森博嗣「素直に生きる100の講義」を読みました

私が本当に大好きで何度も読み返している自己啓発本が2冊ある。1つは勝間和代さんの「断る力」そしてもう1冊は森博嗣さんの「自由をつくる、自在に生きる」だ。どちらも人生で迷いが出た時、自分の自信を確認したい時、読み返す。そのくらい好きな本だ。

ここのところリアル本屋に行くことが余りなかったのだけど、先日東さんの新刊を買うにあたって、恵比寿の駅中の本屋へ行き、森さんの新刊も平積みされていたので、思わず購入。あぁ、積ん読本の山が終わるまで、新しい本は買わないと決めていたのに。

「素直に生きる100の講義」それともう1冊「思考を育てる〜」というやつも買ったのだけど、とりあえずこの「素直に生きる〜」の方だけ今日読み終わったので、さっそくご紹介したい。

この本、100のエッセイが収録されていて、それぞれが2ページずつ。だからすごく楽に読めてしまう。どこから読み始めても問題なく本当に気楽に読める。最近のベストセラーってほんとすごいよ。なんでも本の方が歩みよってくる…というか。読むのにまったく負担がない。

あいかわらず落ち着いた観察眼というか、シニカルな事もあるけど…でも…自分の価値観がガッツリあって、なんか落ち着いてるんだよね。余計な欲望がなくて、自分のことをよく知っていて、しっかり自分をマネジメントしているからかなー 素晴らしいな。

いくつか心に残った項をご紹介。


No.3:やる気がなかった仕事の方が、案外結果が上出来だったりする

これ、するどい。そうなんだよね、やる気満々のものは期待が大きい。ところが現実にはそれが裏切られたり、自分のシナリオ通りにいかず不満も出る。それよりも最初は不満をかかえ、このままではだめだ、やる気が出ないと奮闘したプロジェクトの方が、良いアイディアを思いつくことも多い…と。なるほど…これ実はすごくするどい。

雇われではなく自分の企画をプロデュースしている人なら、この指摘は「ギクリ」とするのではないか。でもそうなんだよね、ホントに。「あー、どうかなぁ、この企画!?」みたいなものの方が成功、特に金銭的な成功を収めたりするのだ。

加えて自分があんまりのってない仕事ほど世間の評価が高かったりする。これは結構辛い。そういう企画を褒められると、昔は「何にも知らないくせに勝手なこと言いやがって」とあからさまにムッとしたりしてた。でも最近は大人だから「どーもぉー」とかいって愛想笑いしたりしてるけど。

自分が自信満々で、音楽的に自信がある企画こそ、そういうやつこそ、まったくもって金銭的には失敗することが多い。ホントに現実というのは厳しい。なんだよ、この良さが分らんのかよ、耳をかっぽじって、よく音聴けよーーーっっ!とお客さんに当たりたくなる事もあったりするのだが… 以下自粛。

そして、それがNo.6にも続く。



No 6 :楽しい努力と苦しい努力の違いはどこにあるか

一般的に自分が発想したものを実現する努力というものは楽しい。それはそうだろう。自分が頭で考えたもの、いわば夢のようなものを実現するのだから、誰でもわくわくする。

…ごもっともです。ごもっとも。でも上手くいかない確率も高い、と森さんは指摘する。はい、そうです、よくご存知で…

でも人からふられた仕事でも、人からもらったアイディアでも、実現していく過程で細かいアイディアを自分で見つけていくといいよ、とのアドバイス。ほんとにそうだ。よく覚えておこう、これ…それによって努力も楽しくなる。ほんとうだ。



No 21:学ぶことは、考えることではない

これも、めっちゃするどすぎて、覚えていられるようにメモっておくべし。「考える」ことが大事だ、と森さんは何度も強調する。それを忘れてはだめだ、と。

たとえば本を読んだり、授業を受けたり、そういった「学び」が大切だというふうに世間では誤解されているがそうではない、と。それよりもっと大事なのは「考える」方だ、と。

これ、めっちゃするどい。私の周りにも本を良く読み、語学なんかも何カ国語もしゃべれている人もたくさんいるが、実はそういう人たちはそれほどクリエイティブでもなかったりする。「考えずに知識ばかり吸収していると、知識の肥満になる、と僕には見える」…なるほど。

特に老人はぼけ防止、とか言って教室に通ったり,何か学びを始めるようだが、それでは全然効果がない、と。それよりも「考える」運動が必要なのだ。森さんは図工を薦めているが、なるほど、いいかもしれない。(ちなみに森さんはすごい図工おタクらしい。この作家とは思えないブログを見れば、すぐ分る/笑)



No 22:勉強しているんだぞ、という態度は格好良いのか。

これも21から続いて似たような内容。毎日好きなことをして遊んでいる方がよっぽど立派だ、と。うーん、これは勇気がいるなぁ! でも言っていることは、すごく共感する。特に日本人の社会人の皆さんは真面目すぎる。いや、みんな健気に頑張っているんだけどね。



