若者さんたち、ごめんなさい。古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち」を読みました。

今朝、朝風呂の中で読み終わった。何、今ごろ読んでんだよ、と言われそうだ。ずっと積ん読していたんだけど、これ、一時すごい話題になった本。読み終わったら、偶然にも今日は成人の日だった。

成人した皆さん、おめでとうございます。私が20歳の頃はすでに最初に就職した会社でアルバイトとしてバッリバリに働いており、成人式なんて行きませんでした。

まずは言いたい。若者の皆さん、ごめんなさい。第1章の「若者を応援するおじさんは、自分が楽をしたいから応援しているのである」との指摘に、ぐうの音も出ません。古市さん、おじさんだけじゃなく、おばさんもね(笑)。ホントにイタイところついてくるなぁ!と思った。

そのあとはひたすら「最近の若者は×××と言われている」など世間のステレオタイプな見解を取り上げては、実際のデータを見せて「ほれ見ろ、ホントは違うんだ、よくデータを見てみろ」みたいなのを突きつけてくる、そんな展開が続く。あぁ、ホントにごめんなさい。勝手に若者は可哀想だ、可哀想だ、と同情してました。すみません。

震災直後に発売になった本だ。あの時世間は原発の処理という大変なローンを後に続く世代に残してしまった…と若者世代に同情したものだ。そんな負い目があったから、そんな風に世間の目が若者を見るから、それを超うっとおしいと思った、超頭のいい古市さん(85年生まれ)がこんな本を書いたのだと思う。いい加減にしてくれ、と。そしてマスコミはひたすら若者をネタにすることによって将来の不安をあおる。あおりすぎだってくらい、あおる。

そして最終的にこの本はそもそも未来においては世代間の隔たりもなくなり全員「若者化」する、ということところに行き着く。私もいつまでも「若者」側にいたいおばさんかもしれない。でも「あの頃憧れた未来に僕らはいる」。そうなんだよね、ついつい忘れがちだけど。私も昔には絶対に戻りたいと思わない。

まぁ、でも分るんだ。やっぱり自分たちで決めて自分たちで変えた社会ではないこの国だからね。日本人は自分で行動して自分で責任を取るのがすごく苦手な国民性だ。誰か動く人に乗っかり、自分はプレステやWii(だったっけか…この本に出て来たのは)などの幸せで充分と思う。例え過去のあの日の新聞社説で夢見られていたことが、今、現実にかなっていたとしても、ピンと来ないのは無理もない。何度かここにも書いているけど成功は筋肉であり、成功体験のない者は未来を作ろうとしないし、そもそも自分で何か作るということがどういうことなのか分らない。成功が分らない。そういうことなのだ。昨日のフランスを見てみろ、って感じ。フランス革命の時のパワーがまだあの国を支えている。

それにしても古市さんの本、はじめてちゃんと読んだけど、本の語り口はいつもラジオやテレビで聞く口のきき方とそっくり。古市さんを声で知っている人なら期待して損はなし。あれこれ突っ込む(ブラック)ユーモアのセンスも絶好調だ。そしてホントにキレるねぇ、この人。この本,売れるの分かるなぁ。あっという間に読めてしまった。

最後ボーナス的についている若い俳優さん(知らない人だ…)との対談で、ある意味夢がかなってしまった自分が他の若者にたいして「夢は叶う」「夢はあきらめるな」という声をかけるべきか、という点はちょっとギクッとした。夢を、ある意味かなえてしまった自分の立場で、後に続く有能な人たちにどうアドバイスすべきか…。私も自分の夢はかなったと思っている方だ。でもそれについて死にものぐるいの努力をしてきたという自負もある。今、私の周りにも本当に有能で、自分のその当時の歳でいた時よりよっぽど優秀な人たちが多い。その人たちにどう声をかけるべきか…という点。

あとサラーリマンの友達に対しては「偉いなぁ」って言うしかないって…すっごい分る。この対談にはすごく共感した。そしてやっぱり日本は末期症状だと思う。さらに私もそのことについてはあまり興味がない。結局は自分が出来る範囲で世の中を良くしようとする以外、何もできないのだから。(でも選挙には行きましょうよ、若者。私も必ず行くし、一時期嫌気がさして3〜4年行ってなかった時期もあったけど、今は必ず行きます。そして今回話題になった裁判官の合否は最初に投票した瞬間から全部バツをつけてきたことが自慢です。最初の頃なんて分ってやってたわけじゃないけどね)



これ面白い。グレンが前座のミュージシャンに「Tempted」を教えているシーン。


グレン・ティルブルックの来日は3月下旬〜4月頭。詳細はここです。