東浩紀「弱いつながり」を読みました

読んだ。東浩紀さんのファンでゲンロンの会員にまでなっている私なんだけど、名著「一般意志2.0」は挫折して、今だに読み終えていない…

でもこの新著については、津田大介さんのTwitterに肩を押され恵比寿の本屋で購入。そしてあっという間に読破。津田さん、東さん…結局、私はお二人のファンなのよね。そして久々のリアル本屋さん、いいね…ついつい買いすぎちゃう。

感想は… うん、この本で、自分が言ってもらいたかったことを言ってもらった感じ。私の人生も、これで新しい展開を呼べるのか? 

人間は環境によって左右されるといこと。というか、環境の産物だということ。そして最近は何でもかんでもグーグル様にお見通しされてしまう世界だ。グーグル様が、私をとりまく世界をあやつる。いろいろ言う人もいるが、これは必然というか、まったくありうる未来…というか現在の話で、私なんぞはその恩恵を受けている事の方が多いから、絶対にグーグル様のことは悪くは言えない。このブログだって、グーグル様のおかげで無料でネット上のこの場所を確保し、グーグル様のおかげで検索に引っ掛かって、意外なほどの多くの読者を獲得している。さらに最近では画面上に出てくる広告のおかげで少額ながらも本当にお小遣いまでいただいている。グーグル様がいなかったら、私やウチのアーティストのことなど誰にも見つけてもらえない。グーグル様がいるからこそ、伝統音楽やアイルランド,北欧に興味がある人が、私のところになんとかたどり着く。そしてチケットやCDを買ってくれる皆さんのおかげで、私はなんとか東京での自分の生活を維持し、好きなアーティストを日本に招聘し、皆さんに見ていただくことが出来る。

その反面、この新しい世界において、グーグル様をはじめ、各種SNSによって自分の動きが固定されてきていることは事実だ。これはもはや誰でも感じる事実だろう。今やインターネットを開いてみても、自分が見たい情報しか入ってきやしない。それは当然だ。自分がグーグル様に聞く検索ワードが決まっているからだ。残念ながら、そんな風に人間は環境によって作られる。ネットは強いつながりをより強くするのは得意だ。ネット上では、環境をグーグル様ががっつりとコントロールしている。そこからこの本が始まる。これを打破するには環境を変えるしかない、と。いや環境は変わらないから、自分が移動するしかない、と。

人間は環境の産物だ。環境が人間を作るのだ。これには私もものすごく同意する。というのも、私も3年前に荒川土手に引っ越してきたことで急にスポーツな野郎になってしまったからだ。これは人生48年、どんなに自分で努力しても出来なかったことだ。

……いや、違うな。自分では、自分は本気をだせばいつか必ず出来ると、妙な自信があった。でもそれが実行できなかったのは、環境がそうさせなかったのだ。板橋の、あんな高速の下に住んでいて、排気ガスだらけの場所で走ろうと思うことなど出来やしなかった。私たちは、そんな風にみんな環境に規定され、かげかえのない個人なんか、実はまったく存在していない。これをまず自覚しないといけない。

そして…実は「自分が求めること」と「環境から自分が求められると予測されること」の2つが一致するときこそ、人はもっともストレスがなく、平和に生きることが出来る、と東さんは説明している。これは悪いことではない、と。これ… めっちゃするどい。というのも、今の私が、まさにそれだからだ。私の毎日はかなり平和であり、日々あまりストレスがない。それは自分がやりたいことと、世間から野崎にやってほしいと期待されている事が(ある程度)一致しているからだ。今のこの世界において、この場所を確保できたことは私の最大の幸せだ。もちろん自分のとてつもない努力もあったとは思う。でもその努力を発揮できた、私を古いたたせる反面教師になってくれた業界保守オヤジたちがいっぱいいた、という事も含め、環境がそういう環境だったというのは絶対に否定できない。

