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2017年9月21日木曜日

ポール・ブレイディ、新作「Unfinished Business」を発表

ポール・ブレイディが新作を発表したので、私も普通にお客として購入しました。ポールに「オーダーしたよ」と言ったら「なんだ、送ってやったのに」と言われたけど、でも、うん、買いたかったんです。まだこのCDについて自分が何ができるかわからないから。何ができるか分からないのにサンプル送れ、って安易に言いたくないんですよね。

で、それが一昨日、届いたよ。



嬉しいですなぁ…。DLでも良かったけど、やっぱりCDで持っていたくなるのが私の世代。7年ぶりのスタジオ作品ですが、この間アンソロジーや、ライヴ盤も出ていたので、それほど間があいた感じもしません。アンディ・アーヴァインとのスペシャルCDもあったし。

それにしても御大「フーバ・ドゥーバ」を出した時「もうこれで新作は最後!」とか言っていたのに、まだまだやる気なんでしょうか。ポールより約10歳年上のチーフタンズがまだあれだけ頑張っているのをみるとポールにもまだまだ頑張ってほしいけど、チーフタンズとポールじゃパフォーマンスにおける身体的負担は全然違いますから、先はもう長くないのかもしれない。いや、でも分かりません。ポールは今でもすごく元気だし、歩くのもすごく早いし、健康だし、よく食べるし、よく飲むし。そして何より70超えてもあのパフォーマンスを続けてるんだから、ホントすごいと思う。でもそれは永遠には続かないんだ。

それにしても本人がブックレットに書いた解説の「レコード・ビジネスはだいぶ変わってしまった」という書き出しも、なんだか沁みるこのCD。ホントにいろいろ考えさせられます。

しかし私がこのCDのリリースを紹介するまでもなく、ネット上にはこのリリースを伝える情報が日本語でも勝手に流れているし、ベストなタイミングになるまで(来日が決まるまで)ネタになる新情報は隠しておきたいこちらの作戦も見事にひっくり返されてしまうのが最近の常。いや、いいんですよ。実際来日なんて決まるかどうか分からないし、私がポールがまた来日できるよう、本人説得に時間をかけているとか、そんなことは世間にはまったく関係がない事だから。来るのか来ないのか,単にそれだけなのだから。ではいったい誰がポールの来日に対して責任を持つんだろうなどと考えつつも、そんなことは多くの人にとっては関係ないし、本人もまた日本に来たいと思ってくれているのか、まったくもって怪しい。また京都の「やました」に行きたいなぁ、くらいは思っていてくれているだろうけど…。

しかし難しいです。そもそも新しいレコーディングの発表ということ自体、何か美味しいネタになるんだろうか、それも分からない。ほんとにレコードをめぐるビジネスは大きく変わってしまったけれど、素晴らしい音楽はまだそこにあるし、それを淡々と粛々と応援していくしかない。情報はいったんリリースされれば、それが英語でも日本語でもとにかく自分の意志とは関係なく拡散していく。音楽ライターの岡村詩野さんの言葉にもハッとさせられる。これはR.E.M.の「Automatic for People」に関するツイートなんですが、さすが岡村さん。音楽評論家はこうあるべきだ、と思います。(あっ、また「べき」とか言っちゃった)言い換えると、私も自分が音楽評論家だったら、そうしたと思う。ホントにかっこいい。

ま、自分の仕事を粛々とやる、ですね。ポールにおいでよ、と励まし続ける。そしてまた日本に来たいと行ったら、すぐ動いて行動して実現するように頑張る。私がやることはそれだけです。それまでは1ファンの1人として、このCD聞きますかね…。しかしポール、さすがの内容だわ。やっぱり最高にいい。それになんだか聞いたことある曲も数曲入ってる。ライブでやってたのかな…

そして、なんとトラッドも数曲入ってます。それにはアンディ・アーヴァインも参加してて、っつーことは「Paul Brady Andy Irvine」の新曲か!!?って感じです。それにしても充実の1枚。曲は共作が多いかな… 自分でほとんどの楽器を演奏して若い子にバック・コーラスやらせてるパターンが多い。やっぱポールはいいですわ。いや、ホントいっつも「このクソじじい」て思うんだけど、やっぱりポールはすごいですわ。音楽聴くといつもそう思う。

それにしてもお願いだから「野崎さん、また呼んでください」とか「日本で出してください」って言わないでくださいね。私が一番呼びたいと思ってんだから。一番日本でちゃんとリリースしたいって思ってるんだから。それができなくて、今、すっごい悔しい思いしてんだから。じゃあ、なんて言えばいいんだ…っていうのには、そうですね、放っておいてください(笑)

さてこのCD、スポティファイでも聞けるけど、Amazon UKでも売ってます。 でも一番喜ばれるのは本人のサイトから直接買うのがいい。日本からオーダーが入った、と本人にも認識されるから。ちょっとは日本のこと考えてくれるかも。PAYPAL使えるし、簡単です。



それにしても、あまりいいたくもないが、プロモーションするわけでもないのに、CDをカタログ的に流通させてるところも一方で本当に多くて、ビックリしちゃう。ミュージシャン知ってるときちんとやらなくちゃいけないって思うから、そんなに気楽に出せない。でも彼らは1枚1枚が売れないからカタログにして信じられないくらい少ない数字で仕入れてる。これは音楽の仕事ではなく貿易の仕事だ。真剣にやらないんだったら手を出さないでほしいよな、と思う。

でも、じゃあお前がリリースできるのかというと、それは難しいわけで。そして、いったい誰が一生懸命やろうとしているのか、誰が手をぬいていい加減な商売しているのか…。そういう事はお客さんには一切関係ないわけで…。そして頑張っていれば報われるかというと、そういうわけでもない。逆に頑張れば頑張るほど報われないよなぁ、といつも思う。ま、でもいいんだ。報われたくてやってるわけじゃないんだから。私がやりたいからやってるわけだから。

