生き方は変えられない。角幡唯介さんの新刊「漂流」を読みました! 大傑作!

読んだ。いや〜、ホントにうなるわー。すごいわ〜。角幡唯介さんの新刊「漂流」。

1994年3月に船が沈没し、37日間もの間、救命筏で漂流した漁師の男の物語。フィリピン人の船員たちと、本当に死ぬような思いをした日本人船長は、なんとか無事生還する。が、そんなひどい思いをしたのにも係らず、何故か再び海へと旅だち、そして今度は二度と戻らなかった。(今でも生きているかもしれない)

宮古島のとある漁港に住む、海の男の物語。いや〜なんつーか、とてもパワフルでした。

海の男っていうと、いつだったか読んだマツコ・デラックスのエッセイを思い出す。マツコがいろんなタイプの有名人の女性を切って行くエッセイ。タイトルは忘れたが、中でも谷亮子、川島なお美などの章が面白かった。その本の中でマツコは叶姉妹にも切り込み、あぁいう女と寝ることが出来る男というのはITビジネスで成功したちょっと出の奴や、ベンチャーやってる実業家とかではない。「ねぇちゃん、いいケツしてるやんか!」といきなりお尻を触れる自分の腕一本でやってきた遠洋漁業の漁師だ、と分析している。それに私はいたく共感した記憶がある。私の中の漁師のイメージは,今でもそんな感じだ。(叶姉妹のイメージも/つまりどちらもあまり上品ではない、ということか?笑)

角幡さんのこの本。まず、最初の章でもうやられた。この、読み出しでグッと掴まれる感じといい、そして絶対に読者は離さないこの感じといい、ホントに角幡さんはすごい。文章が上手いってこういう事を言うんだろうなー。

こういう文章を読んでいると、こんなスタイルで音楽評論を書く人いないかなぁ、とか、いっつも思っちゃう。そしたら音楽みたいに、本来言葉じゃ全然伝わらないものの、ものすごく新しい魅力を発見できるんじゃないかと思うんだが。……ま、それはさておき。

この本は角幡さんが初めて探検をしないで書いた本である。いや、厳密に言えば朝日新聞記者時代に書いた黒部ダムのルポルタージュもあるのだけど(それはさすがに大ファンの私でもレアすぎて未読)、とにかくひたすら取材につぐ取材と、あとは漁船に体験乗船しているくらいで、どちらかというと探検ではなく「記者」「ジャーナリスト」的な立ち場で書いた本だ。でも、探検家だからこそ分かる、いや、角幡さんだからこそ分かる漁師=海洋民の内面ってのが、めっちゃ凄いわけなのだが。

しかし、どうも前半、私は頭が悪いのか漢字の固有名詞がどうも覚えられず、最初の20%を読んだところで、最初からちゃんとメモを取りながら読めば良かったと、さっそく後悔した。島の位置関係は巻頭の地図で確認するとして、船の名前、人の名前が、どうも覚えられない。「アグルーカの行方」があれだけ複雑な話なのに理解できたのは、あっちの場合、固有名詞がカタカナだったからかも?!とか思ったりして…。まぁ、のっけから期待500%で読んだから、それも邪魔したのかもしれないが。

が、しかし! 取材が進んで、そこから漁師というか海洋民の、内面への考察が始ると、これが俄然面白くなる。っていうか、角幡ワールド全開!! めちゃくちゃパワフルだよ!! 7章あたりからもうグイグイと引き込まれ、そして、あっという間に終わってしまった。私が乗り切れなかった前半も、終わりまで読めば、後からジンジンと響いてくる。なるほど、こういう事か…みたいな。読み進めていくうちに、世界が、ぱあぁっと開ける感じが…いや、違うな…さらに重く深くなる感じがとてもいい。ホントのところ海洋民なんて自分とはまったく違う人間で、実際私は彼らの何も分かってはいないのだが、この読後感たるや、すごい。いずれにしても、もう1回読んでみよう。今度は名前のメモを取りながら。そしたら前半も、もっとのめり込んで読めるのかもしれない。そしてさらにこの世界に深く入り込めるかもしれない。

この「生」と「死」の境目が希薄な感覚。そして「こんな風にしか生きられない人たち」。それらを、この本はするどく描きだしている。途中「仕事は辞められるが、生き方を変えることは出来ない」みたいな記述があり、もう私は最高にしびれまくったのであった。ううう、かっこよすぎるよ! 

