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2017年10月18日水曜日

ウォリス・バードの来日までもうすぐ! 「Moodsets」

ウォリスのファーストでかっこいいといえば、この曲。こんなライヴな感じなヴォーカルをスタジオでレコーディング出来るんだから、すごいよな…



初期のライブ。これも



Home videoシリーズ。凄い勢いで食べてます…食べながら歌う(笑)



これはもっと最近のライブから。バンドなしでも全然かっこいいね。パンクな感じがよく出てる。



やっと晴れた。洗濯をしてから出かけよう。

ウォリス・バード来日公演。詳細はこちら。チケットの輸送時間を考慮して、あと2週間くらいでホームページでの通販は締め切りますので、お早めに。


2017年10月17日火曜日

ウォリス・バードの来日までもうすぐ!「Blossoms In The Street」

これウォリスのデビュー曲なんだよね。よく出来てるプロモ・ビデオ。ちゃんと「足の毛を剃って誰かが触ってくれないかしら、と思う」ってのが、映像化されているのがすごい(笑)


Wallis Bird Blossoms In The Street from MXX on Vimeo.

インタビューで、ウォリスは過激な歌詞はアニー・ディフランコの影響だって言ってたね(笑)

それにしてもいい曲。初期のライブだけど、これとかも楽しそう。ウォリスの曲って、シンプルなようで、こんな風に2つのリズムというか、ベースになるフレーズが1つの曲の中に流れていることが時々あって、それがかっこいい。



これもパッパララパッパ〜が2:27から始まり、実際の曲が始まるのは2:45くらいから。このイントロのギターが流れると上がるよねぇ〜



こっちはもっと最近のライブ。冒頭で弦を切って、相棒のエイダンが大活躍(笑)しかしテンションが落ちないのがすごい。このままどうなっちゃうんだろう、と観ているこっちはヒヤヒヤだけど、観客に手拍子させて、そのまま1分ごろ曲へ突入!



それにしてもウォリスはYou Tube映像が多い。早く来ないかな〜 楽しみ! 来日公演は11月6日(月)19:30より Star Pine's Cafeにて。情報はこちら。
なんだか急に寒くなっちゃった東京ですが、ウォリスが来たらあったまるかな。チケットの輸送時間を考慮して、あと2週間くらいでホームページでの通販は締め切りますので、お早めに。

前のライブを佐藤エースケ氏がレポートしてくれたやつ。前にも紹介してるけど再掲。ありがとうございました〜 今年もきっとすごいよ。


来日までもうすぐ:チーフタンズ物語(11)

(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)からの続きになります。いよいよアイリッシュ・フルートの神様:マット・モロイが登場しますよ。


チーフタンズは積み重なる激務で疲弊していたものの、自宅で充分に休養を取ったパディは負けていません。アルバム作りにおける音楽的権限をさらにメンバーに与えることで、パディはメンバーを説得します。そうして制作された「チーフタンズ7」にはこの頃のバンドの様子がかっちり収められています。

とにかく当時のパディといえば、コンサートのブッキングからマネジメント、そして新しいレコード会社のコロンビアとの交渉を自分ですべて引受けていたのでした。そしてこの年の3月15日にはのちに恒例となるニューヨークのカーネギーホールでの公演をスタートさせます。一方で、お家を素敵なウィックロウに移すなど、パディと奥様のリタ、3人の子供たちの私生活も充実していきます。 この家にはとても素敵な大きなガラスばりのミュージックルームが出来て、ここがパディの仕事場になるのです。

当時パディが耐えていた重圧は本当に察してあまりあるものがありますが、それでも「チーフタンズ8」の頃になると、だいぶバンドの仕事のパターンが出来てきて仕事もやりやすくなってきます。(それだけバンドのマネジメント力が強くなり、成功しているということだと思います)アルバムは、常にツアーが静かになる秋に取りかかり、あっという間に制作してしまうようになりました。レコーディングにおいてのチーフタンズは常に録音に新鮮さを保つようにとても気をつかっていました。

そうこうしているうちに、チーフタンズに新しい変化が訪れることになります。マイケル・タブリディは、ついにかつての職場へと戻っていくことを決意します。彼はかねてからステージにおける恐怖を語っており,本番前に十分な練習時間が取れないことに不満を感じていました。そしてアメリカ・ツアーではショーン・ポッツが飛行機のトラブルに切れてしまい、もう二度とツアーはしないという結論にいたったのでした。ポッツも郵便局へと戻っていきます。一方でショーン・キーンやケヴィンは、パディの説得のもと、バンドに残ることを決意したのでした。

パディも両手にあまりある業務量に本当に疲れていました。ここで新マネージャーとして登場するのが、のちにリバーダンスに着手することになるモーリス・キャシディ。(だからパディに言わせれば,のちに桁違いの成功を収めるリバーダンスの、ああぃうステージのアイディアは、チーフタンズから学んだんだ、という結論になるわけです。それは確かにそうかもしれない)。

そしてチーフタンズに新たなフルート奏者が加入することになります。それがマット・モロイでした。マットは1947年1月12日、ロスコモン州に生まれました。お家は代々続く音楽家の家系で、3人息子の末っ子であるマットも伝統音楽の洗礼を受けて育ちました。12歳の頃にはマーチング・バンドに入って、父親がフルートを教えてくれたのだそうです。

1964年、マットは兄が勤務していたエア・リンガス・アイルランド航空の航空機整備士のコースに合格し、そこから工科学校に送りこまれ、全日制で四年間航空工学を学ぶことになったのでした。(チーフタンズの全員、真面目でお勉強が出来て、優秀ですよね… みんな音楽家になってなくても成功していたと思うわ)

そしてマットは当時から、その当時チーフタンズをスタートさせていたパディ、フィドラーのトミー・ピープルズ、リアム・オフリンなどともパブで演奏するようになっていったのです。ハンサムで優しいマットは当時から女の子にモテモテだったらしい。お洋服もかっこよく、スタイリッシュでダンディだったのでした。(今でもそうですけどね!)70年代になりエア・リンガスの正社員となったマットでしたが、音楽はあくまで副業。ちなみにのちに奥様となるジェラルディンさんとは、この時、エア・リンガスで出会っているそうなのです。


73年。ドーナル・ラニー、トミー・ピープルズ、パディ・キーナンらとマットが始めたのが、ボシーバンドです。ボシーバンドは、アイルランド音楽史上、もっともイノヴェイティブなバンドとして、大変な人気者となるわけです。

74年になり、マットは会社から半年の休暇をもらい音楽で生計がたてられるかどうかボシー・バンドにかけてみることにしたそうです。また76年にはマット は初のソロ・アルバム「マット・モロイ」も制作しています。マットがアイルランドのNo.1 フルート奏者であることは名実ともに明らかでした。

こちらは77年のボシー・バンド。かっこいい!