しかしいいなぁ、ポール。ちくしょーー なんでこんないい音楽が売れねぇかなぁ!!!  ま、いいや、とにかく自分の仕事を粛々と…(笑) ポール、なんにせよ、愛してるよ。いつもホントにクソじじいって思うけど、結局はファンなんです、私は。

今日も張り切っていきましょう!!
明日の朝はチーフタンズ物語の続き、そして深夜0時に新規公演の発表があります。お楽しみに。

2017年9月20日水曜日

「秋のケルト市」出展者、ワークショップ講師ご紹介:大倉眞一郎さん


J-WAVEでしゃべっている大倉眞一郎氏は、表向きには元D通マン/広告代理業ということになっていますが、真の姿はケルトの旅人だったのでした。

数年前にアイルランドを旅された様子を写真集にまとめました。今回「秋のケルト市」にご来場される方、先着100名にプレゼントいたします。




素敵なコテージや…


森の写真

パブの写真まで

(←本人近影)ご本人来れたら良かったんだけど、この時期は旅でいないんだって…。残念。

大倉さん、また飲みましょうね〜

秋のケルト市」は10月9日(祝/月)に浅草ライオンビルで開催されます。

音楽,文化、カルチャー、クラフトなどアイルランドにあふれる1日を過ごしてみませんか? 場所は浅草ライオンビルにて。詳細はこちら。

2017年9月19日火曜日

来日までもうすぐ:チーフタンズ物語(3)

チーフタンズ物語(1)(2)からの続きです。


オ・リアダ
パディとオ・リアダの素晴らしい関係はいよいよ蜜月期を迎えることになります。2人は頻繁にピアース・ストリートのトリニティ・バーでミーティングを重ねていきました。オ・リアダはパディの自然な音楽スタイルに魅せられますが、パディの方はそれを音理的に説明する能力を持ち合わせていない。そんな議論が毎晩エンドレスでかわされたそうで、きっとすごく建設的な時間だったでしょうね。ちなみにオ・リアダが集めたメンバーの中には楽譜がまったく読めないメンバーもいて、ある日メンバー同志で交換されたに紙には「ハム・バタ・エッグ/ハム・バタ・エッグ/ハム・バタ・ベーコン・エッグ/ハム・バタ・エッグ」と書いてあったんだって。そしてそれを見ながらみんなで練習した、って話もありました。そうやってオ・リアダのバンド「キョールトリ・クーラン」が生まれたのです。バンドはラジオでのレギュラーを取り付けたり、めきめきと人気を延ばしていきます。

しかしそんな楽しい時間もあまり長くは続かなかった。なんか私たちからすると歴史上の偉人みたいなイメージのあるオ・リアダですが(写真のせいかな…)、実際はすごく不安定でアーティスティックな人でした。例えば生活能力はまったくないに等しく、家の電機を料金滞納で止められてしまっているのに高級車のジャガーを買ってしまい、友達にガソリン代を無心したり、奥さんは叫んで怒りまくるなど、たくさんの問題をかかえていたのだそうです。また伝統音楽の純粋主義者からは彼等の音楽は異端として受け入れられていました。高等教育を受けたオ・リアダが純粋な伝統音楽を食い物にしている、と取った人もいたようなのです。このインタビューとかすごく面白い。

これとかパイプはきっとパディなんでしょうね。それにしてもバウロンをミュートする習慣がなかったこの頃、バウロンの音の手触りが今と全然違う(笑)



しかしこういうラブラブ期間も長くなってくると問題が起こるのが人間関係の常。キョールトリ・クーランの音楽監督(オ・リアダ)、そして首席ソリスト(パディ)は、音楽的意見でしばしば対立することにもなります。この頃のパディはすでに本当にすごかったようで、バンド・メンバー全員のパートを覚えては、メンバーに超頼りにされていました。バンド全員がパディの視線や合図に注目しながら演奏していたんだって。めっちゃ頼られてたんですね。

(C)Chieftains web site
そして1960年代になるとパブ・オドノヒューズをはじめとしてダブリンの町中に伝統音楽が流行しはじめます。この頃、実はパットとのちにチーフタンズのメンバーになるマット・モロイは出会っています。スライゴー出身のマット・モロイは、エア・リンガス(アイルランド航空)に勤めるためにダブリンに出てきていたのでした。高級レストランでもホテルのロビーでもアイルランド音楽の需要はいくらでもあった時期でした。

この伝統音楽の盛り上がりの理由の大きな原因の1つに海の向こうで大ヒットしたクランシー・ブラザーズの成功があげられます。彼等はティッペラリーで生まれ、1940年代にニューヨークに渡り、グリニッチ・ヴィレッジで歌って大成功を収めていました。全世界的なフォーク・ブームが押し寄せてきていたんですね。クランシー・ブラザーズはカネーギー・ホールでの公演を満員にし、全米をツアーするようになっていた。彼らが帰国した時、アイルランドは国をあげての熱狂の嵐の中、彼らを迎えたのでした。



さてクラダ・レコードでは、1962年、レオ・ロウサムの名盤、そしてパトリック・キャバナ(Raglan Roadの作詞者です)のたいへん貴重な朗読アルバムを発表し、世間から認められるようになってきました。ガレク・ブラウンはクラダの3枚目の作品としてパディに何か新しいグループを組んでレコードを作るように依頼します。パディは仲良しのマイケル・タブリディ、そしてショーン・ポッツを選び、アビー座の仲間であったマーティン・フェイにも声をかけます。奥さんのリタの実家でリハーサルが行なわれるようになり、これがチーフタンズの始まりとなりました。

The Chieftains 1
録音はじっくり行なわれました。もちろん通常の9時/5時の仕事が終ってから… その毎晩の3時間はすごいプレッシャーのもと充実した時間だったとパディは語ります。そして音が完成した時、まだバンド名がなかった。

パディにバンド名を提案したのはクラダ・レコードの役員の1人だった詩人のジョン・モンタギュー。彼の本のタイトル「Death of a chieftain(族長の死)」からバンド名を取ったんですね。ファーストアルバムの発売日は盛大なパーティがガレクによって主催され、プレス的にも大好評を得たのだそうです。