で、果たして、この新作は、私が死ぬほど好きで何回も読み込んだ角幡さんの前作「アグルーカの行方」を越えられたのだろうか? それは分からない。でもすごいね、角幡さん。なんつーか、毎回毎回文学度が高いっていうか、ご本人の言葉を借りれば、作品が「ゴシゴシ磨かれた度」(角幡さんと高野さんの対談本より)が高いっていうか、完成度がやっぱりハンパないよ。角幡さんの作品はロックの名盤みたいだ、って言ってた人がどっかにいたけど、それ、すごい分かる。この本も昔の文豪さん(って誰?/笑)が書いたクラシックな名作みたい!

早くも次の本がホントに楽しみ。次の本こそグリーンランドの真っ暗な「極夜(白夜の反対)」の話になるのだから。そしてそれこそ、おそらく人間の内面をグイグイえぐり出すようなすごい話になるに違いないのだから。

しかし先日読んだルーシー・ブラックマン事件を扱った「黒い迷宮」もそうだったけど、最近は角幡さんや高野さんの本を買うために本屋のノンフィクションのコーナーに行く機会が増えたんだけどさー。なんつーか、並んでいる本のタイトルや帯キャッチを見れば見るほどに、えぐい物が多いんだわ。ノンフィクションのコーナー。何人殺したとか、親殺したとか、子供殺したとか、コンクリートに埋めちゃったとか、猟奇的な事件の裏を追うとか…。小保方本も今だ売れているみたいだし。そういったものに比べたらある1人の漁師の漂流事件なんて、インパクトが薄いかもしれない。が、この本は、ホントに深い。すごく深い。海みたいに深くて広い。海に出て行く男、浜で待つ女。それをここまで深く、えぐりとった本は他にはないんじゃない。そういや、角幡さんがどっかで言ってたなぁ。漁師に取材ってすごく難しいんだって。彼らは論理的に語るのが苦手な上に、何言ってるか、さっぱり分からないんだって。だから普通漁師のノンフィクションは物語にしちゃう事が多いんだって。それをノンフィクションで書きたかった、って言ってたな。もちろん彼ら漁師の生き方を「私とは違う」とバッサリ分けてしまうことは簡単だけど、それじゃ意味がないと思うんだ。彼らの奥深くまで切り込んでいった角幡さんの取材力とペンの力に感謝。

あ、そうだ。あと「アグルーカ」と比較してばっかりで申し訳ないのだけど、「アグルーカ」よりも笑える部分が少ないようにも思った。角幡さんの文章って超文学的なのに、ユーモアが効いてるっていうか、そこが魅力なんだけど、でもそのユーモアってどちらかというと自虐的なんだよね。だから、そういう部分はご本人が探検してないと出ない部分なのかもと思った。

でも、あーあ、また凄い本書いちゃったわ、角幡さん。でもって、これもまたなんか賞とか取るんじゃないかな。角幡さんは、もう偉くなっちゃって、ウチの公演チラシに写真とか貸してくれないかもしれない。

さて角幡ウヤミリック君(グリーンランド犬)がモデルになった「辺境の歌コンサート」一時はチケットが売り切れましたが、多少調整してまた追加販売しています。とは言っても残券少なし! 興味がある、と思っている皆さん、お早めのアクションを。詳細はこちら。



9日には角幡さんの「はじめての海洋ノンフィクションを、僕はこう書きました」というトークショウが、新潮社のあの高いもんばっかり置いてる(笑)KAGURAじゃなかった、La Kaguで行われる。私はとっくに申し込んだけど、この本の裏話が聞けるのが楽しみ! またそのイベントの報告などしていきたいと思います。



PS
角幡さんのイベントこっちでもあるよ!