しかし一方で、チーフタンズではありえないほど、マットたちボシー・バンドはロックン・ロールのマッドな生活にハマっていってしまうのです。そしてついに、77年後半、マットは日頃の不摂生がたたり結核だと診断されてしまいます。フルート吹きなのが幸いして、異常に早めに気づいたから良かったものの、2年もの間、通常の生活を取り戻すことは出来なかったのでした。そのうち2ケ月は本当に寝たきりだったそうです。

79年ボシーバンドは解散。マットはソロでクラブ回りをする生活に戻っていきます。途中79年の春にドーナルに誘われてプランクシティの再結成に参加したりしますが、アルバムがリリースされてツアーが終わるとまたマットは静かな生活へ。

そこに絶妙なタイミングで電話をかけてきたのがパディでした。チーフタンズのツアーにゲストで参加しないか、と。

「パディはよく知っていたし、ショーンとも友達だった。チーフタンズの音楽はとても尊敬していたんだ」とマットは話します。マットが初めてチーフタンズと一緒にステージにたった時はヴァン・モリソンの前座だったそうで、そのままマットは英国ツアーをチーフタンズと一緒に回ると、次のアルバム「チーフタンズ9」にもゲスト参加したのでした。

しかし、それでもマットはこの参加は一時的なものとして捉えていました。だから普通に友人のリアム・オフリンとイングランドのクラブツアーを計画していたんだって。そこにパディが連絡をいれてきて「アメリカに行くぞ」と言う。「あれ、バンドに入っていると前に言わなかったかね?」ととぼけるパディにマットは「言われたような気がするけどな」と答え、気をきかせたリアムが別のミュージシャンの代理をたててくれた事もあり、マットはそのままチーフタンズの正式メンバーとなったのでした。

やっとこれで日本のファンがよく知っている初来日当時のチーフタンズのメンバーになりました!! このメンバーでのちに日本の地も踏む事になるわけです。

(12)に続く。



チーフタンズ来日公演の詳細はこちら。
11/23(祝)所沢市民文化センターミューズ アークホール
11/25(土)びわ湖ホール
11/26(日)兵庫芸術文化センター
11/27(月)Zepp Nagoya
11/30(木)Bunkamura オーチャードホール 
12/2(土)長野市芸術館メインホール
12/3(日)よこすか芸術劇場
12/8(金)オリンパスホール八王子
12/9(土)すみだトリフォニー大ホール



PS
この夏に行なわれたパディの最新インタビューも続々と発表になっています〜! 必読。

2017年10月16日月曜日

ウォリス・バード、CDジャーナルさんWebでご紹介いただきました!

 ウォリス・バード、CDジャーナルさんWebでご紹介いただきました! 応援、ありがとうございます。


しかしここでも紹介されているけど、あの時の山口さんとの収録は良かったよね… 2人のミュージシャンシップを思うと涙が出るよ。音楽ってホントに美しいよ。これ出会って打ち合わせなしで、ファースト・テイクなんだよ。ウォリスから洋先輩に事前に送られたメッセージはただ一つ。「好きなようにしてもらっていいから」と。



山口さんがウォリスから視線を外さないのがいい。そして音楽家は家の中でも帽子をかぶっている、ってのがいい。

ウォリス・バード来日公演、もうすぐです。11月6日(月)Star Pine's Cafeにて19:30から。詳細はここ。 

山口さん、ありがとう。

これ、印刷したあとに(月/祝)じゃねーよ!と気づいたのでした(笑)

ウォリス・バードの来日までもうすぐ! 「The Circule」

気がつけば… ウォリス・バードの来日までもうすぐじゃないですか! それにしてもバタバタな毎日。今回はウォリスはオーストラリア・ツアーの給油地(ヨーロッパからオーストラリアへは一気に飛べないからね)に日本を選んでくれて、1回だけ急遽公演を行うことになりました。あまりに急に決まったので会場が取れず月曜日公演になっちゃいましたが、ぜひ皆さん、ウォリスの元気な姿を見に来てやってください。

今回は新作があるわけでもないので、特にニュースはないけれど、来日までウォリスの曲をちょっとずつ紹介していこうかな、と思ったりしています。

まずはファーストアルバムから… 私が大好きな「The Circle」


このころのウォリス可愛いーーー 11年前だよ。エクボがいいですね。


これも比較的初期の頃かな…


 最近のライブではこんな感じ…
 

当時はこういうホームビデオシリーズってのがあった。自宅で撮った映像。これはフィギュアスケートなのか、体操なのか…よく分りませんが、 ウインター・オリンピックだそうです(爆)


すごい熱演ですが、残念ながらポイントはゼロ! がっかり!

なんだか急に寒くなっちゃった東京ですが、ウォリスが来たらあったまるかな。ウォリス・バード来日公演。詳細はこちら。チケットの輸送時間を考慮して、あと2週間くらいでホームページでの通販は締め切りますので、お早めに。

2017年10月15日日曜日

映画「J:ビヨンド・フラメンコ」を観ました。


映画「J:ビヨンド・フラメンコ」を試写で拝見しました。ありがとうございます。



いや〜、実はスペインって行ったことないし、彼の地の文化ってまったく疎い私なのですが、大好きなカルロス・ヌニェスが出ているのというので、さっそく観てきました。巨匠カルロス・サウラ監督最新作「J:ビヨンド・フラメンコ」

そもそもフラメンコが何かということもよくわかってない私ですが(でもフランコ政権が保護したから、こんなにスペイン=フラメンコってイメージが強いんだよね?)、映画のチラシによると、これはフラメンコのルーツともいうべき「ホタ」の魅力にせまる映画。基本的には淡々とアーティストが紹介されるだけなのですが、まぁ、スペイン音楽/ダンスファンにとってはたまらない内容になっています。

カルロス・ヌニェスは、あの軽やかなリコーダーの音が2秒聴こえた瞬間、「❤」。一発で分かりましたよ。そしてやっぱり一番目立ってた。映画通して演出を極力抑えた画面なんですが、カルロスは結構はじけてました。あ、あとカニサレスはやっぱりかっこよかったなぁ。こうして考えるとホント、プランクトンさんで来日させてくれなかったら、私はまったくスペインの文化に触れることが出来てないんだな、と改めて思いました。

 …みたいなことを、ちょうどこの試写のあとに訪ねたプランクトンさんのオフィスで話したら「そんなことない、音楽はともかくダンサーは結構来日してるわよ」とのことでしたので、単に私のアンテナが低いのか? なかなか自分のテリトリー外は、同じヨーロッパと言えどもフォロー出来てませんな…

しかしスペインって国がデカいし、そもそも文化圏も複雑でたくさんあってそれぞれが個性的なので、よく分からない。いろいろ勉強したら面白いんだろうけど、なにせ時間もないからなぁ。カタルーニャは、でも、今、大変なことになっちゃってるよね。そのくらいは私も知っている。

詳しくはwikiをご覧ください
フラメンコのルーツが「ホタ(jota)」ということなんだけど、日本語の情報をネットでググってみただけではよくその流れがいまいち理解が出来なかった。

そもそも何をもって「フラメンコ」は「フラメンコ」と称されるんだろう。 「ホタ」はどのようにして「フラメンコ」になるのだろう。そのへんが知りたくなった。

…と思ったらいただいた資料に濱田滋郎さんの詳しい解説が! それによると、スペインは民謡舞踊の宝庫でフラメンコ=スペインの民族文化としてはいけない、という。ふむ。それは私も分かるぜよ。

そしてスペインにはフラメンコ以外にも興味深い音楽がたくさん存在していて、その代表格が「ホタ」であるというのだ。(ん?じゃホタはフラメンコのルーツというわけではないのでは?…と思った人、もう少しこの後の説明を読んでみて)スペイン東北部にあるアラゴン州。カタルーニャにも近いが、より内陸に位置しているのがアラゴン州で、ホタはここを代表する音楽舞踊なんだって。

「ホタ」の起源などははっきりしていないものの、19世紀にはこの地を代表する文化として知られていたのだそうで、リストなども「スペイン狂詩曲」の中に「アラゴンのホタ」を含めている。

「ホタ」の特徴としては器楽と歌が交互に置かれること(ポーランドのマズルカみたい!)、ギターやマンドリンみたいな弦楽器が器楽部分を担当すること。そして歌は男もしくは女のソリストによって歌われ、ほとんどがメジャーコードだということ。踊りは活発なリズムが特徴(だいたい3拍子/ポルスカやマズルカと一緒)。男性は勇ましさをあらわすために跳躍があり(これがフラメンコとの大きな違い)、女性は優美な愛嬌をあらわす。

そして本場とよばれるアラゴンのホタだけではなく、ホタとよばれるもの、同じ系統のものがスペイン各地に点在していて、バスク、バレンシア、スペイン中央部、西部、北西部にもホタが歌われて踊られている地方があるのだそう。そしてそれはフラメンコの中にも見られるんだって。なるほど!