この平和でストレスがない感じ…でも、それじゃダメなのだ、と。これ、実は今の私が一番言ってもらいたかった事だ。たった一度の人生をかけがえないものにするのためには、環境に左右されているようじゃダメだ。そう、実は私たち1人1人は外側から見れば単なる環境の産物にすぎない。でも内側からは「かけがえのない自分」だと思いたがる。そういう勘違いに人間の悲しさがあるのだ、と東さんは指摘している。うーん、あまりにするどい! ホントにそうだ。かげがえのない人生を歩みたいと、みんなが思っている。

そして、これを打破していくには、意図的に環境をかえること。そしてそのための方法がこの本にはいくつか紹介されていて、特に旅をすることを東さんは薦めている。かといって旅先で新しい情報に出会う必要もない。発見すべきは情報ではなく、自分の新しい欲望だ、と。今や情報なんぞ、重要でも何でもない。情報や写真、映像、インターネットの海にいくらでもそれは転がっている。それよりも身体を一定時間非日常の中に拘束してみろ、と。そしてなんとか別の検索ワードを見つけてみろ、と。

今の自分を深めていくのであれば、強い絆が必要。でもそれだけでは単に環境に取り込まれてしまうよ、と。そうではなくて意図的に自分の人生にノイズをいれていく。それによって自分の人生をかけがえのないものにしていこう、と。

今やネットは自己肯定を強めてくれるメディアになった。発信する人は見せたい自分しか書かないし、見る方も見たいと思う情報しか見つけられない。この限界をどう超えて行くか。それが重要なのだ。

世の中の人生論は村人タイプ(ひとつに留まり深めて行くタイプ)と、旅人タイプ(どんどん環境を切り替えて行くタイプ)と2つある。でもよく考えると2つとも非常に狭い生き方なのだ、と。東さんが薦めるのは第3の「観光客タイプ」の生き方。それがこの本のテーマ、というわけ。

あと心に残った部分としては、情報はいくらでも複製できるけど、時間は複製できない、という事。時間勝負になってきてしまうと、体力で負けたら、もう負けだと言う事。これ、東さんよりも歳とっている自分としてはすごく重要な事実。私も感じるんです。特に自分が作るCDやコンサートの宣伝作業をしていると、効果がある/なしにも係らず、ブログをマメに更新する、あちこちの媒体に頭をさげに行く、チラシを持って暑い中都内をまわる…などなど、ホントにドブ板選挙のようになってくる。そこで行われているのは、クリエイティブな仕事ではなく、純粋な体力の消耗戦だ、と。本当に素晴らしい指摘。クリエティブなものというのは、こういう体力消耗戦からは出てこないと。まったく同感です。(ただ今のこの仕事、ドブ板選挙も相当大事な作業です…)

そして村人として人間/友人関係に必要以上に囚われるのは良くない、とも東さんは解いています。

まったくもって何回も何回も人生を歩めるのであれば、強い絆をさらに強くする、もしくは確率的にどの選択がもっとも利益が多いのか、というテクニックを使えば自分の人生は良くなる…という事しかないのだけど、残念ながら私たちの人生は1回ぽっきり。統計学など、まったく意味をなさない。人生は本当にあやうい偶然のうえに成立している。この偶然と必然の関係、1回きりの人生と統計の関係。これがこの本の問題意識なんだよ、と。ネット書店のレコメンで本を買い続けるのはハズレはないけど、出会いもない、と。リアル書店でなんとなく目について買う、という方が読書経験にとっては豊かになる可能性が高い。そういった弱い絆みたいなもの、それが大事なのだ、と。統計的に最適なものとかではなく偶然に身をまかせること。これがリアルな生活にノイズを居れていく行為になっていくのだろう、と。

先日読んだ佐々木俊尚さんの本にも通じるものがある。なんかちょっと時代が見えて来た気がするよ(笑)

そうそう、この本の中で紹介されていた動画。ハンス・ロスリングというスウェーデン、しかも偶然にもヴェーセンと同じウプサラ出身のお医者さん。過去200年を4分間で見せています。いろいろな意見はあれど、実は世界はより健康によりリッチになっている。やはりこれは歓迎すべき動きなのだ。



さて環境を変える…どうしようか。とりあえず荒川土手のこの場所は5年契約なので、ここに居るのも後2年ちょい。次の5年は違う場所に住んでみようか。やっぱりお好み焼き屋さんを始めてみるか。