「ジャーニー/ドント・ストップ・ビリーヴィン」を見ました

ジャーニーの新しいフィリピン人のシンガー、アーネル・ピネダ加入のドキュメンタリー。試写で拝見させていただきました。You tubeでニール・ショーンに発見され憧れのバンドにいきなり参加することになったた彼の喜び、迷い、とまどい。彼のピュアな感じ、期待に必死に答えている感じ、小柄で謙虚なところなど、もう好感度抜群! いや〜これを見て彼のファンにならない人はいないだろうね。そして何よりステージの彼がいい。いろんな問題をすべて音楽が解放してくれる感じ… 音楽がすべてを解き放ってくれる感じが、とてもいい。

実は正直見終わった直後は、ちょっとした違和感があった。ここには完璧にバンド側の視点しか描かれていない。スティーブ・ジョブズの伝記がなぜ面白いのか、ラモーンズのドキュメンタリーがなぜ素晴らしいのか。それはいろんな視点から描かれているからだ。そこに明確な答えはなく、みんなの迷いが交錯する中から、見る側がいろいろ想像できるからだ。私は映画でも、本でも、音楽でも、そういうものが好きだ。でも、これではジャーニーの側の完璧なプロパガンダではないか?

みんな新加入のアーネルを他のメンバーはすごい、すごい、と言う。風邪をひいたんだが、あんなに歌えるんだよ、あの子は。すごいんだ、と。そうね、アーネルは頑張っている。でも一番すごいと思いたがっているのはメンバーじゃないのか? ニール・ショーンがいう「俺たちはクラシック・ロック・バンドだから」という言葉が心に残る。タイトルも「みんなのジャーニー Everyman's Journey」という。

ニール。サンタナからスタートして、あれだけ弾けるのに歌の間のポップなフレーズに甘んじているようにみえるニール。でもジャーニーはニール・ショーンのバンドだ。ジョナサン・ケインも番頭として頑張っている… いや、私に何が分かると言うのだろう。私だって何も分からない。

でもそこに真実を見たような気がした。そして。バンドを続けていくのであれば、もう、そう思いこむしかないのだ、そうやって前を見て進むしかないのだ、と。自分たちの不満やいろんな思いをある程度オブラートに包み、すべてをつつみ、大きな夢にして、こうやってファンに提示するしかないのだ。それに何が問題があるのだろう。ファンだって、それを望んでいる。だからこんなにウケているんじゃないか。

そういやジャーニーって昔からプロモビデオとかでも、ツアーする自分たちを美化し、芝居がかってたよね。これは今に始まったことじゃない。そうだ、「産業ロック」って言うんだっけな、と思い出した。

一つ、釘を刺したいと思う点。バンドは今まで以上の大きなツアーをソールドアウトにしているという。でもそれは今のジャーニーが特別素晴らしいからではない。そういう時代なのだ。みんな昔の良かった時代の音楽を聴きたいと思っている、そういう時代なのだ。そのタイミングがあっただけにすぎない。スクイーズだってそうだ。グレンは何も変わらない。ただただ本当にタイミングの問題なのだ。

時々映画に挟まれるスティーブの映像に、歌声に、おおっっと反応してしまう。やっぱりスティーブがいた時のジャーニーはまた別ものだ、とも思う。でもバンド40周年だっけ? 50年もバンドが続くころには、スティーブのいた時代も「ほんの一部」ということになるのだろう。あのころ私は大学生で、ジャーニーは、あぁいうジャーニーだった。初めて行った夕焼けのサンフランシスコで、ラジオから「Lights」が流れてきた時は、感動したっけ。しかもベイブリッジだったよ、あれ…

それにしてもバンドの、そういう時期は、そしてバンドの命は、ホントにはかないね。ホントにそういう貴重な時期は短い。あっという間に終わってしまう。しかもそれが自分のリスナー人生とクロスするなんて、ホント短い。ただジャーニーの場合、バンドは続いていかねばならない。そこが辛い。お客の期待に答えるためにバンドは頑張る。いや…辛いのではなく幸せなのかも? 私には分からないわ… ただ私には出来ないわ… 同じバンドでずっとやるなんて。今の仕事だっていろんなバンドが入れ替わりで来るから楽しいだけなのだ。同じバンドで60ケ所ツアーとか… もー絶対に無理!

ただこのアーネルと彼の奥さんと子供がずっと幸せでありますように、と思う。それは絶対だ。この映画を見れば、絶対に彼のことが好きになりますよ。



この曲好きだったな〜 スティーブ、ありがとう。



今日、昼間ツイッターで和田静香と話した「真実なんてない、あるのは認識だけ」というのを思い出した。これにも当てはまるね。続けていくなら、こうやって行くしかないのだ。頑張れ、ジャーニー!