正直、私にとっては、この映画を観ていてフラメンコとホタとの違いがはっきりとは分からなかった。でも最後のカーニヴァルのシーンとかは、どっかで観たことあったなぁという既視感があったなぁ。なんでだろう。でもこのどこの国の文化でも古くからあるものには「懐かしさ」みたいなものが感じられる、ってのはここでも感じました。

監督はフラメンコをずっと撮ってきた人だけど、ここへ来てスペインの多様性、そしてフラメンコ以外のスペインということを残したかったのかもしれない。…とか、思ってたら、監督の生まれ故郷はこの「ホタ」の故郷、アラゴン州だそうじゃないですか! なるほどね〜! 

あ、そうそう、映画のカルロス・ヌニェスはタンバリンの女性たちを従えていて、そのパフォーマンスは7月にノルウェーで観たこのガリシアのアーティストを思い出させた。



映画のトレイラーに、こんな映像も発見! カルロスの演奏シーンの一部が紹介されています。



一方で、You Tubeで見つけたこの映像のコメント欄では、「フラメンコ」「ホタ」論争になっているのも面白い。でもこのダンスが「ホタ」なのだとしたら、フラメンコよりチャーミングで伝統的色彩が濃いって解釈でいいのかもしれない。このくらい違うとわかりやすい。明らかにフラメンコと違う。



スペインについて詳しい方、野崎はよく分かってないので、おっかなびっくり書いております。何か私がヘンなこと言ってたら、是非ご指摘ください(笑)

さて、この映画。やはりダンスものとくれば都内はここが聖地!?(笑)の文化村ル・シネマにて上映。どうやらこの監督の作品はすべてル・シネマが上映しているらしい。岩波=ワイダ、カウリスマキ=ユーロじゃないけれど、それって素敵。ってなわけで、是非皆さんも行ってみてください。11/25より公開です。

2017年10月14日土曜日

We Banjo 3 来日中!! 明日よりツアースタートです!

ローラも室内展示な寒い今日…


行ってきました、さわやかなインストア・イベント。赤パンさん抜きのトリオ・ヴァージョンですが、We Banjo 3です〜


MCもほとんど日本語で頑張ってさわやかな彼ら。ほんとに観ていて元気をもらえる。


おつかれさま〜サインももらったよ!! 明日からのツアー頑張ってください。


他にも彼らはイントキシケイトさんのインタビューも受けたみたい。掲載が楽しみ!!


明日は所沢公演。そして渋谷クアトロや梅田クアトロ、LIVE MAGICへの出演が続きます。詳細はこちらへ。


映画「猿の惑星 聖戦記(グレイト・ウォー)」を観ました 


エイプス!!!!
トゥギャザー!!!!!!!
ストロング!!!!!!!!!!!!!!!



観ましたよ!! 観ましたとも!! 公開初日の初回で!!! 前作は確か海外で最初に観て、日本に帰って来て字幕付きで観て、友達と一緒に再度観て、超満喫したのでした。今回は海外では夏に観れたはずのに、あと数日で公開というタイミングで帰国せねばならず、またやってると思った機内放送でもやっておらず、日本で公開される今日の今日まで観ないままいたってしまった「猿の惑星 聖戦記(グレイト・ウォー)」

今回も素晴らしかった! そりゃぁ、まぁ脚本が甘いとか、ストーリーがパターン化してるとか、いろいろあるかもしれないけど、まず大前提としてあるのは「これはヒーロー映画だ」ということなんです。

ヒーロー映画はヒーローがかっこ良ければそれでもう充分なの。シーザー、ホントにホントにホントに、超かっこ良かった。今、私がかっこいいなと思うものは、探検家でノンフィクションライターの角幡唯介さん。それからこの「猿の惑星」のシーザー。どちらもゴリラかゴリラに似ていて、大変なインテリジェンスの持ち主。(でも後で気づいたけど、シーザーはゴリラじゃなくてチンパンだね)そして今回、映画を観て気づいたことがある。それはシーザーも角幡さんもどちらも「考えている」もっと言えば「悩んでいる」そして「迷っている」ということだ。

角幡唯介さんの著作はどれも素晴らしく、それが例え軽めのエッセイであったとしても「生きるということはいったいどういうことか」ということが丁寧に考察され、ご本人があれこれ考えた形跡が文章にありありと感じられ、そしてその深さにびっくりするほど感動してしまうのだが、一方で、シーザーもいっつも悩んでいるのだ。どうするべきか、どう生きるべきか。自分はなぜこんな運命にあるのか。人間と猿とは共存できるのか。その迷える、悩むからこそのインテリジェンスが彼自身の中に存在しているから、2人ともかっこいいのだ。

インテリじゃない奴は、猿でも人間でも悩まない。 あいかわらず人間は大バカで、自滅していくのは当然なのだが、一方で分かりやすい悪役の大佐というキャラクターは悪くなかった。自分の家族を犠牲にしてまで信念をつらぬく…というか迷いがない男。それは不気味だが、バカな他の人類よりは、まだマシだ。こういう男は悩まない(いや,人間である以上、サイコパスでもない限り悩まないわけがないのだが)。だから行動が、なんというか徹底している。こういう不気味な政治家やリーダーにバカな人類は引きずられ、やがて自滅していく。そんなことも描かれているのだが、まぁ、でもこのヘンの描き方はちょっと薄っぺらいかな…

一方のシーザーは…ホントにかっこいいね!! もうこの俳優さん(アンディー・サーキス)の演技が、もう最高中の最高。目の動き、鋭さが本当に素晴らしい。他のエイプの皆さんもかっこいい。もうエイプがアップになるだけで、私は悶絶してしまう。あぁ、バカな人間に比べて、猿はなんて、かっこいいんだろう!!! そして今回は特にオランウータンのモーリスがいい味だしてた。拾った女の子に花を飾ってやるゴリラも良かった。そうそうあの女の子は可愛かったけど、それ以上でも以下でもなかった。なくてもいいような役のような気がしたが、映画のポスターに猿だけじゃと思ったのだろうか、やはり可愛い女の子は必須なんだろう。

そうそう、サーキスといえば、この素晴らしい演技。しかもこういうトークショウでも、こんなのがパッと出来ちゃうところがサービス精神旺盛というか,素晴らしいよねー! 40秒くらいのゴリラの「元気?」「元気だよ」のところ、そして特に2分頃の「ゴラムとシーザーの会話」は爆笑です。「指輪物語」みてないから、ゴラムってよく知らないけど(笑)



それにしてもあのシーザーの声は本物なんだね。ヴォコーダーみたいなもん、かけてんのかと思ったよ。

しかし天気の悪い平日の朝イチとはいえ六本木ヒルズの初回における、この人のいなさはすごいなと思った。500人くらい入る大きな会場で10人くらいで観たよ… ほんと映画ビジネスってまったく仕組みが理解が出来ない。週末や平日の夜、レディースデイなどに満タンに入ればそれでいいのか? そして東宝シネマズ… 感想ツイートをググろうとしたら「これRTしてくれたら時計プレゼント・キャンペーン」やってて、一番オーガニックな宣伝効果があるはずの感想ツイートがまったく検索できないではないか! …と、まぁ、うるさいファンでした(笑) すみません…。(ちなみにTwitterクライアントはEchofonです)

ついでにウルサく言うと、HPの有名人コメント。共感できるのは町山さんのコメントだけだった。やっぱり町山さんは、分かってるな。いろいろ考えますが、こういう事を考えるための映画なら、もっと他にいいもんはたくさんあります。別に「猿の惑星」を観に行く必要なし。

皆さんも観に行ってね。こういうヒーロー映画はスカッとすること間違いなし! 劇場情報はこちら

エイプス・アー・ストロング!!!!!!!!!!