でもこのファースト・アルバムを聴いたオ・リアダは、あまり気分がよくない。とある雑誌に論評を載せます。そこには「概していえば実に見事」としながらも、あれこれ文句をつけるコメントもあったようで、パディは不愉快に思ったものの反論する気まではおきなったと後から話しています。

(C) Chieftains web site
さてこのアルバムが出た1964年、とあるラジオ番組のコンペティションで優勝を果たしたショーン・キーンがキョールトリ・クーランに招かれます。1946年にダブリンで生まれたショーンは、幼いころから伝統音楽にひたりフィドルを演奏していました。弟のジェイムス・キーン(ポール・ブレイディに伝統音楽を教えた人でもあります)とともに9歳の時点でパイパーズ・クラブに出入りしていたようで、この連れられて来た小さな天才兄弟をパディも記憶していており「これは恐ろしいことになったぞ」と思ったそうです。

ショーンはそののちクラシックの勉強も始めるのですが、先生が非常に心の広い先生だったため、伝統音楽を見下すようなことはいっさいなかったんだって。ショーンにとってはダブリンの伝統音楽シーンの最高峰であるキョールトリ・クーランに参加することは大変名誉なことでした。

一方でガレクを囲むセレブリティ・サークルも、パディに新しい道をしめしつつありました。ガレクの豪邸に招かれたローリング・ストーンズやピーター・オトゥール、ショーン・コネリーなど、自然とパディは交流していくようになります。パディたちの演奏は館を訪ねるゲストに強烈な印象を残しました。マリアンヌ・フェイスフルは「まるで中世に紛れ込んだみたいだった」と当時を回想しています。ストーンズのメンバー、特にミック・ジャガーも音楽を聴いて非常に感心し、チーフタンズのLPをロンドンに持ち帰り,他のメンバーに聞かせるようになります。

ロンドンでブライアン・ジョーンズのパーティに呼ばれたパディは、そこでストーンズのメンバー全員がチーフタンズのアルバムを聞いているのを見て仰天したそうです。「僕らのレコードをストーンズが聞いているなんて、もしかしたら僕らはちょっとイケてるのかも」とその時初めて思ったのだそうです。「気がつくと僕らは超有名な映画スターたちの世界に飛び込んでいった」とパディは回想します。朝、すごいリムジンが到着して、ダブリンで撮影中の彼らが主催するパーティで演奏したり…。そんな風にしてガレクが紹介する有名人たちとパディは交流を温めていったのでした。

1968年になり、パディはガレクに説得されてついに12年間つとめたバクセンデイル社を退職しクラダ・レコードに入社します。パディのお母さんはこの時,本当に怒ってしまい、パディがのちにトリニティ・カレッジから名誉博士号をもらうまで許してくれなかったそうです。

パディはロンドンやニューヨークに出張したりしてクラダの音源を売って回る精力的な営業マンでした。パディ家にはこの頃2人の子供が生まれていたのだけど、長女のエイディーンは「パパはほとんど家にいなかった」と回想しています。パディは優秀なビジネスマンとしてメキメキと頭角をあらわし、LPを書店で売ってもらったりとか、今では当たり前となった斬新なアイディアでクラダ・レコードを躍進させていきます。

チーフタンズも一方でメンバーの調整にあけくれながらエジンバラなどにも演奏に出かけるようになります。そこにわざわざミック・ジャガーがマリアンヌ・フェイスフルをともなって聴きにきていたのだから、すごいです。主催者は単なるアイルランド伝統音楽のバンドをブッキングしただけだったのに、そこに超大物が来場してさぞびっくりしたでしょうね。発売から4年が経過していたファースト・アルバムも当時影響力が強かったDJジョン・ピールが強烈に押してくれたおかげで、BBCなどでも頻繁にかかるようになっていたそうです。風が少しずつチーフタンズを押し上げるように吹いてきました。

そして1968年、高まる人気に投資をせよ、ということでパディはガレクのお尻を叩きセカンド・アルバムの制作にとりかかります。レコーディングはエジンバラで行なわれ、土曜日の朝にはじまり日曜日の夜に終るスケジュールだったのだけど(おそらくミックス作業などをエンジニアに任せて)帰国し、届いたテスト盤を聴いたパディは愕然とします。「音が良くない」「これでは発売が出来ない」

当時クラダのアルバムはイギリスではEMIが配給していたので、パディはEMIの社長にかけあってスタジオをなんとか手配してくれるように頼みこみます。この時、ロンドンのアビー・ロード・スタジオを使っていたのは、あの「アビー・ロード」を録音するためにスタジオをロックアウトしていたビートルズだった。彼らはこころよくチーフタンズにスタジオのスケジュールを半日譲ってくれたのでした。ちょっと素敵なエピソードですね。

そして再度カットされたテスト盤は無事にパディのオッケーとなり、チーフタンズのセカンドが発売されることになりました。

チーフタンズの公演チケットは10月9日の「秋のケルト市」でも購入いただけますよ。アイルランドの音楽、文化、カルチャー、食が集合したイベントです。アイルランドのガイド・ブックを最近出版された山下直子さんのトークショウ他、豊田耕三さんのホイッスル・ワークショップなど盛りだくさん。是非ご来場ください。詳細はここ


チーフタンズ来日公演の詳細はこちら。

11/23(祝)所沢市民文化センターミューズ アークホール
11/25(土)びわ湖ホール
11/26(日)兵庫芸術文化センター
11/27(月)Zepp Nagoya
11/30(木)Bunkamura オーチャードホール 
12/2(土)長野市芸術館メインホール
12/3(日)よこすか芸術劇場
12/8(金)オリンパスホール八王子
12/9(土)すみだトリフォニー大ホール


2017年9月18日月曜日

「秋のケルト市」出展者、ワークショップ講師ご紹介:豊田耕三さん



さて10月9日「秋のケルト市」まで、もうすぐ! 今日から少しずつワークショップ講師や出展者の方をご紹介していきますよ。

まず今回のイベントのハイライトとも言うべき豊田耕三さんのホイッスル・ワークショップ。豊田さんは皆さんご存知のとおり、日本におけるアイリッシュ・ミュージックの演奏家の第一人者で、シーンを牽引されている重要人物。O'Jizo、最近アイルランドのコンペティションへ初のアジアからの参加で話題になったトヨタ・ケイリー・バンド他、多くの活動で知られています。東京芸術大学ケルト音楽研究部の創始者でもあり、国内外のアーティストと共演を重ねてきました。(詳しいプロフィールはこちら
 
上記はフルートの演奏ですが、ケルト市の時はホイッスルを教えてくれます。あなたも是非ためしてみませんか? とか書いていたら、ご本人のYou Tubeチャンネルにホイッスル吹いてる映像見つけた!



