今だから考えるポール・ブレイディの話 北アイルランド

今でこそ,クイーンがアイルランドを訪れ、ヒギンズ大統領がロンドンを訪れ、いったん平和的な区切りがついたように見える北アイルランド。最近のイスラエル/パレスチナのニュースを見るにつけ、ポール・ブレイディのこの話をよく思い出します。いったい、彼の地に暮らす人は、普段どんな風に生活しているのだろう、と。

ポールは北アイルランドのストラバーンで生まれました。ここは北アイルランドとアイルランド共和国(国境の反対側はドニゴール)のボーダー。両親は二人とも学校の先生で、お父さんとお母さんはアイルランド側/北アイルランド側の教員免許をそれぞれ持っていたため、二人の仕事のため家族は国境沿いに住む必要があったそう。ポールはお母さんが副校長を勤めるSion Mills Primary Schoolいう学校に、4歳から11歳まで通っていたそうですが、ここが当時としては非常に珍しく男女共学、加えてカトリック/プロテスタントすべてがミックスされた学校だったのだそうです。その話とセント・コロンブス(北アイルランドのおぼっちゃま学校。ポールはここでは寄宿舎生だった)での話。RTEのラジオで語った時の録音より。5年くらい前に放送になったものをちょことっと紹介します。

DJ「セント・コロンブスのドキュメンタリーが今度放送されるようだけど、あなたがいた当時は相当な校内いじめがあったみたいね」

ポール「まぁ、でも男子校では良くある話だよ。当時はどこでもあった事だ。かなりの暴力もあって、頭を水につっこまれることで男としてカレッジに加入権利が得られる…みたいなさ…」

DJ「あなたもやられたの?」

ポール「あの頃学校に入った奴は、みんなやられてた。寄宿舎生活は辛かったね。特に僕はストラバーン出身だったからね。学校までほんの14マイルだかしか離れていないからストラバーンからの生徒の半分はみんな家から学校までバスで通っていた。だから僕は“なんで僕はここにいるんだ”ってよく悩んだよ。もっとも寄宿舎に入れられたのは僕だけではなかったんだけど」

「50年代は仕方なかった。教育が無料になって子供たちに充分な可能性を与えるべきだという考え方が主流だったし、両親は寄宿舎に入れれば僕が学業に集中できると思ったんだろう。今ならなんとなく理由が分かるんだけど、でも実際あの歳で寄宿舎に入れられてみれば、“両親は僕が必要じゃないんじゃないか”って思わざるをえなかったんだよね」

DJ「それは…心を浸食されていくような経験だった?」

ポール「学校におけるすべてが… そういうものだった。まずは僕のバックグラウンドから話さないといけないね。僕が11歳まで通っていたサイオン・ミルズ学校は…母はそこで先生をしていたのだけど、北アイルランド側にあり、男女共学でカトリックもプロテスタントも混ざっている学校だった。これは北アイルランドの学校としては当時ものすごく珍しい事だった」

DJ「そうね、すごくレアね。でもなんて素晴らしい事なの! 実は友達が南アフリカでいろんな民族が混ざった学校をやっているのだけど、そういう状況下でも子供たちは普通に一緒に遊んでいるんだって言ってた」

ポール「イェス。本当にそうだよ。ただ僕たちの間で、なんというか絶対に話題に上げない、いくつかの事がある、ということなんだ。たとえば7月12日のことは話さない。またセント・パトリックス・デイの事も話さない。そういう事だ」

「それなのに、(セント・コロンブスでは)いきなり全員男で、全員カソリックで、全員ゲーリック・フットボールということになってしまった。この世界に僕はまったく馴染めなかった。いきなりカトリックがすべてみたいな学校に入れられてびっくりさ。もちろん北アイルランドに育てば自然とプロテスタントとカトリックは違うということは理解するようになる。歴史的にいろいろなことがあったということも知っていたよ。でもフェンスの反対側に来てみれば… 僕から言わせれば単なる無知としか説明のしようがないね」


実はポールのこのインタビューがあまりにビックリだったので、他にもベルファースト出身の私よりもちょっと年上の人に聞いたことがあるのだけど、当時のベルファーストでは、宗教が違う人も考え方が違う人も、普段は普通に一緒に生活していたのだそうです。ただよく知らない人とは直接的な話題は避けるんだ、と彼女は言っていました。そして初めて会う人には、なんとなく「この人はどっちかな…」「どういう考え方かな…」とさぐりを入れながら会話を進めていくのだそうです。まぁ、よく考えれば分かりますよね。当然のことながら、同じ町に暮らしていれば、いきなり殴り合いや暴力を仕掛ける人なんて誰もいません。みんなそうやってなんとかバランスを取って生きて行くしかない。

そういえば、原発事故があった後、いったいこの人はどういう考え方なのかな、とお互いを探っていた状況にちょっと似ているかもしれない。この人は原発反対なのか,賛成なのか? 幸いにも私は仕事仲間のほとんどが自分と同じ考え方で、何を言っても許される仲間に囲まれ、それによって本当にホッとしたものですが… あの当時はそうでもなかった。

今の中東の状況は私には想像できませんが… とにかく国がテロリストのやることにまともに応戦して、一般市民の上に爆弾を落としたら絶対にダメ、と思います。

曲はポール・ブレイディ版「傘がない」 レバノンの空は燃えている…と始まるこの曲。しかし世界はまったく学ばないですね。驚くほどに。