2017年10月13日金曜日

来日までもうすぐ:チーフタンズ物語(10)

(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)からの続きになります。

「ナポレオンの退却」をひっさげ、チーフタンズはひたすらツアーを続けます。翌年にはこの超名盤ライヴアルバムを発表するわけです。



この頃のチーフタンズの演奏は、ホントに脂が乗り切っているというか…めっちゃパワフルですね。メンバーも30歳代後半。ある意味、一番ノリノリのころです。







私はこのライヴ・アルバム大好きなんだけど、パディはあんまり気に入ってないみたいね。本では「確かにいいアルバムだよ。だけど、もっと凄いアルバムになっていたはずなんだ」と完璧主義者ぶりを発揮しています。

この頃、2年目を迎えていたマネージャーのジョー・ラスティングとパディの関係は本当に悪化の一途をたどっていたそうです。パディが夏のプロモ来日のトークショウで「マネージメントをマネージ(管理)する」と言っていた、あれですね(笑)。そしてチーフタンズの内部でも人間関係はボロボロでした。特にショーン・ポッツはパディよりも年齢が上の最年長メンバーだったので、パディとよく衝突しました。パディによれば「ポッツは気性があらく、ショーン・キーンもそれに同調していた。マーティンは昔っからちっともかわってなかったから、僕らは仲が良かったな。いつも味方してくれた。タブリディもそうだ。そしてデレクは僕の親友だった」

そんな状態のバンドだったから、新参者のケヴィンにとってもバンドはとても居心地の悪いものでした。ツアー中のチーフタンズはお互いの距離を取って飛行機の席はバラバラ、ホテルは違うフロア、朝食ではお互い話をしない。ということになっていたので、それにケヴィンはあっけにとられてしまったそうです。コンサートが終わればパディとデレクは連れ立って日本食かタイに出かけ、メンバー同士では一杯行く者もあったけれど、ケヴィンはひとりで取り残されることも多かったそうで、ロードクルーの連中と一緒につるむ事が多かったんだって。ツアー中の彼等が顔をそろえるのは、サウンドチェックと本番の時だけ。それはこの頃から徹底していたんですね(でもパディによれば、それがバンドを長く続ける秘訣なんだそう)。

この頃になるとチーフタンズは「ツアーには家族を連れてこない」というルールも打ち立てた。本によれば、それについてはパディも多くを語らないんだそうです。でも「家族を連れてくるのはやめようと全員で決めたんだ」とのこと。一方で、夫が不在中、家をまもるパディ、ショーン、ポッツの奥さんたちは、みんなで助けあい親密な人間関係を築いていたのだそう。

77年の春、比較的ゆっくりしたスケジュールで動いていたチーフタンズだったけれど、裏ではジョーが夏の過酷なツアーを組み立てつつあったのでした。過去最大の日程で、大きなフェスティバルをはじめ、カーネギーホールそしてユニヴァーサル・アンフィシアターなど大会場がチーフタンズのために準備されていたのです。

が、そのツアーにはいけない…と宣言するパディの電話にジョーは切れます。妻の出産を目の前にしたショーン・キーンがツアーを拒んだことが大きな原因だったんですが…「彼の最初の子供ってわけじゃないじゃないか」「なんなら保育士をやとってやる」「あんな会場をいくつも押さえられたのは俺の力なんだぞ。キャンセルするというなら、もうオレは君たちにはつきあい切れない。私は辞める」

しかしパディの判断はNOでした。マネージャーを失い、アイランドレコードから切られたとしてもツアーをキャンセルする以外、チーフタンズを維持する方法はなかったとパディは話しています。ここで終わりです、ジ・エンド。

しかし、不屈の精神でパディはコロンビア・レコードと新しい契約を取り付けます。家族を優先したあの時の決定についてパディは今でもこのように話しているそうです。「あのツアーをやっていれば、僕らはもっと人気が出て金持ちになっていたかもしれない」そしてジョーに対しても「あちこちでコンサートできたのは彼のおかげだと思っている」とメンバーも語ります。「彼がチーフタンズが飛び立つための滑走路を用意してくれたのさ」

それ以降、チーフタンズのマネージャーはめまぐるしく変わっていくのですが、この本が出た当時(1997年)のジョーは、音楽関係の仕事を離れ、映画プロデューサーとして成功を収めているそうです。そしてパディほど管理しづらいアーティストはいなかった、と語っています。「パディのことは今でも大好きだよ、でも手に負える相手じゃないんだ」

チーフタンズはまたライブ・アルバムのリリースにともなうツアーを続けていましたが、この頃になるとメンバー間の亀裂も、とても大きなものとなっていったのでした。イギリスのフォーク雑誌が「ショーンが脱退」という噂を書いたり、アイルランドの音楽雑誌ホットプレスが「チーフタンズ解散説を否定」とか、メディアは好きなようにあれこれ書きたてた。チーフタンズのことをあれこれ言う純粋主義者や音楽ジャーナリストもいたらしく、それは現在まで続いている、とパディは言います。

チーフタンズは今やアイルランドでもっとも成功した音楽集団であることは間違いありませんでした。ボシー・バンド、プランクシティといった他のアイリッシュたちに道をしめしながら、彼らは3つの大陸、13の国を制覇し、25万枚以上のアルバムを売り上げていた。ホットプレスに対してパディは「ある程度の有名人になると足をひっぱろうとする人たちから悪口を言われるのは避けられないことなのさ」と語っています。そして「二度と僕らはアイルランドで演奏しないかもしれない」と、そういった人たちをメディアで威嚇することも忘れませんでした。

10年後、U2のマネージャーであるポール・マクギネスも同じような経験をした、と同誌に告白しています。「率直に言わせてもらえれば、彼らが頭角を現して来た音楽環境には、怠け者がおおぜい住んでいるということなんだ。のんびりした生活をおくり、できる限りの長い時間をパブで過ごしたいという人たちが」(まぁ,アイルランドみたいな国だと努力家の人たちはそう思うのかもしれませんね… オレたちは遊んでる奴らとは違う、と。気持ちめっちゃ分かります)

そして秋になるとついに「家庭内の事情で」バンドを去るとショーン・キーンが正式に発表します。「キーン、チーフタンズを脱退」という文字がメロディ・メーカー誌に踊る。しかし次のメンバーが見つかるまで…とショーン・キーンはしばらくバンドに留まることを約束してくれた… のもつかのま、今度はショーン・ポッツ、マイケル・タブリディ、ケヴィン・コネフの3人までがクリスマス前までに脱退を表明。冗談好きのマーティンはパディに街灯の下にたたずむ3人になったチーフタンズの絵を書いたクリスマスカードを送って来ます。(パディとマーティンそしてデレクだけのチーフタンズ…)苦しいクリスマスだったけれど、パディは家族にささえられ「僕にはティンホイッスルがあるし、いつでも新しいバンドは作れるさ…」と思っていたのだといいます。「でもそうせずに済んだのは… 神様に感謝するしかないな」

いや〜〜厳しい!!! どうなるパディ!? どうなるチーフタンズ!!!?…とあおってみたものの多少のメンバーチェンジはあれど実際のバンドは2017年の今まで続いているわけですから、やっぱりすごいです。こっから先が実は40年なわけですからね(笑)

(11)に続く。


チーフタンズ来日公演の詳細はこちら。
11/23(祝)所沢市民文化センターミューズ アークホール
11/25(土)びわ湖ホール
11/26(日)兵庫芸術文化センター
11/27(月)Zepp Nagoya
11/30(木)Bunkamura オーチャードホール 
12/2(土)長野市芸術館メインホール
12/3(日)よこすか芸術劇場
12/8(金)オリンパスホール八王子
12/9(土)すみだトリフォニー大ホール



2017年10月12日木曜日

ケルト市、ご来場ありがとうございました!