ん??! こんな感じなら縦笛にもちょっと似てるし(実際運指はほとんど一緒です)、もしかしたらあなたも私も演奏できるかも???!(でも途中から早くなるから、やっぱり無理なのか???!)

ちなみに楽器はケルト市当日、会場1階の物販売り場で1,200円(左の写真/税別)で購入できます。ヒーロー・アイルランドハウスさんのカリスマ販売員のIさんによると、楽譜付き/教則CD付きのものもあるんだって。

またすでにご自分で持っている方はそれを持ってきてくだされば、と思います。(D管でお願いします)

また当日はO'JIZO他、豊田さん関連のCDも売ってますので、是非ご利用ください。ご本人のサインは当日は貰えるのかな…

というわけで、豊田さんファンも集まれ〜っっっ。秋のケルト市は10月9日(祝/月)朝11:00より。豊田さんのワークショップは16時15分から。 詳細はこちら




2017年9月17日日曜日

分かりやすく説明することは大事なのだが…

今日は台風で関西出張が飛んでしまった。ちょっと残念だが、ふってわいた事務に集中できるオフィス日に歓喜。仕事が仕事が進むくーん!…と言いたいところだが、低気圧のせいか、運動する気にもならず、インスタントラーメンを朝から食べてウダウダ。うーん、低気圧のせい。こんなことなら無理しても行った方が良かったかも。いいや、気合いを入れて仕事しよ。まだ午前中だ。

さて今朝の話。Facebookを眺めていたら、ウォールでラテン音楽の一派の皆様が、とある音楽サイトが掲載した南米音楽に関する記事の批判を展開しており、それが直接の原因ではないだろうけど、結果記事はそのホームページ(というかブログ)から削除され「お詫び」が掲載される事になった…という事があった。(訂正:すみません、これとある方からのご指摘によると削除されたのは、グループサウンズの記事だという事でした。そこに南米音楽に言及した部分があった、という話だそうです。失礼いたしました)

正直「やる気あって素人とはいえど一生懸命書いたんだろうから、マニアな連中が攻撃して可哀想だなぁ」「また“マニアがジャンルを潰す”…か」 と思って、私はサイトの運営者の方にちょっと同情していたのだけど…

自分が分かるジャンルで同サイトを検索してみたら,確かに…確かにこれはまずい。これがブリティッシュ・トラッドの名曲なのだろうか…


京都の名門ライブハウスさんの運営なのに、残念だ。でもこのブログはたくさん広告が貼られビジネス的には成功しているように見える。文章もすごく平易で短めで非常に分かりやすい。Twitterのフォロワー数もフォロー返しをしているとはいえ立派な数だ。こういうやり方の方が、やはり世間に受け入れられるのだろうか。

私を含め、いわゆるそのジャンルを長くやっているといわれるマニアな側にも、いろいろ反省すべき点はある。昨日のパン講演は講演でも思ったことなんだけど、こちらが知っていれば知っているほど人に説明する時に断言できることは少なくなり「いったい自分が何を知っているというのか」というジレンマに落ち入るのも事実。そして、それが自分の説明を分かりにくくさせているのも事実。自分が間違ったことを言わないがために、どうしても話が複雑になる。逆にばっさり切っていいほど、こちらは知らないわけではない。単純に分かりやすくマニアじゃない人にも説明するのは、ホントにバランスが難しい。

でもそもそも間違ったことを伝えてはもともこもならない。うーん。とはいえ、いったい私なんぞが、どの程度、自分の担当ジャンル(?というものがあるとするのならば?)を分かりやすく何も知らない人に伝えようと努力しただろう。

ま、そんなことを考えたのでした。

だいぶ前の映像だけど、かっこいいな、ウォリス。すかっとする!



ウォリス・バード、もうすぐ来日します。詳細はここ。11/6(月)Star Pine's Cafeにて。

2017年9月16日土曜日

北区パン講座:英国/アイルランドのパン

さて第3回になりました、北区パン講座。今週は諸事情あって私がしゃべらせていただきました。皆さんありがとうございます! かなり森さんの北欧編、森本さんのドイツ編に比べるとかなりラフな感じの内容になりました(笑)  でもそんなアイルランドが私は好きです。

(1)日本のごはんにあたる主食は[じゃがいも]パンではない。中華料理のカレーを頼んでチップス(フライドポテト)にするか、ライスにするか聞かれた時はびっくりした。英国人、アイルランド人、じゃがいもは大好物。じゃがいもを巡るお話を少し…

♪ Mary Black and Black Family"Colcannon"(アイルランドの伝統歌)



歌詞にじゃがいも料理がでてきます。「コルカノン」「ボクスティ」「ポテトケーキ」 どれも懐かしいお母さんの味…というのを歌っています。

(2)トーストはとても重要
日本だと1斤340g。向こうは大きな800gで売られていることが多い。

 朝食では非常に重要なアイテム。 ジャムはたくさんある。一般的なのはイチゴ、ブラックカレント、オレンジマーマレイド、ルパーブなど。 そして英国魂の味!が、この真っ黒いマーマイト。しょっぱい。バターと一緒につけて食べると激ウマ。成城石井に小瓶で700円くらいで売っているのを発見しました。勇気がある方は試してください。
トーストはトースターかオーブンで焼く。日本のようなオーブントースターは現地では見た事なし…









こういうトーストラックは良く見ますね。

英国のトーストはなぜ薄いのか。それはジャムやバターを食べるものだから。「イギリスはおいしい」の林望先生の説。私もそれに同意します。英国人はクロワッサンにもバターやジャムをぬりたくって食べている!?



