とある劇団の最期

荒川土手の夕やけ


先日久しぶりに観劇に出かけた。劇はあまり見るほうではない。今んところ生涯20本以内ではないだろうか。なのになぜそこへ行ったかというと、その劇団がベースにしている劇場が近所にあったからだ。近所を歩いていて「いったいここは何屋さんだろう」と思って良くみたら、そこは劇場だった。

気になって場所の名前をメモり家に帰ってググれば、その劇団は年内いっぱいで解散してしまうらしい。劇団主宰者は疲れたようにホームページに書いていた。「ある時期から演劇は戦いだと思ってきた。でも、何と戦っているんだろう。観客と? 劇団員と? 作品と?…」そして「演劇は戦いではない」というのが、今の結論だという。

気持ち、分かる。お客さんが少ないのかな… 下手すりゃ出演者の方が客より人数が多いパターンって結構あるのよね。何はともあれ、とにかく出かけてみることにする。

平日の昼間だというのにお客は15名ほどいた。これは悪くない数字ではないだろうか。こんなに駅から遠い、分かりにくい場所なのに。私の経験から言わせてもらえれば、ライブだって5人くらいしかいないケースもある。最小記録は… いつだったか、江古田のライブハウスで出演ミュージシャンの奥さんとたった2人でみたライブもあったっけ。100人は入る会場だった。かと思えば、私がいつもすごい金額を出して借りている500人入る渋谷のライブハウスで、お客が10名くらいしか入ってないライブをみたこともある(おそらく全員招待者)。

東京は驚くほど多くのイベントがあり、そのほとんどが赤字で、主催者は皆、動員に苦労している。満杯だ、ソールドアウトだ、なんて言っているのは、ほんの一部だけだ。みんなそんな中で必死に生きてる。

で、肝心のその日の劇の内容はというと、これが凄く良かった。劇団オリジナルの作品ではないのだが、今まで見たどの劇よりも良かったかもしれない。小さなスペースを利用しての、大した音響もライトもない中で……いや、何もないからこその迫力だった。俳優さん誰もが最高の演技だったと思う。今まで見た劇の中で、もしかしたら一番良かったかもしれない。(ちなみに私は過去においては紀伊国屋シアターとか結構大きな公演も見ている)

そして現場を見る事で、主宰者が「戦ってきました」と言っていたのもちょっと理解できた気がした。この公演、チケット代はおどろくほど安いのだが、オリジナルグッズが販売されているのは良くあることとして、入場のたびにスタンプを押してもらって3回くるとなんかがもらえるとか、劇場ではお食事もありますよとかとか、いろんなことを何度も告知される。入場時にチラシを渡されるのはもちろん、劇が始る前に前説もあって、とにかく更に追加のお金を使うよう促される…というか、そうさせる努力がそこここに見られる。もう考えられることはすべて目一杯、主催者が努力しているのが分かる。さらに「このチケット代では安いと思う人は是非この投げ銭ボックスへ…」と説明される。

加えて劇が終わった後には、夜にも本番が控えているにもかかわらず、俳優とお客さんとの交流会みたいなものまであるという。とにかくお客さんをがっつり組みこんでしまおうという努力がすごい。

さすがだなぁ、すごいなぁと思う反面、でもそれは本筋と違うのではないかとも思った。確かにこの状況は、間違いなく「戦っている」とも言えるだろう。こんなに私たちは努力しているんだよ…という気持ちがビシバシ伝わる。確かにこの劇団に比べたら私なんて全然戦ってない。

でも、ちょっと思うのは… これだけ良質の演劇であるならば、最初にもっとちゃんとした値段でチケットを売る事で戦うべきなんじゃないだろうか。そもそも観劇に客がもとめているのは、俳優とペラペラ世間話をすることではない。オリジナルグッズの購入でもない。もっと、非日常的な何か、安直な言い方をすれば気分転換ではないだろうか。あまりの素晴らしい演技に打たれ、見ている間は、すっかり普段の憂さや嫌な事を忘れ、終わったあとも心ここにあらずという状態で帰宅するのが本来の目標ではないだろうか? 

確かに最初の入り口は低い。それはいいことだ。そうやって安く入場させておいて、多くの「追加のお金を使う事」が観客の自由意志にゆだねられている。それは良い事なのかもしれない…。が、お客として劇場に入ったら、もうお金みたいな現実のことは忘れていたいってのが本当なんじゃないのか?

いつも思う事なのだが、演劇の人たちはすごい努力家だ。ちょっとした文化関係のレクチャーを聞きに行くと、劇団の人とか熱心に聞いていて、補助金の申請やら何やら…とにかくすべてにおいて勉強熱心なのは、音楽イベントじゃなくて演劇を作っている人たちだ(あくまで私個人の印象)。音楽イベントだって大変だけど、演劇はさらに大変なんだろうと勝手に想像する。っていうか、演劇の人たちの方が、出演者が自らマネジメントを手がけたりしている事が多いせいか、「無理してでもやりたい」気持ちが高いのかもしれない。そして皆さん,大変な苦労をしょいこみながら続けてらっしゃる。

あ、そうそう、カルチベート・チケット・システムってのも、面白いと思った。演劇の世界ではよくあるシステムらしい。つまりお金に余裕のあるお客が2名分のチケットを払い、お金のない誰かを招待してあげる、というもの。が、それもチケット代が極端に安いから可能であること。そして、私には、どちらかというと、先日友人がツイートしていた「日本の金持ちは公演チケットにお金を使わない。むしろ招待券をねだる」という方に納得してしまうのだ。

最近ホントにいろいろ悩む。そもそもこんなに地震が頻発し、もうすぐ首都圏直下だってあるだろうに、いまだ原発を止められないこの国で、人をたくさん集めて何かをやるなんて、そのリスク自体が正気の沙汰ではないのかもしれない。

普段からそんな風に考えている自分に、終わりに近づいた劇団は何か啓示のようなものを与えてくれるのではないか、と期待して行ったのが…

…いや、私にいったい何が分かるというのだ。

こんな状況下で続けていく「演じること」っていったい何なんだろうか、と思う。

多くを知っているわけではないのだが、「俳優」を職業にする人というのは普段はおっとりしていて弱々しい印象を受ける人が多い。役が入ってやっと軸が出来るというか、人間として落ち着くというか、そういう人が多いと思う。彼らは人を楽しませるためにやっている、という感覚が希薄なのかもしれない。(というか、人を楽しませるためにやる人はTVに行くんじゃないだろうか)そうしないと生きられないから演じているのだ。そうだ、これは芸術であって、エンタテイメントではない。であれば、なおさら…小銭を集めることはいったいどうなんだろう。

いやいや、何度も言う。私に何が分かるというのか。彼らは人一倍努力している。ただ1つ言えることがあるとすれば…演劇は絶対に戦いではない。だが、人生は戦いである、っということだ。どんな職業であっても。

いずれにしてもこれだけ素晴らしい物を見たあとに、あんなに真剣な演劇をしていた俳優さんとペラペラ話す気持ちにはなれず、とっとと劇場を出た。そしたらまだ外が明るくてビックリした。1時間ちょっとの芝居だったが、完全にその世界に入ったなぁ、持っていかれたなぁ、と思った。いずれにしても続けたいだろうに終わってしまうというのは寂しいことだと思う。本当におつかれさまでした。