イベントやったらレポートは速攻で!が原則なのに、月曜日のイベントを木曜日にやっとブログに書くというテイタラクぶり… それにしても疲れた! 本当にありがとうございました。

こちらはチャイルド・フィルムさんのブース。いや〜、この超素敵なアートブック高額なのによく売れました。


スタッフS撮影。まだ開場してないのにこんなにお客様が並んでくださった… しかし次回は入り口で並ばせたり、あれこれするスタッフも必要ですね。というか、なんとか動員をもう少し上手くする努力が必要ですね…

今回、協力してくださったお客様、先導してくださったお客様、本当にありがとうございます!
めっちゃ雰囲気良かったのがここ。3階の十音さん(リフレ)のブース。めっちゃリラックスできる空間。私も受けたかったよー











さすが手waza市でも鳴らした十音さん、こういう道具もそろっている。素晴らしい。そして十音の番頭さんも、あれこれ会場レイアウトのお手伝いにも協力いただき、本当にありがとうございました。

すごいお客様の数に圧倒されました。ご来場本当にありがとうございました。

ワークショップも好評!

これ買えた人、ラッキーでしたよね。激ウマだったよ…

午後1時頃にはメニューも次々なくなってしまった。カフェも最初の方は激コミで、オペレーションも悪く、ご迷惑をおかけしました。次回からはもう少しあれこれ改良しないといけませんね。



のざきフィンランド土産。

山下直子さんのトークイベントを聞くスヌーピー。

五十嵐正先生は女性が表紙の雑誌がお気に入りのようです。

アウグスビールも途中から品切れに。

これを売るのがどちらかというと重要でした。ウォリス・バードバルトロメイ・ビットマンのコンサートチケット。

レプラもおつかれ〜っっ!

山下直子さんの本も完売。途中追加して、それも完売。ありがとうございました。

某タイとツイードのブックレット。素敵!! それにしても写真が全然取れなかった。全ブース撮影すべきだったんですが…






こちらはライオンビルの素敵なアシスタントさんが撮ってくれた写真。やっぱりプロの方は違う… お世話になりました。

「ケルト市」次回は所沢へ出張。ライオンビルでは、また春くらいに計画したいと思いますが,果たしてどうなることやら。

Night Ride To Armagh

ブライアンがアーマーの観光映像の為にこの曲を新たに録音しなおしたらしい。(しかしこういうアクセントが私にとっては一番分かりやすい英語です❤)



かっこいいね!! みんな出てくるし。

こちらの映像は昨年50周年を迎えたアーマー・パイパーズ・クラブについて。



しかしアーマー・エリアはヴァレリー一家が牛耳っているからブライアンも大変だよ。良くこの仕事ゲットした!

…で、出来た音楽がこれ。



パーカッションの使い方が面白い。でもドラムはやっぱりジムの方がいいかな。もっともジムが音楽から引退しちゃった今は、リアム以外考えられないけど。(リアムはヴァン・モリソンとかでもやってたすごい上手いドラマー。歌も実はめちゃくちゃ上手い。ドロレス・ケーンのアルバムでHave I Told You Latelyをデュエットしてた)

ジムのドラムは最高だった。この映像を夢中で観ていた頃、まさかこんなに早くこのバンドがなくなってしまうとは思わなかっただろう…



2回目の来日時とか、ホントにすごかったよね。最高のライブだったわ、あれ…ジムはもう音楽辞めちゃったんだよね。KANだけじゃなくて、マンチェスターだっけかのオーケストラの仕事も辞めちゃった。で、今はヨーロッパの超僻地で郵便局員やってる。こんなに才能があるのに残念。もっともジムにとっては家族とゆっくり人間らしい生活を送ることが大事だったんだろうけど。

皆さん、バンドは消えてなくなるものです。行けるうちにコンサート行きましょうね。
KANですが、恐らく世界的にも残っているCDの在庫はここだけだと思います。こちらでCDまだ購入いただけますよ。 

2017年10月11日水曜日

映画「永遠のジャンゴ」を観ました


映画「永遠のジャンゴ」を試写で拝見いたしました。ありがとうございます。

予告編を観ながら、しかしジャンゴを説明するのにジミ・ヘンやサンタナの名前を出さないといけないものなのかな…と疑問に思いつつも日本での知名度はそうなのかな…とも思うご存知ジプシー・スイングの神様、ジャンゴ・ラインハルトの生涯の、戦争をまたいだ時期にフォーカスした映画。

私はこれでもジャンゴけっこう聴いていたんですよ。なんたってキングレコード時代はあの東京ホット倶楽部バンドの宣伝もやっていたし。いや、実際ちゃんと分かって宣伝していたわけではなかったけどね… 懐かしいよなぁ。皆さん、元気かなぁ。小林さんと船山さん以外は、皆さんもうコンタクトが途絶えてしまったけれど…。

さて話を映画に戻して…この主演俳優さんは本物に似ているのであろうか…、最近の伝記映画って、クリソツさんが出ることが多いけど… とにかく登場人物ほぼ全員がタバコをプカプカ。観ているだけでゲホゲホしそうな映画だった。時代だよねぇ。

ホットクラブが英国ツアー中に、第二次世界大戦が勃発し、ロンドンに残ったグラッペリとは反対にジャンゴはパリに戻って来た。そこで…なんとなくのほほんと気紛れなアーティスト生活を送っていたら、どんどん戦争で状況が深刻化し、最終的には難を逃れてスイスへ逃げることになる。が、この下りも細かい話はどこまでが実話なのか、どこまでがフィクションなのかが、はっきり分からない。

実際の彼がこんなに気紛れで時間にルーズで、お母さん、愛人、妻と女性たちに手取り足取りすべて面倒みてもらっているようなミュージシャンだったのかも疑問だ。でも、ジプシーって男社会の割には、女がいろんな意味で家庭の中心だよね。一方、映画の中で自立していてかっこよくて美人の愛人ルイーズは架空の人物らしいけど、お母さんはギャラをあげろと騒ぎたて、妻は愛人の存在を知りながらもジャンゴに付き添う。とにかく女が強いジャンゴ回りなのであった…!

