「ディオールと私」を観ました。なるほどこれは面白い!

観ました、観ました。「ディオールと私」



それにしてもメゾン、アトリエ、オートクチュール、プレタポルテ、コレクションなど、ファッション用語がまるで分からないオレ(笑) 最後のショウ…じゃなかったコレクションのシーンなど、かろうじて「プラダを着た悪魔」のモデルになったおかっぱ頭のヴォーグの彼女などは認識できたものの、出てくる有名人がさっぱり分からない。加えて劇場も文化村だったのだが、今日は輪をかけて素敵なピカピカのお洋服を着たおばさんたちばかりで、なんか浮いてしまっている自分。劇場は雨だというのに満員。ネットで予約してから行って良かった。

フランス語聞いてたら途中から眠くなったけど、後半はぐいぐいぐいぐい。引き込まれてしまった。ドキュメンタリーなのだが、ディオールの歴史的映像やナレーションも挿入され、制作者のディオールに対する尊敬の気持ちが感じられる。これは素敵な映画だ。

しかし、よくぞここまで入り込んだ!という感じのカメラにびっくり。特にデザイナーの彼がショウに向けてテンパるあたり。涙ぐんだり、愚痴をこぼしたり… 宣伝チームとの戦いも音楽業界と一緒だ。宣伝チームは宣伝に協力しないとこのプロジェクトの成功はないとデザイナーを説得する。デザイナーは表に出るのはいやだ、という。媒体側との交渉などなど…それにしても、こんな内側までよく撮ったよなぁ!!という感じだ。

そもそも私はファションにはまるで興味がない。人間は何を着ているかではなく、何をしているかが重要なのだ。その考えは変わらない。だけどファッションに対する認識はニューヨークのビル・カニンガムを観て大きく変わった。あれは本当に最高の映画だった。名言が続々出て来て、本当に感動した。ヴォーグの彼女もあの映画での印象があったから覚えていたのだ。

ビルの言葉が思い出される。「ファッションは鎧なんだ、日々を生き抜くための」この問題山積の地球においてファッションがいったい何の意味があるんだ、と誰もが問う。でもだからこそ、ファッションは人間性をキープするための重要な鎧なんだよ、と。手放せば文明を捨てたも同然だ、と。あのおじいちゃんは本当に最高だった。今でも健在なんだろうか。

さて、この「ディオールと私」最後パートナーと抱き合って泣いて喜び、コレクション会場を回り、両親とマスコミの写真に答えるデザイナーの彼の姿はとても誇らし気だった。だけど私には分かる。これは単なる一夜の勝利でしかないことを。世界は厳しい。ちょっと勝ったくらいじゃ、すぐ次の戦いではじかれる。何も行動せずにリスクも取らない連中は勝手に彼の仕事を批判するだろう。これだけの職人チームをかかえ彼の責任は重い。この仕事を辞める日がくるまで、きっと心がやすらぐ日など来ないに違いないだろう。いや、だからこそこの日の成功は単純に喜んでいいのかもしれないが。

職人たちの響く言葉がたくさんある映画だった。服を作り終わって、ほっとする反面,寂しいと語るお針子さん。分かる、その気持ち、すごーく分かる。私のツアーと一緒だ。終わって嬉しい。でもすごく寂しい。そして「こんな場は私には不釣り合いよ」と言いながらコレクションを遠くから眺める裏方スタッフたち。でも心は自分たちがこのショウの重要な部分を作り上げたんだ、という誇りに溢れる。うーん、良すぎる!!!

私もこんな風にずっと作る側にいたい。それがどんなに大変でも。好きなミュージシャンと一緒に作る側にいるのは最高だ! こちら側にいないと分からない事はたくさんある。どんなにプロジェクトが小さくても。こちら側にいないと絶対にダメだ…とまた強く思った。私はほんとにこの仕事にむいている。あ、また自分のことになっちゃった(笑)