ホテルの朝食の場によくあるトースト・セルフ・マシーン。上から入れて、下に両面やけたトーストが出て来る。


(3)スープや汁物、煮物のあてによく出て来るソーダブレッド

私も簡単に出来ちゃう。超簡単レシピ。誰が作っても失敗はない

粉類まぜる   液体類まぜる → 全部あわせてオーブンに突っ込む(1時間)

オーブンに入れるまで10分かからない。粉類もふるう必要なし。来週の料理教室で作りますので、お楽しみに!

(4)サンドイッチ文化

 

北欧のようにオープン・サンドではなく、食パンで挟むもの。
賭博好きのサンドイッチ伯爵の話は史実ではないという説が強い。
通常は耳は残しておく事が多い。耳がないのは上品なヴァージョン。
具が種類がたくさんあって美味しい。エッグマヨにはかならずチャイブや葱が入っている。
写真はダブリンの空港にて。ちょっと高い。ロールサンドも時々ある。

ブリティッシュ・サンドイッチ協会
オブライエン・サンドイッチ(アイルランド)

(5)ジャンクフード系
 

スパゲッティ・オン・トースト
ビーンズ・オン・トースト
両方ともハインツの物を載せるのがコツ。
 

エッグ・オン・トースト
エッグ・ベネディクトはニューヨークで生まれた気取ったもの。半熟のポーチドエッグをトーストの上にのさたもの。

 
クリスプス・サンド(ポテトチップス/クリスプスを挟んだもの)

チップス・バティー(フライドポテトを挟んだもの)

数年前に期間限定でオープンしたTAYTOポテトチップスのサンドイッチの店は大流行。






参考映像。ビーンズ・オン・トーストを食べたアメリカ人の反応。




(6)アップマーケット アフタヌーンティー
重要なアイテムはきゅうりのサンドイッチ。かならず入る。ハムとか入れれば美味しいだろうに…と思うが、こればっかりはシンプルに「きゅうりだけ」というのが上品で、アフタヌーンティー的。基本きゅうりとバターのみ。クリームチーズを入れることもある。あと正式なレシピではビネガー(酢)できゅうりを洗う、というやり方もあるそう。



FORTNUM & MASON'S(日本にも三越日本橋本店、玉川高島屋はイートインできる)44ポンド…つまり7000円くらい、高い!
椿山荘のアフタヌーンティー 3800円

赤羽だったら一晩豪遊出来そうな金額…

(7)スコーンなどのお菓子文化 スコーンやスイーツ類は充実

クロウテッドクリーム/ジャム(いちご/ブラックカレント)
日本で作るには…: 成城石井のスコーンミックスは2パック入りで400円ほど。1パックで8コ作れるので簡単です。

(8)タルトやパイ、マフィン、コーニッシュパイ、ケリー・パイ

そして今日の試食はスコーンとアイルランドの紅茶、ビューリーズを楽しんでいただきました。

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 ★おすすめの店/現地
ケンブリッジ Aunties Tea Shop(おしくも昨年閉店!)College Lane, Cambridge
ダブリン Queen of Tarts Dame Street, Dublin
エディ・ロケッツ(ハンバーガー屋さん/アイルランド)

★日本で味わえる店/英国料理 
キャプテンクック(広尾)

アイリッシュ・パブ
大崎ゲイトシティ シャノンズ(9/13 リニューアルオープン)
代々木ソーラス(食べものも充実で美味しいです)
ダブリナーズ(渋谷、新宿、池袋、品川にあり)
Celt(あちこちにあり)
ブリティッシュパブHUB
ウェーリッシュパブWhat a dickens

★おすすめ書籍
林望「英国はおいしい」「英国は愉快だ」
松井ゆみ子「家庭で作れるアイルランド料理」「ケルトの国のごちそう巡り」
ジェーン・ベスト・クック「英国おいしい物語」

 来週は丸山礼先生のアイルランド料理。 丸山礼先生「ヨーロッパのスープ料理」(誠文堂新光社)アイルランド担当されたシェフ *エプロン、三角巾、食器拭き、台拭き、ハンドタオルを持参ください。



さ〜て、来週はいよいよ料理教室だ。頑張ろう〜

2017年9月15日金曜日

来日までもうすぐ:チーフタンズ物語(2)

チーフタンズ物語。第1回から続きます


さて大富豪のガレクの生活ですが、当然ながらリフィー側の北側に住む陸軍下士官の息子のパディのそれとはだいぶちがっていたんだそうです。ガレスの家はアイルランドでももっとも最上級の上流階級に属していた。本人によるとだいたい15歳頃からガレクはアイルランドの音楽にのめり込むようになったんだって。何故?と聞かれてガレクは「わたしの耳がそうだったとしか答えようがない」と回答。当時アイルランド音楽は決して「クール」なものではなかった。しかしガレクには先見の目があったんです。

学期の途中でおぼっちゃま寄宿者学校を飛び出しパディのような音楽家たちとつるむようになったガレクは、パディを自分のベンツに載せて、アイルランド中の音楽フェスティバルに出かけるようになります。パディもそうやって少しずつ自分の人脈も広げていきました。パディは社交家としても優秀で、すぐガレクの仲間たちにも受け入れられるようになります。一方で演奏が飛び抜けて上手くジョークもいかしているパディを連れて歩くことはガレクに取って自慢だったに違いありません。パディによるとカレーを初めて食べさせてくれたのもガレクだったそうで、そのあまりの美味さに本当にびっくりしたのだそうです。