最後の最後にかかるジャンゴのペンによる壮大な楽曲には心を打たれる。あとパイプ・オルガンのエピソードはいいよねぇ…。そしてナチスのミュージシャンに対する無理難題も(ソロは5秒だけとか、テンポはどうこう、ブルーズはダメ、とか)、ホントにこんなだったんだろうなぁ、と思いは巡る。音楽でドイツ軍たちの注意を引きつけている間の脱走激とか、一つ一つのエピソードにハラハラドキドキ。

ジャンゴの生い立ち全部追ったりするよりも、この時期に物語を絞ったことで、凝縮された良い内容の映画になったと思った。それに、なんといっても、この素晴らしい音楽だ。サウンドトラックはローゼンバーグが担当しているという。それだけでも必見/必聴である。

あとは、まぁ、ホントに時代だよ。「ジプシーは戦争をしない」という劇中の主人公の言葉も重かったが、資料でいただいた監督インタビューにあった「ジプシーには領土がなく、所有という感覚もない」というのも妙に響いた。「自分のもの」という「欲」がないから、戦争はしなくていいのだ。それって、めっちゃ基本じゃない〜

最後の最後には「レクイエム」というジャンゴが作曲した楽曲をオーケストラが演奏し、ずしんと重い感覚に覆われる。この曲は一度しか演奏されなかったのだという。見つかった楽譜は未完で、その曲に遺族の許可のもとウォーレン・エリスが補作し、映画で流す楽曲を完成させたらしい。

しかし主演のレダ・カテブ、ギター演奏、頑張ったね。彼はこの映画以前にギターを演奏した経験がなく1年かけて猛特訓を受けたそうだ。でも「20年練習したってジャンゴのようには弾けないでしょう」と話しているそう。



これぞ数少ないと言われている動くジャンゴの映像かな…



こちらはフレアークと来日したりして、一緒にツアーしたことあるオランダのシンティ・ジプシーのバジリー一家。かっこいいねぇ… 彼らはローゼンバーグと並んでもいいくらいのすごいバンドなんだけど… 実際は難しいね。トゥッチィ(フィドル)なんかは、ほとんど今、弾けなくなちゃったし。でもトゥッチィもバジリー兄弟も、演奏は本当に素敵だった… また会いたい。



映画「永遠のジャンゴ」は11/25より、ヒューマントラストシネマ有楽町他にて。

2017年10月10日火曜日

来日までもうすぐ:チーフタンズ物語(9)

(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)からの続きになります。いよいよケヴィン登場。しかしこういしてみると、やっぱりチーフタンズは「ダブリン(ドブリンとも言う)」のバンドなんだなぁ、と思います。


ケヴィン・コネフはダブリンの中心部リバティーズ地区に1945年1月8日に生まれました。(メアリー・ブラックと似たエリア。いわゆる下町な感じですね)お父さんは額縁職人、お母さんは6人の子供をかかえて大騒ぎだったようです。末っ子のケヴィンが二歳の時、お兄さんが病気でなくなり、ケヴィンの一番古い記憶は死んで行く兄の姿だったといいます。家では常にラジオが流れ「家族全員、音楽は大好きだった」そうですが、いわゆる伝統音楽ではなくラジオから流れる流行歌中心で、伝統音楽のことは何も知らなかったそうです。(このヘンもメアリー・ブラックと一緒)

しかしそんなケヴィンが伝統音楽の世界に足を踏み入れるようになったのは友達の影響だったのだそうです。18歳になったケヴィンは印刷会社に勤めるのですが、最初は下働き、そして努力を重ねて印刷技術を身につけると責任ある立ち場をまかされるようになりました。そしてたまたまそこの同僚たちが伝統音楽が大好きな人たちで、週末になるとお金を出し合って車を借りると田舎の方まで伝統音楽を聴きに行ってたんだって。ケヴィンはそんな風にして偶然、田舎の伝統音楽家に出会うのでした。「ただただ美しい音楽のために演奏する献身的な伝統音楽家に対して感じた敬意を、僕はあの日から一度も忘れたことがない。完全にとりこになってしまったんだ」

ケヴィンは週末になると田舎へ足を運び、自分も歌を学びシャーン・ノス(無伴奏の伝統歌唱スタイル)を歌いはじめます。最初のバウロンも3ポンドで購入。またキョールトリ・クーランでのオ・リアダのバウロン演奏を聞き「絶好調の時のリトル・リチャードに負けないくらいロックン・ロールを感じたんだ」と話しています。

ダブリンの伝統音楽シーンの常連となったケヴィンは、パイパーズ・クラブに通いはじめたり、オドノヒューズのパブに入り浸っている間にパディの目にとまったのでした。またケヴィンは自分でフォーク・クラブをプロデュースしたり精力的に活動していました。そこに著名な演奏家であるパディやショーン・キーン、マイケル・タブリディをブッキングしたりもしていたそうです。しかしそういった仕事にはどこか限界を感じていたのも事実です。とはいえチーフタンズのレコーディングに誘われた時、ケヴィンは本当にびっくりしたそう。

そしてレコーディングが始まって数日後、ケヴィンはパディにこの録音だけではなく正式なメンバーにならないかオファーされますが、この時、ケヴィンはパブの椅子から転げ落ちそうになるほどびっくりしのだそうです。「そこまで評価してもらえるのは嬉しかったけど…」「伝統音楽を演奏して、プロとしてお金ももらうことにも道義的な葛藤があった」とケヴィンは話します。「伝統音楽の理想を掲げてきたのに、生活のためにステージで歌うなんて」と。その数年前の自分ならチーフタンズと一緒にやることは絶対になかった、とも。しかしケヴィンは自分が「裏返しの音楽スノッブ」だったということも認めています。「チーフタンズをバカにするのは流行みたいなところもあった。レコードを出しているというだけで、商業主義に身売りした、とみんな決めつけていたんだ」

かーーーっっ、分かる。この感じ、分かる! うーん、この辺はホントに難しい。すべてはバランス感覚だとは思うのだけど… ホントに難しいですね。成功すれば妬みもひがみもある。自分の小さな生活をなりたたせなくてはいけないという葛藤もある… 本当に悩ましいものです。今も昔もレベルは違ってもミュージシャンの悩みは付きません。

そして心を決めたケヴィンが出演した最初の公演は… なんとエリック・クラプトンの前座という、ものすごい公演だったのでした。ケヴィンにとっては、これはダブリンの小さなフォーク・クラブで歌う以外の最初の公演になったのです。

そして76年「ボナパルドの退却」がリリースされました。このアルバムはチーフタンズ初めてのコンセプト・アルバムでした。作品をつらぬくテーマは「イングランドと戦ったナポレオン1世をいかにアイルランドが支援したか」という一般には知られていない史実でした。「歴史書を何度も読み、アイルランド人とフランス人の関係を理解したからこそ、発送できた交響詩」とパディはいいます。

そしてこのアルバムは初めて人間の声を録音したチーフタンズのアルバムになります。3曲の物語歌を聴かせてくれるのは当時17歳のドロレス・ケーン。チーフタンズは長い活動の中で多くの無名のアーティストを紹介する役割を果たしてきたわけだけど、その最初のアーティストはドロレスだったと言えましょう。ゴールウェイ生まれのドロレス、当時はジョン・フォークナーとロンドンに住んでいたのですが「最高の音楽的な声の持ち主だった」とパディはいいます。「すべての偉大な女性シンガーの中で、今でも僕はドロレスが最高だと考えている」

 こちらは「ボナパルドの退却」の2年後にクラダから発売になった彼女のソロアルバム。パディに指摘されるまでもなく名作中の名作。傑作中の大傑作です。



そして私が好きなのはこれ。本当に傑作です。「Brokenhearted I wonder...」この時の旦那のジョン・フォークナーとのデュオ作品。ジョンがリード・ヴォーカル担当なのに、ドロレスの声がものすごく耳に残るんですよね。不思議なトラックです。



彼女はそのあとデ・ダナンに加入したり、素晴らしいソロアルバムをいくつか残しますが
 アルコールの問題で引退状態に。数年まえにアルコールを克服し、乳がんも克服し、奇跡の「復活」を果たしますが、なかなか第一線には戻れていないようです。

ドロレスのこの曲大好き。ナンシ・グリフィスがバックコーラスを勤めています。泣けますね…



(10)に続く。

チーフタンズ来日公演の詳細はこちら。
11/23(祝)所沢市民文化センターミューズ アークホール
11/25(土)びわ湖ホール
11/26(日)兵庫芸術文化センター
11/27(月)Zepp Nagoya
11/30(木)Bunkamura オーチャードホール 
12/2(土)長野市芸術館メインホール
12/3(日)よこすか芸術劇場
12/8(金)オリンパスホール八王子
12/9(土)すみだトリフォニー大ホール



2017年10月9日月曜日

次回ケルト市はこちら!! 11/23(木/祝)所沢チーフタンズ公演



次回ケルト市は、所沢へ出張! 当然チーフタンズの所沢公演へ出張です〜 是非いらしてください! 詳細はここ。

2017年10月7日土曜日

「秋のケルト市」出展者ご紹介:アウグスビール


さて「ケルト市」が行なわれる10月9日(祝/月)ですが、晴れるといいな、そしてあったかくなるといいな〜。というのもこのビールを販売するからです。これ、ライオンビルの屋上で飲んだら、きっと最高に美味いぞぉ〜!

