お正月に「ヤンキー文化」を考える:「世界が土曜の夜の夢なら」を読みました

経理から脱出した。これで経理フリーの363日(推定)がまた再び来るかと思うと、まったく嬉しい。それにしてもこのクソ忙しいときに経理もやらなくてはいけないかと思うと涙が出る。

とはいえ1つ1つの領収書などを見ながらパソコンに入れていく作業もなかなか楽しい。ポールとお寿司食べたなとか、スヴェングの時のスタッフ弁当はすき焼き弁当だったんだっけとか、そういうのを1つ1つ思い出すのもいいし、なんといっても私は事務が上手い。たまにボケて間違うのは、事務作業だけをやっているわけではないからだ(と、言い訳)。他にやることがたくさんあるからなのだ。事務作業にだけ集中すれば、こんなにすごいのだ、私は。

経理脱出と同時に経理部長に書類を提出するため、実家に行き、久しぶりに姪や甥と会ったのだが、中学生になった姪はすっかり「オタク」化していた。姪っ子は昔からノートによく漫画を書いていたが、携帯を持った今は、なんと携帯小説を書いているという。それも時代ものだ。そして秋葉原に憧れているという。「オタク」になるならおばちゃんみたいに「職業に出来るオタクになりなさい」と言っておいた。我ながらいいアドバイスだと思う。どうだ、おばちゃんは貧乏だが、とても楽しくて幸せそうだろ? 

ってなわけで、最近読んだこの本が最高に面白かったので紹介する。すでにすごい話題になっているから、ご存知の方も多いと思う。「ヤンキー、それは日本のマジョリティ」先日自民党を理解するにはヤンキーを理解するとよいという新聞記事(リンク先は朝日新聞への無料登録で読めます)を読み、なるほど〜と思い、ついつい前から気になっていたこの本をポチリとやってしまったのだ。(すでに新年になって買った本が5冊ある…とほほ)

それにしてもホントに読むのが楽しい1冊だった。私にとってもホントに思うところがある。そう、分かっているのだ、ヤンキー的な美学を持ったアーティストをやれば、おそらく間違いなくヒットは出せるだろうな、と。

この本の作者もそうだったみたいだけど、私も浜崎あゆみのコンサート会場のそばを通りかかった時に、これはヤンキー文化なんだと気づいた。あれは確か横浜アリーナ。ケンソーのイベントの日だったと思う。飾り立てたあまり上品とはいえない車が並ぶ様子は、私には暴走族と見分けがつかなかった。これが浜崎あゆみの客層なのか、と思った。

そして先日もお正月の番組を見ていて思った。SMAPの木村拓哉は、この本にも書かれているとおり、いわゆるヤンキー・キャラだ。私も「SMAPって、おもしろ〜い」と彼等の料理やコントを見ているうちは楽しかった。なんで私,スマップ嫌いだったんだっけ?

が、最後に彼らに歌を歌われて気づいた… そうだ、彼等が音楽に関わってくるのが嫌だったんだ…と。「ヤンキーにとって音楽は目的というより手段」という近田晴夫氏の言葉を本書では紹介しているが、まさにその言葉はこの状況を適格に表現している。こんな事言っている私にはマジョリティーからの共感は得られない、つまりヒットはつくれんわ(笑)

そして本によればヤンキーは極めてアメリカ的。ヤンキーのバットテイストは「和+アメリカ」という組み合わせにおいて生じやすい。そのくせアメリカそのものについては無関心。そういう表層だけ取り入れるのは、ヤンキーはすごく得意だ。そもそもヨーロッパとは最初から相容れない。

それにしても、なんとも腑に落ちる! そういう本だと思う。この人著者面白いなー。とにかく自分にとってビジバシくる言葉がたくさんあった。そしてやっぱり自分には無理だと思った。私にはヒットは出せん。たぶん、このまま自分の生活サイズの仕事を続けながら、一般の人にも分かるようなヒットは絶対に出せず、そのままこの仕事を終えるのであろう。つまり自分はヤンキーではなく「オタク」なのだ、と改めて理解した。この人が書いたオタクや引きこもり関係の本とか読んでみようかな。ジェンダー本も面白そう。

そもそも「ケルト」の本質を追求したり「永遠に続く循環するもの」なんて言っている時点でアウトだわな。ケルトだったら「神秘」とか、「癒し」とか言わなくちゃダメだよね。いえいえ、もちろん私だってケルトの本質が何かなんて自分が理解してるとは思ってませんけどね、でも確固たる自分なりの考えは持っているつもりですよ。

それにしてもヤンキーとは徹底的に「今」であり「現状肯定主義」なのである。彼らは個人が世界が変えられるとはまったく考えていない。なるほど。