しかしそれでもパディはバクセンデイルズ社での毎日の仕事もとても大切にしていました。音楽はお小遣いにはなったし楽しかったし、ガレクとつるんでいれば楽しかったけれど、音楽で生活していこうなんて夢にも思わなかったんですね。自分はお金持ちの生まれである彼とは違うとしっかり認識してたんだと思います。若かっただろうに,偉いですよね。

ところがとある友人がRTEのラジオで子供番組をやることになって、パディはその音楽を担当することになった。問題はパディの勤務時間と生放送であるその番組の時間が重なっていたこと。そこでパディは放送局の近所の友達の家に学期を預け、毎週放送日になると文房具を買いに行くふりをしてオフィスを抜け出していたんだって。幸いにもこの放送は会社にバレることはなく、パディは無事会社でも昇進を重ねていったらしいのです。

この頃にはガールフレンドのリタもパディの伝統音楽活動につきあうようになっていきます。パディとガレクと一緒に狂乱の伝統音楽パーティに行ったリタは朝帰りしたこともあって、翌朝リタのおばあちゃんはカンカンになって家の前で彼女の帰りを待っていた。3人は一緒にリタの家の方向に歩いていったのだけど、おばあちゃんの怒る姿をみたとたん、男2人はリタを見捨てて一目散に逃げ出したそうです。(パディはまだ20歳そこそこ、リタは17歳だったので無理もないですね…。それにしても爆笑。絵が見えるようだ…。そしてまだ奥さんにこのことを恨みに思われているというパディ、ちょっと笑えます!)

巨匠の名盤
そして1959年。ガレクはついに伝統音楽をレコードに記録することを決意します。これがクラダ・レコードの始まりです。当時はインディーズのミュージシャンが簡単にCDを出せるようなそんな時代ではありません。CD…もといLPを出すことは、ものすごくお金のかかる事業でした。彼は自分のフラットにオフィスを設立し、パディの恩師レオ・ロウサムのLP「Leo Rowsome is the king of the pipers」を録音したのでした。「すべての大きなレコード会社はパイプのソロを20分なんて誰も聞かないと思っていた」とはガレクの弁。(ちなみにもう1つの有名なアイルランド音楽のレーベルといえばゲール・リンですが、こちらは1953年設立、半官半民の組織ですからだいぶ事情が違います。またレオ・ロウサムは何枚かデッカやH.M.Vに録音を残していますが、彼の名前のもとでのちゃんとした録音はこれ以前には存在しませんでした)

しかしながら当時の、伝統音楽に対する世間の目は冷たかった。ガレクは「田舎者たちと遊び歩くのが大好きな好事家」と見られていたし、容赦ない非難も多くあったのだそうです。いや、新しいことを始めるのは難しい… それはいつの時代も一緒です。でも少しずつ彼等の活動は評価されていきます。パディはプロデューサー、実務家としてガレクをサポートしました。そして徐々にアイルランド伝統音楽のリバイバルが始まっていくのです。

またこの素晴らしい音楽家との出会いがパディの人生を大きく変えて行きます。

ショーン・オ・リアダは1931年コークの生まれ。当初はジョン・リーディという英語名を名乗っていました。お父さんは軍人でフィドルが上手だったらしい。お母さんの方は熱心にショーンにピアノの先生をつけたり音楽教育に熱心だったんだって。一家はクレア州アデア(あの綺麗な村ですね)に引っ越し、そこでジョンはたくさんの伝統音楽にふれることになります。

Mise Eireの映画公開
1952年に大学を卒業した時、ジョンはジャズに傾倒していたんだけど、彼に運がむいてくるのはダブリンのアビー座に音楽監督として迎えられた時だったそうで、パディともアビー座で出会うことになりました。

1959年の後半、ジョンはショーン・オ・リアダとアイルランド名を名乗るようになり、アイルランド初のゲール語によるドキュメンタリー映画「Mise Eire」の音楽を手掛けます。この映画を見たパディは度肝を抜かれたのだそうです。自分が子供のころから演奏してきた伝統音楽に、こんな風にフル・オーケストラが付いた。「大きな葉巻を悠然とくゆらすオ・リアダの強烈なカリスマに僕は圧倒された」とパディは言います。が、カリスマの仮面の下には彼のシャイでアーティスティックな面もかくれていたとも。

また、この頃のちにチーフタンズのフィドル奏者となるマーティン・フェイもアビー座にやってきます。ダブリン生まれでクラシック・ヴァイオリニストになるべく頑張っていたマーティンでしたが、結局9時/5時の仕事につくしかないと感じ、ユニデアというダブリンの電気機器会社に勤務しながら、夜はアビー座で演奏を続けていました。マーティンは自分はクラシックの奏者で伝統音楽の専門家ではなかった、と言います。そして「私以外の全員は伝統音楽の専門家だったんだ」と話しています。「私にとってはアイルランド音楽もルーマニアやハンガリーの音楽もすべて同じように聞こえた」

一方でパディはオ・リアダにアビー座のソリストとして重用され、2人は最強のタッグを組んで行くことになります。ある意味破滅的な性格だったオ・リアダをパディは支え、名番頭としてバンドの経理や取り立てを担当するのもパディだったらしい。一方でパディやマーティンに酒を教えたのはオ・リアダなんだって。

とある大きなプロジェクトの仕事が一段落するとオ・リアダは自分のフォーク・オーケストラを始動させることにしました。ここで集められたのはパディ(パイプ、ホイッスル)、そしてマイケル・タブリディ(フルート)、ショーン・ポッツ(ホイッスル) 他のメンバーでした。これが将来、チーフタンズの母体になっていくわけですが、それはまだまだ先の話。

彼等の最初のリハーサルにたちあった経験豊富な音楽評論家が話します。「あの晩に演奏された音楽なら良く覚えている」「オ・リアダの狙いは伝統音楽に内在する論理性を発展させることにあった。私の知る限り、あれと比べられるものはジャズしかない。オ・リアダはすべての楽器を自由に演奏させていた。いわゆるブレイクのパートまで各楽器に割り振っていたんだ。それでもなお彼は全体に統一感を与えることに成功していた。聴こえてきた音楽は、私たちのほとんどが昔からよく知る曲であったにもかかわらず、非常に刺激的だった」

バンドが固まってくるにつけ、メンバーの気持ちも盛り上がってきます。この頃は郵便局員だったショーン・ポッツが「僕らはプレスリーのような金持ちになるんじゃないか?」とオ・リアダに質問したのだそうです。それにオ・リアダはこう答えたんだって。「ファンは大勢つくだろうが、自分がいちばん強く望んでいるのは、ほかのグループが自分たちの演奏をコピーすることだ。それが伝統音楽全体のためになるのだから」

うーん,深い!! まさにそれが伝統音楽のあるべき姿(あ、また「べき」とか言っちゃった)ですよね… かっこいい!!


