

自然の中には性格な正方形も正六角形も存在しない。人間がどんな道具を使っても描けない。そういう図形は世界を完璧な原理によって統一したい人類の幻想。コントロールの思想。(福岡先生)

完璧な図形とは対象にケルトの渦巻きが表すのは「負ける」「勝たない」ということではないかと思います(おおっっっ!!←私の心の中の声)人間の平均寿命がわずか十数歳でしかない地域、その語族の中でケルトがもっとも遠い西の果てまで行った。しかしその長い旅路を通して彼らは自分たちが運命に打ち勝ったという実感を一度もーもしかしたらいまだにーもったことがないのではないか。あの渦巻きには「人類は常に、うごめく生命の旅の途中にいる」という重要な記憶が留められているように思います」「私はケルトの渦巻き文様は非常に厳しい背景から生まれたと思っています。それは生命の無限の動的平衡を表すものでありながら、同時にメメント・モリの象徴ではないかと」(鶴岡先生)

負ける、勝たない、けれど再生の大釜によって、永遠に循環させるという神話。(鶴岡先生)

生命現象からすると固体の死は最大の利他行為。(福岡先生)

ケルト文化はキリスト教が入ってきたあともオリジナリティを保って根強く生き延びてきました。その歩みには「決してこの循環を止めまい」とする強い意志の気配が感じられるのです。(福岡先生)

しかしケルトと生命力… いいテーマかも。

というわけで、すごく内容がいいです、この対談。この本、みずほ銀行の投資部署とか行くと置いてるのかな…「FOLE」私はこのページの通販で手に入れました。メールをすると確認のメールが来て、料金後払いで送ってもらえます。ちょっと手間だけど、皆さんもぜひ! ちなみに最新号ではすでになく、2012年11月号No122ですので、お間違いなく。