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2015年10月24日土曜日

映画「ハーモニー」を観ました



試写で拝見しました。ご案内いただき、ありがとうございます。

普段こういうアニメSF映画は観ない。って言うか、アニメってもう呼ばないんだっけか、こういうの(下記画像参照)。例えばTwitterのID画像をこういうアニメのキャラクターにしてる人、例えば東浩紀さんのゲンロンカフェ周りで、時々秋葉原的なアニメ系の絵がちらつく事… 「うっ、ち、違う」と私は引いてしまう。なんだろ、好みの問題なのかな。でもゲーム周りの人はケルト音楽とか好きな人多くて、結構音楽がそれっぽく作られていたり,キャラ設定がケルトや北欧神話がベースになっている(らしい)。

うん、でも、私はそうなんです。苦手なんですよ…。偏見もあるんだろうけど、あとね、ガンダム以降、このテの「世界観」SFアニメは難しくて私にはとても理解できないってのがある。頭が悪いんだろうか。

名前が難しくてまったく覚えられない。人間関係が上手く想像できない。ちなみにガンダム以降、と言った時、ガンダムも入ります。ガンダムの世界観ですら、もう分からないオレなのさ。あ、あと自分のことを「僕」とか呼んだりする理系女も嫌いなんだよ。分かる人は分かってもらえるだろうけど。(あのテの女は男だらけの場で、女であることを充分に発揮していると思う)

ちなみにSFが嫌いなのかっていうと、そんなことはなくて「猿の惑星」「スターウォーズ」大好きだし、小松左京あたりも高校生くらいのときには夢中で読んだ。(が、内容はいまいち覚えていないが…)

だから難しいのは覚悟してた。映画観る前に、まずはWikiで原作本の設定を一生懸命覚えた。すごく頭を使ったんだけど、それでもよく理解できなかった。この設定、分かりますか、中高年の皆さん? うーん、私には難しすぎるよー 私もすっかりおばさんだわ、と軽く落込む。おそらくSFアニメ好きの人は、まずこの複雑な設定がきっと好きなんだろうな、となんとなく想像する。

と、まぁ、そんな頭の悪い私ですが、それでも試写を観ようと思ったのは、この伊藤計劃(けいかく)さんという夭折の作家にとても興味を持ったこと。昨日買ったAERAの記事ですごく褒められていたこと。角幡唯介さんの書評本をまた読み返していたら、この映画の原作本が紹介されていて、ここでもまた、めっちゃ褒められていたこと。

映画はこのテの作品においては、最高のクオリティのものなのかもしれない。が、妙にセリフが多く、説明が多く、すでにガンダムですらよく理解できない私の脳みそは沸騰マックス。頭をフル回転させて、なんとか理解しようと試みる。それでも、ずっと観ていたら、なんとなーく後半は分かったような気になり、それなりに楽しめたようにも思う。ひたすら人間は、どういう存在なのかということを主人公はグルグル考えていて、健康/長寿が支配した、この新しい世界から外へ出ようとしている、そういう話。

でもなんだったかなー どっかで読んだんだけど、Facebookの「いいね」で溢れる世界、みんながみんなに気を使わないと気をつかいすぎる今の世界は、もしかしたらこの伊藤さんが表現した「ハーモニー」なんじゃないか、って話。「ハーモニー」の世界では、自分の身体はすでに自然ではなくなり、健康にすべて支配され管理されている。フリーランスで一番大事なのは健康…ってよく言うけど、そんな心配もなくなり圧倒的な健康が支配する世界なわけなのが、一方で皆が幸せであるわけではない。この設定がすごいな、と思ったわけでした。なるほど世界はこういう方向に行きつつあるのか。この設定を考えだしたところが伊藤計劃の非凡なところだ。どうです、映画観たくなったでしょ?

それにしても人間は不幸せな存在なんだよね。私もそれはもう自分の中では、数年前にかっちりと結論を出している。北欧の人と仕事しているとよく分かるんだ、それは。ま、そんなことは置いておくとして…

そんなわけで映画はよくわからなかったけど、アマゾンに並ぶ書評を観ても、めっちゃ面白そうなので、やっぱり本は買ってみてしまった…果たして理解できるのか。



PS
伊藤さんの言葉。AERAに載ってたんだけど、水戸芸術館が08年に発行した機関誌掲載に寄せたものだそうだ。「人という物語」…泣ける。この時すでに発病していた。

<人は物語として他者に宿ることができる。人は物語として誰かの身体の中で生き続けることができる。

この物語があなたの記憶に残るかどうかはわからない。しかし、わたしはその可能性に賭けていまこの文章を書いている。これがわたし。これがわたしというフィクション。わたしはあなたの身体に宿りたい。あなたの口によって更に他者に語り継がれたい。>