皆さんはクラフトビール詳しいですか? クラフトビールを飲み慣れちゃうと、市販の缶とかで大量流通してたり、妙にキレが良くてキンキンに冷えたビールが気持ち悪くなります。なんか不自然でケミカルで。あぁいうビールって、本当は薬だらけなんですよ。例えばドイツではビールは原材料が水と麦以外に入っているものはビールと認められていないんだって。でも日本のビールの表記をみてください。実はビールといいながら、いろんなものが入っている。

なので、日本で大量流通している物を入れるより,私は「ケルト市」には自信を持ってお薦めできるクラフトビールのアウグスビールさんに来てもらうことにしました。なんでギネスがないのかと文句を言う人もいるだろうな、と思ったけど(笑)、自分が疑ってるものを売るのはもっとイヤなので。

酵母が生きてる!
大量に流通させることが目的のビールは保存状態が悪くても大丈夫なようにあれこれしてあるわけなんですが、アウグスの場合は冷蔵が基本。 だから実はものすごく経費がかかります。ゆえに高級です。都内でも飲めるところ何カ所かあるけど、だいたいは高級店(ミュシュランの星付きのお店とか)。だから安く飲める今回の機会はとても貴重なんですよ。

アウグスビールを飲むとまず気がつくのが、その優しい自然な泡立ちです。何杯飲んでもゲップがでない(笑)。そして小麦の味、酵母が本当に生きてるんですよね〜。日本のビールってキレばっかりが良くって、味わいを忘れてる。必要以上にキンキンにすることもそうなんだけど。アウグスビールの坂本社長さんは心からビールが大好きで、「本来ビールは農産物なのだ」というメッセージを伝えています。社長のインタビューはこちら

ちなみにアウグスのアウグスって、AUGUSTって書く。英語だと8月。形容詞で本格的な、という意味もあるそうです。それをラテン語読みすると「アウグス」になるのだそうで、しかもABC順に並べられた時に1番にくるから、この名前がいいなと思われたそうなんです。(ちなみにルナサもゲール語で8月って意味だってご存知でしたか?)

谷中ビール
また今回はアウグスビールの課長、飯塚くん(独身、家持ち、車持ち)が自ら心をこめておつぎいたします。野崎がお薦めのアウグスビール、是非楽しんでください。

「秋のケルト市」は連休最後の10/9(祝/月)に行なわれます。アイルランドのクラフト、音楽、カルチャー、食を感じる1日を浅草のアンティークなビル、ライオンスタジオにて。ワークショップも、まだ空きがありますよ。ぜひご来場ください。詳細はこちら。 

なお、当日の会場の様子、カフェの混み具合などTwitterで発信しますので、お出かけになる予定の方は参考にしてみてください。@mplantyoko

それからウォリス・バードや、バルトロメイ・ビットマンのチケットも販売します。こちらもその場でチケットを受け取れるので、何かと便利かと。是非ご利用ください。

2017年10月6日金曜日

来日までもうすぐ:チーフタンズ物語(8)

(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)からの続きになります。まだまだ70年代の話が続きますよ。この連載って20回シリーズなんですが、本当に終るんでしょうか…(笑)


さぁ、チーフタンズの世界進出が始まります。ただそこにはホントに葛藤があり苦労があったのでした。その年、チーフタンズがアメリカに旅立つ2週間ほど前。「アイリッシュ・タイムズ」紙にパディの長いインタビューが掲載されました。そこでパディは強調します。

「いまだに人々はアイルランドを“お母さんが生まれた国”程度にしか考えていない。僕らの発散するアイルランドのイメージは完全に別のものだ。アイルランド音楽は世界でもっとも偉大な音楽なんだ」と。つまり移民が多いからとか、アイルランドの懐かしさとか、観光っぽいものよりも音楽そのものを受け止めてもらいたい、ということなんだと思います。これ、すごく分かりますね。アイルランド音楽の「観光っぽい」「チーズくさい」ノスタルジーなイメージを払拭しようと最初に頑張っていたのはチーフタンズなのかもしれません。そう、アイルランド音楽は今を生きる、かっこいいものなんです。そしてポピュラー・ミュージックとも対等に評価されるべきパワーを持っている。それをパディは伝えたい。

マネージャーのジョー・ラスティングもこういったパディの考え方には共感し、チーフタンズの最重要課題はアメリカ制服だと考えてきました。「だから私は普段エスニック・ミュージックを手がけてない普通の音楽ジャーナリストたちに声をかけてきた」と言います。紙媒体へのさらなる露出のためジョーはチャールズ・カマーという大物PRマンを雇います。ビートルズの最初のアメリカ・ツアーで渡米して以来、チャールズはアメリカの多くの媒体の人気者でした。チャールズとパディのタッグはものすごかったと多くの人が回想します。あるツアーでは、なんと89本ものインタビューを受けたんだって! 確かに今でも若いミュージシャンが来日すると1日8本x3日とかやる時あるけど、89本はすごい。プロモが終るとパディどころかチャールズまでもが声がかれて出なかったくらいなんだって。すごいですよね。(なんか、このヘンの下りは、今、音楽の宣伝で働く私にも非常に響くものがあります…)

また当時のチーフタンズは、政治的な発言も要求されていました。パディはここでも非政治的な立ち場をつらぬき、伝統音楽には一切の宗教的障害がないことを説明したそうです。(確かにこの時期、一般の人のアイルランドに対するイメージは「テロリスト」だったと思います。現在の中東への偏見とちょっと似ているかも)「僕らのコンサートにはプロテスタントもカトリックも来てくれている。それを僕は素晴らしいことだと思っている」

メンバー中唯一のプロテスタントであるデレク言います。「友人から“なんだ、カトリックの音楽か”と言われましたよ。いや、冗談ではありません。その友人はフルートではなくハープを弾く人間はカトリックであると固く信じているんです。南部でこんな偏狭な態度に出会うことは絶対にないでしょう。こんな人間には何度となく遭遇しているし、そのたびに彼らの考えを正しています。僕らの音楽はふたつの教会のどちらとも完全に無関係なんだと指摘してね」

アメリカ大陸を彼等は席巻していきます。チーフタンズが根強いファンを獲得したのはこの頃だと評価する人が多い。ロックやポップスがつまらなくなった…と考える人の中で、彼等の音楽は1つの涼風でもありました。

しかし売れれば売れたで大きな弊害が出てきました。あまりに過酷なツアーでメンバーたちの気持ちは疲弊していきます。「あのころのチーフタンズにはすごいプレッシャーがかかっていたんだ」「ツアーにはひどい緊張がつきものだし、それはどのグループでも同じだ」ついにパディとメンバーは3週間以上のツアーは絶対にしないという規定を設けることになりました。