No 43:国が悪い、と声を上げるまえに、自分にやれることを少しは考えよう

じゃないと、同じ問題がまた起こるよ、と。当然だよな。日本はおかげで何にも学ばない。いつまでたっても。



No 49:芸術には、不幸な経験を最上の価値へと変換させる力がある。

苦痛を「美」に変換できるのは、まさにエネルギィ変換の最たるものであり、これがもっとも高尚な人間性だ、ということを言っている。ちょっと話題がそれるが、こういう風にエネルギーと書かず、エネルギィとか音にどちらかというと忠実に表記し、一般に広まっている表記に反旗を翻しているのが、森氏、頑固だと思う…正直読みにくいし…。ワールドミュージックの頑固な関係者らみたいである(笑)

人間に限らず生き物という存在は、なんでもエネルギィ変換ができる。これが生きものと生きていないものとの違いの1つなのだ、と。「悔しさをバネにして」といった文句もたびたび聞かれるが、こういう芸術や美術における切り替えは、ときには驚きを覚えるほど感動する、と指摘。まったくもって同感。

とはいえ、森氏は死にたい人は芸術に打ち込め、という話ではない、と。そういうものがある、という観察である、としている。いつものようにドライである(笑) そこがいい。



No. 73:会議に出なくても良くなっただけで、僕は幸せだと思う

まったく同感! そして森氏は「余裕があればくだらないことで腹がたたないのもわかった」としている。これ、私も時々感じる。会議に出ていたころ(サラリーマンしてたころ)の自分は、ホントにいつもイライラしていた。

イライラしたりするのは、自分や時間に余裕がない証拠だ。余裕がなければ本当に人間的に優しくはなれない。これすごく大事だ。余裕を持つ。そのためにも、くだらないことに時間を使わない。すごく重要。



No. 84:汚染水を漏らさない技術は原子力関係の先端技術ではない

これは波紋を呼びそうだけど、良く考えれば分かる。絶対に水漏れ関係の土木作業関係のエキスパートが日本にいるはずだ。その助けをなぜ借りられないのか? いったいどういう状況なのか。東電だけに文句を言っていていいのか。私も詳しくニュースを追いかけていないので、詳しいことは不明だが、原子力発電所のあの事故に関しては、今でも全国民が国民の全知識を総動員して全力で当たっているようにはとても思えない。



No.87:保険とは、みんなえで一部の不運な人を救済する仕組みである

…というのが,現在のTVCMでは、まったく表現されていない。これは正常な状態ではないと思う。私はTVの保険会社のCMが嫌いだ。不安を必要以上にあおり、そもそも保険は森氏も指摘しているように「運が良ければ掛け捨て」なのが基本だ。マスコミは広告料をたくさんもらっているから保険会社に否定的なニュースや情報は流さない。

金の流れをもう少し明確にすべきだと思う、と。なんでも保険が降りるみたいな見え方はとても問題で、保険金をめぐるトラブルはとても増えていると聞く。



以上、私が特に共感した部分でした。あと今回勉強になったのが、森氏が結構、素人のブログなどを読んでいる、ということ。そしていろいろそれについて、この本の中で指摘しているんですよ。以下、参考になるので、メモ。

素人の書き手に見られること:素人が書いているのを見ると、書きたいことを書いていて、いわゆる「主張」になっていることが多い。「わかってほしい」「自分を認めてほしい」と読めてしまう。… あぁ、これ自分にもあるなぁ。

1年を総括するくせがある人は、面白い毎日を送っていない。これもごもっとも!

(素人ブログでも)良いことを言っている人は多い。でも誰もそれに目を留めない。有名漫画家の無名時代の絵に高値が付くとかいうのと一緒。言葉や意見も同じ。読む人は、人をみて意見を評価している。聞いている耳は、言葉ではなものを受け取っている。…するどい。

つまり、私もちゃんと本業での実績がなければ、こんなブログなど誰にも読んでもらえなくなる、ということだ。これは大事だ。ブログに偉そうなこと書いてないで、ちゃんと仕事をすること。これに尽きる。そして、ここは毎日私が、THE MUSIC PLANTがちゃんと営業してます、と言うためのブログだ。それはTwitterでもFacebookでも同じである。

いずれにしても自分の価値観をはっきりさせ、何が自由かを実践している森氏はさすがだ。文章もいいが、そのライフスタイルも素敵だ。35年間、医者にってないところもいい。

私も森氏のように、もっと自由になりたいなぁ。それにはもっとお金が必要だ。でもお金を儲けようと思うと、今ある事業上の自由を少し手放すことになるので、やっぱり今のままでいいや、と思う。やりたくないことはやりたくないし、そもそも出来ない。