チーフタンズの公演チケットは10月9日の「秋のケルト市」でも購入いただけますよ。アイルランドの音楽、文化、カルチャー、食が集合したイベントです。アイルランドのガイド・ブックを最近出版された山下直子さんのトークショウ他、豊田耕三さんのホイッスル・ワークショップなど盛りだくさん。是非ご来場ください。詳細はここ


チーフタンズ来日公演の詳細はこちら。
11/23(祝)所沢市民文化センターミューズ アークホール
11/25(土)びわ湖ホール
11/26(日)兵庫芸術文化センター
11/27(月)Zepp Nagoya
11/30(木)Bunkamura オーチャードホール 
12/2(土)長野市芸術館メインホール
12/3(日)よこすか芸術劇場
12/8(金)オリンパスホール八王子
12/9(土)すみだトリフォニー大ホール



2017年9月13日水曜日

来日までもうすぐ:チーフタンズ物語(1)

あと3ケ月。チーフタンズが再び日本にやってきます。ホント楽しみ。で、自分も楽しみなので、2001年に出た「アイリッシュ・ハートビート〜ザ・チーフタンズの軌跡」を再読してみようと思ったんですよ。で、今この本手にいれようとしても、絶版になっちゃったようなので(音友さん再発してください!)、ここにざっくりしたあらすじを紹介していこうと思いました。ホントに面白いんですよ、この本。で、再読してみたら、自分でも相当忘れていることもあって、なんか新鮮に読めております。

というわけで、先日のパディのトークショウでの話や新たに収集したネタも入れこみつつ、このブログで来日まで連載していきたいと思います。題して「チーフタンズ物語」


(C)Chieftains web site
チーフタンズのリーダー、パディ・モローニは1938年8月1日、ダブリン北部のドニーカーネイで生まれました。お父さんはそこそこのパイプ弾き、お母さんはアコーディオン奏者で歌がうまかったそうです。

パディが生まれる1年前、パディのお家を悲劇が襲います。パディのお兄さんにあたるジョンがバイク事故で亡くなった…。一緒に歩いていた別の男の子も一緒だったそうで、この事はアイルランド初のバイクによる子供の死亡事故として、この事件はアイルランド国内で非常に大きく報道されたようです。
そんなわけでお兄さんが亡くなった直後に生まれたパディはいつもお兄さんの影を感じながら育ったと言います。他にお姉さんが2人いたようですが、小さな子供を失った家族の悲しみはどれほどのものだったかと思うと心が痛いです。ちなみにパディのあとにも妹が生まれており、結局は4人兄弟、たった1人の男の子ということになったようです。

パディと家族は休みになると、よくお母さんの田舎であるリーシュ州にある祖父母を訪ねていました。そこでパディは伝統音楽を体験します。親戚の中には、若いころオール・アイルランド・チャンピオンに輝いたことのあるほどの腕前のおじさんのパイプ奏者もいたそうで、とにかく田舎の冠婚葬祭やら何やらで本場の伝統音楽の洗礼をたっぷり受けたのでした。確かにダブリンにいるだけじゃ、そういう体験は無理ですもんね…

で、お母さんは早くからパディの才能を見抜き、クリスマスにサンタに会わせるとパディを連れ出すと、息子に市内の店でキラキラしたティンホイッスルを買い与えたのだそうです。家に帰るバスの中、ホイッスルを取り出し、さっそくパディは独力で音階をさぐりはじめます。するとバスを降りようとした母子に見知らぬ人が声をかけてきました…「坊や、そのまま練習を続けていれば、すぐに高いDの音が出せるよ」と。なんとその乗客は巨匠レオ・ロウサムだったというから驚きです。というか、さすが巨匠、どんな時もこういう態度であるべき…というか。かっこいいですね。1959年のジョージ・ポロックの映画「Broth of a Boy」の1シーンより。巨匠の演奏シーンをご覧ください。



レオ・ロウサム。のちにスタートするアイルランド音楽の超名門クラダ・レコードのカタログNO.1。吠えるようなパイプが身上です。ここにドキュメンタリーもあり。時間がある方はぜひご覧ください。まさか巨匠もこの時、声をかけた小さな男の子が将来自分のレコードを作ることになろうとは夢にも思っていなかったでしょう。

当時のレオ・ロウサムは「イーリアンパイプの王者」として知られていてRTEラジオでレギュラー番組も持っていたそうで、パディの家族もみんなその番組のファンだったそうです。そんな師匠の音色をラジオで聞いていたパディはホイッスルだけではあきたらず自分もイーリアン・パイプを演奏したくてたまらなくなった。お母さんと一緒にレオ師匠のもとを教えを乞いに訪れます。でも練習用の楽器でも、それらは5ポンドはする。パディのお父さんは軍人だったのだけど、この金額はなんとお父さんの1週間分の給料に値します。しかし両親は無理して代金を2分割にしてもらうとパディにパイプセットを買ってくれたんだって。泣けますね。そしてレオ師匠のもとに通うようになったパディはメキメキと音楽の才能をのばしていくわけです。