バンドの精神衛生を気遣い、パディはジョーにツアーの延期を申しいれます。オセアニアのツアーは翌年に延期になります。ところがダブリンでの休暇に入ったメンバーにすごいニュースがもたらされます、それは「メロディ・メーカー」の読者投票でした。ローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンを押さえグループ・オブ・ザ・イヤーに輝いたのはチーフタンズだったのです。賢明に働いた15年間。チーフタンズはついに世界から認められた、と言って良いでしょう。しかし、こういう外からイケイケだと思われてる時期に、バンド内部はボロボロってよくあるパターンですよね… チーフタンズも例外じゃなかった。

翌年76年もチーフタンズにとってはすごい年になりました。映画「バリー・リンドン」が公開され、印象的なサウンド・トラックは大変な注目を集めたのです。



ジャクソン・ブラウンは、ロサンゼルスでこの映画を観て、その音楽に深い感動を覚えたそうです。「かれらの音楽を僕はとても美しいと思った」そしてLAで行なわれたチーフタンズの公演に友人を誘って足を運んだのだそうです。彼等が共演するのは、もうしばらく後ですが、それはジャクソンにとって大きな体験だったに違いありません。

そしてチーフタンズはニューヨークへ飛び、今度はカーネギーホールでアイルルランド人のスターたちが勢揃いしたイベントの主役をつとめることになります。しかしこの躍進ぶりとは反対に、マネジャーのジョーと、そしてメンバーと軋轢が深まって行くことになるのです。3週間のツアーをブッキングしたというジョーにメンバーは大反対に反対します。この辺の下りは読んでいても非常に辛い。

後になってメンバーは、ジョーの努力がある程度バンドを成功に導いたとしていますが、マネージャーにとっては苦労して取って来た仕事を断られることほど辛いことはありません。この時はキレまくったでしょうね。想像できますわ…ホント。

一方でパディとPR担当のチャールズも、ものすごい勢いで働きました。チーフタズのツアーの4、5日前にパディがローカルなラジオや新聞の取材を受ける、そして会場を満杯にする、という最強のタッグが組まれたのだそうです。

アイルランドに帰ったら帰ったで今や高額納税者になったのでは?という好奇の目にメンバーはさらされることになります。パディは新聞のそういった質問に答えて話しています。「全然だよ。メンバーが7人もいたら入ってくるお金はたかがしれている。数年前にフルタイムのプロになってからはそこそこの暮らしをしていると思うが、誰も金持ちになんかなっていないよ」と答えています。(そういやマットがいつか言ってたなぁ。ホントの意味で楽になったのは「ロング・ブラック・ヴェイル」からだ、って。そこまではホントに大変だった、って。チーフタンズも決して楽して成功しているわけではないんですよね。ホントにみんな苦労しているんです。若い子はよく最短距離行きたがるけど… いや、ホント感慨深いです)

そして再びダブリンに戻ったメンバーにアート・ガーファンクルのレコーディングの話がもでちあがります。最初2日間の予定でダブリンにやってきたガーファンクルでしたが、最終的には1週間も留まり、充実したレコーディングとなりました。

この美しいトラックを貼っておきましょうかね…



一方でジョー・ラスティングとバンドとの軋轢は非常に大きなものとなっていきました。お金の前にはジョーがたちはだかり、チーフタンズの全収入から25%を取っていきます。その後、メンバーは残った75%から経費を払うのですからたまりません。何度となくパディはジョーとやりあうのです。ホテル代はお前が払え、その経費はお前持ちだ、と…

一方で、既にチーフタンズのスケジュールは先の先まで入ってきています。ヨーロッパと2度目のオセアニアが決定し1年のうちチーフタンズは半分をツアーですごすようになっていきます。そして、この頃、60歳をむかえたパダー・マーシア(バウロン)がメンバーを離れます。マーシアの代わりとなるバウロン奏者を見つけないといけなくなったパディは、これまでよりも大きな気合いのはいった新作「ボナパルドの退却」に取りかかっていました。ロンドンでの録音開始1週間前に、パディは数年前に出会っていたケヴィン・コネフという青年のことを思い出しました。

こんなの見つけた! 



いよいよ次回は今回の来日でも素敵なテナーを聞かせてくれるケヴィンの登場。そして「チーフタンズ5」こと超名作「ボナパルドの退却」の登場です。


チーフタンズの公演チケットは今週末行なわれる10月9日の「秋のケルト市」でも購入いただけますよ。アイルランドの音楽、文化、カルチャー、食が集合したイベントです。豊田耕三さんのホイッスル・ワークショップなど盛りだくさん。是非ご来場ください。詳細はここ

(9)に続く。


チーフタンズ来日公演の詳細はこちら。
11/23(祝)所沢市民文化センターミューズ アークホール
11/25(土)びわ湖ホール
11/26(日)兵庫芸術文化センター
11/27(月)Zepp Nagoya
11/30(木)Bunkamura オーチャードホール 
12/2(土)長野市芸術館メインホール
12/3(日)よこすか芸術劇場
12/8(金)オリンパスホール八王子
12/9(土)すみだトリフォニー大ホール



出張DAY4:Music & Media

 今日も今日とてMusic & Media。これは古い操車マシーンだね。こういうのを残しておくのがいい。
朝はCooking Vynalの創始者の方のお話を。かなり面白かった。今、チーフタンズ物語とかブログで書いているのだけど、やはりここでもジョン・ピールが仕掛け人だったりする。

そして日本からの重鎮の皆さんによるパネル。興味深かった。

こちらはヘヴィメタ・パネル。なんかすごく勉強になった。

以上、3本についてTwitterで中継レポートしたので、興味ある方はこちらをどうぞ

この他にもやはり合間の時間でアポが入る。それをこなしていく。

夜は夜とて業界アワードのディナー。

仲良しの後輩T山が、このテーブルだったせいか、なぜかヘヴィメタのグループにまざる私…斜め前にフィンランド・メタル界のドンがいるよ〜 

そして食べもの❤ 素敵❤

食べもの❤ さらに素敵❤ ワイン白/赤いっちゃいました〜

チョコレートと,何かのハードリカー。こちらは強すぎて飲めず…

美味しかったが量が足りなかった。すべてを2つ食べたかった。

こちらでもロッカディロレコードのタピオ社長が受賞。おめでとうございます!!

深夜は深夜とて再びコンサート。 Juurakkoという女性グループ。どうせ下手くそだろうと思って甘くみてたら、下手ではなかったよ。楽器を持ち替えたりして、結構おもしろい。
続くはマイヤ・カウハネン。すごく良かった。前に観た時はトリオでなんか中途半端な感じだったけど、このソロは素晴らしいね。
日本の六本木ヒルズのクリスマスコンサートでも来日したトゥーレタル。すごく頑張ってたよ。(しかしこのバンドにこの照明は可哀想…)

そしてなんとカレワラから歌詞をピックアップし、即興で歌うというカレワラ大会も。面白かった!

しかしこの日の夜は「カウスティネン」というコンセプトだったらしいのだけど、いったいどこがカウスティネンだったのか、私にはよく理解できなかった。 でも全員出演者が女性というのはアリだよね。面白い。

そして翌日は午前中、学生さんたちの企業プレゼンみたいなものにアドバイスをするという、結構難しいプロジェクトに参加。そして午後2時くらいの電車でタンペレを出て、夕方5時のフライトで、ヘルシンキから東京へ。あっという間の9時間でした。東京暑いよ〜

以上出張終わり。