ソーシャルメディアの可能性と、広告の行き詰まり

池袋の東急ハンズでお会いしましたw
世の中は、昨日LINEが発表した新しいSNSのビジネスモデルに湧いている。飛ぶ鳥を落とす勢いというLINE。私は中2の姪っことの交流以外に使っていないが、すごいらしいよね。でも世間の印象は「あんなに儲かっているのに、まだやるのか」ってところじゃないかと思う。私もそう思った。

Facebookも私がやりはじめた頃からしたら、だいぶ変わってしまった。最初は外人の友達しかいなかったが、最近はもっぱら日本人が多く、私が書く文章もほとんど日本語になった。私の個人のFBは個人アカウントといえどもビジネス・パーソンとしての自分のページなので、基本、仕事の宣伝ページだ。仕事自慢と、あとは他愛のない食べた物とかベランダの植物とか、別にどうでもいいことばかり、なるべくポジティブに書いている。ネガティブなことを書いても一つの得にもならないからだ。あれ=野崎洋子と思われても困る時がある。そして友達の投稿している動画やリンクに感動する時もある。そんな調子。

最初のころFBはホントにシンプルで、こんなに複雑な機能も備わってなかったし、画面のどっかに広告があっても、タイムライン自体に広告など流れてこなかった。が、最近ではFacebookやTwitterでTLに広告が流れるたびに文句を言ったり「なんとかならないですかね、これ?」なんて言ってる人が多いのが目につく。

そういうのを見ると、私としては「うーん、いいじゃないの、今こういうことでしかFBやTwtitterが利益を得るビジネスモデルがないんだから」と思ってしまう。先日も友達がFBの広告について文句言ってたので「いいじゃないの、別に」みたいなことをコメントで書き込んだら、そのあとに書き込んだ人は(みんな知らない人だったけど)全員反対の意見だった。「非表示にする」を押せばいい、なんて人もいたけど、そんなことしても、また次の広告が出るだけの話だよね。こういう人たちはいずれFBに大クレームとか入れるんだろうか。無料で使っているというのに。でも、なんか、そこまで反論するのも面倒で、もう放置しちゃった(笑) 

かと思うと別の友人は「広告を全部取り除けるアプリ」みたいなのを絶賛紹介してた。うーん、でもこんなアプリが出て来ても、結局いたちごっこになるんじゃないか。今の、この程度の広告露出で、FB側とユーザー側、お互い妥協ではダメなんですか?(笑)

今や広告は大きな矛盾をかかえていて、メディア側にとって広告はユーザーに気づかれないでこっそり流れてほしい、というのが前提にある。もう矛盾もいいところ。広告というビジネスモデルの限界が来ているわけだけど、そこが辛いよね。例えばこの記事すごく面白いんだけど→「TVにとっては真剣に見られていない時が理想」…これは本当だと思うけど、でも、そんなこと言ってたら広告にお金を出すクライアントもいなくなり、ますますビジネスがたちいかなくなるんじゃないだろうか、と不安になるのは私だけなのだろうか。

たとえばブログ1つとっても、アメリカあたりだと人気ブロガーの投稿などには「おっっ、この記事面白いから、広告踏んどいてやろ」みたいな読者が多いのだそうだ。で、読者がリンクを踏むことで(踏むだけでよい。買う必要は1つもない)、ブログ主からしたらとっても助かるわけで、そういうことによって生活が成り立っているブロガーも多い、と聞く。どうも日本人は人が利益を得る事について(ったって、たいした金額じゃないですよ、ホント)極端に嫌がる性格があると思う。寄付みたいな文化も薄いし、そもそもそういうビジネスのなりたち(押す=ブログ主への応援になる)ということすら知らないナイーブで世間知らずな人が多すぎる。

FBにしてもTwitterにしても、今や使っている人にとってはなければ困るものなのに、みんなお金ときたら一銭も払いたくない、というのが本音なのだ。いや、相手はなにも使用料を払えと言っているわけではないのだ。流れてくる広告くらい、いいじゃないか。そのくせLINEのスタンプみたいな、どうしようもないものにはお金を払う人が多いってんだから、まったく理解できない。広告みたいな、素人の私たちが見ても分りやすい、納得のマネタイズ戦略あたりでお互い妥協しておいて、いいんじゃないか、と思う。

じゃないと、最後の最後にはSNSの未来にもっと怖いことが待ち受けているような気がしてしょうがないんだけど……って勘ぐりすぎ?

ま、専門外ですから、よくわからないで書いてますけど、詳しい人いたら教えてください、ハイ。でも私のこういう気持ち、結構自分では健全なんじゃないかと自分では信じていますけどね。