1947年、9歳になったパディは立派な楽器を携えステージ・デビューします。それが左の写真。パディ、床に足ついてないし…(クリックで拡大します。是非拡大してみてください)

10歳になるとパイプのコンテストに出演。14歳以下のクラスだったとはいえ見事に4位だったものの、この結果にパディは大不満。根っからの負けず嫌いだったんでしょうな。翌年はなんと11歳にして優勝を飾っている! すごい。そんな風にして少しずつパディは伝統音楽の集まりにも参加するようになり、子供ながらにも、多くの老人プレイヤー達から伝統音楽の未来を託されたのを強く感じたのだそうです。しかし当時はアイルランド音楽で食べて行こうという考え方はありえないものだったので、学校を卒業したら、きちんとした職業に就くということは当然のなりゆきでした。

(C) Chieftains web site
学校でも相当な優等生であったパディは学校の先生の絶大な推薦のもと、住宅建築資材の供給会社としてはアイルランドで第2位のバクセンデイルズ社に就職し、経理/簿記係として働きはじめます。これが16歳の時。週末は伝統音楽に没頭しながらも、パディは会社を休むことなく真面目で優秀な従業員だったそうで、そこで将来の奥さんになるリタとも出会っています。

当時パディの部下として入社したリタ。2人の大げんかは会社内の名物だったのだそうですが、実は2人は水面下で愛を育んでいたわけです(笑) ちなみにチーフタンズのスタッフ、関係者の間ではリタはパディよりもパディであると評判の(笑)強くて優しい女性です。今でもお元気で2人はとても仲良しなんですよ。この本でもリタは悪態をつきつつも愛情たっぷりにパディのことを語っています。会社に入社したてのリタは最初にパディの下に配属されて『電話を取る係』を任せされたんだけど、その時、ビビってふるえあがったのだそうです。というのもそれまで電話で話したことが一度もなかったから。そんなリタにパディはとっても親切にしてくれたのだそう。

さて1956年の夏、パディはまた別の、運命的な出会いを果たします。友人の演奏家マイケル・タブリディ(のちのチーフタンズのメンバー)とクレアへ1週間の自転車旅行へ出かけようということになり(すごい距離ですよね…まぁ、若いから可能なのかな)、途中自転車故障のトラブルにあいながらも2人は無事にフェスティバルが行なわれているミル・タウンへと到着。ここでパディは厚手のアラン・セーターを着た上流階級の青年に出会うのです。

今でもお元気なガレクさん
彼はパディの演奏がたいそう気に入り、パディが1曲演奏し終わるたびに熱い拍手を送ってきたのだそうです。そして演奏が終ると、パディに近づいてきて自分はガレク・ブラウンだと名乗ります。

 「最初の頃はガレクのことを女だと思ったよ」「男の長髪なんて50年代には珍しかったし、おまけに童顔なんだ」

実はギネスの御曹司であった彼との出会いはパディの人生を変え、アイルランド音楽の未来に大きな影響を与えることになるのです。

現在でも大の仲良しのお二人はそろってラジオに出演しました。その時の様子がまだ聞けます。




そして…このガレク・ブラウンの弟が、タラ・ブラウンなんですね!(ビートルズとも親交が深くA Day in the lifeのインスピレーションともなった英国社交界の有名人)こうしてみるとチーフタンズもSwinging Londonのムーヴメントの1つだったわけだ。タラの話はこれがいい記事。興味ある人は是非




チーフタンズの公演チケットは10月9日の「秋のケルト市」でも購入いただけますよ。アイルランドの音楽、文化、カルチャー、食が集合したイベントです。アイルランドのガイド・ブックを最近出版された山下直子さんのトークショウ他、豊田耕三さんのホイッスル・ワークショップなど盛りだくさん。是非ご来場ください。詳細はここ


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11/23(祝)所沢市民文化センターミューズ アークホール
11/25(土)びわ湖ホール
11/26(日)兵庫芸術文化センター
11/27(月)Zepp Nagoya
11/30(木)Bunkamura オーチャードホール 
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12/3(日)よこすか芸術劇場
12/8(金)オリンパスホール八王子
12/9(土)すみだトリフォニー大ホール



2017年9月12日火曜日

みんなが前向きになれば明るくなるのにさ…


私自身の答えは出ていて「何かとっても面白いことをして業界のそういうウサを吹き飛ばす」それしか今の私にやれることはない。そして「くさくさ悩んだり心配している時間をなくすくらい忙しく仕事する」「人のやっていることが気になるのは自分がヒマだから」です。

お願いだから外野のなにもやらない人や、メディアはネガティブなことをわざわざなぞるのではなく、行動する人たちを応援してほしい。これ昨日の投稿にも通じるけど… 自分のリスクを取る、行動する人間になる、じゃなかったらモノを言う存在にはなれません。メディアのリスク? それは無名の誰かを応援する時にある。(そんなこともここに書いたな) 

なんというかこっちは大海の中でぎゃんぎゃん騒いでいる蛙的な気持ちになることは時々あるわけですよ。

結局のところ自分が面白いことを企画して、力強く発信するしか答えはないのだ。前にもここに書いたと思うけど…。

というわけで、ウチも面白い企画を企画中です。取り急ぎ新規公演の発表は9月23日。ここまで長すぎるぜ… ふぅー。

昨日は週末のパン講座に向けて、今度の回は自分がしゃべるのでパワーポイントとか久しぶりに作ってました。なかなか楽しかった。英国/アイルランドのパンは以下に分類される…
(1)朝食のトースト文化
(2)スープなど汁物のあてとしてのパン
(3)サンドイッチ文化
(4)ジャンクフード系(スパゲッティ・オン・トースト、ビーンズ・オン・トースト、クリスプス・サンド、チップス・バティー)
(5)アップマーケット系(アフタヌーンティーのキューカンバーサンド他)
(6)食事としてのスコーン、マフィン。タルトやパイ(コーニッシュやケリーなど地域パイ)など

せっかくだからブリテン諸国伝統音楽で食べものが出て来るものを紹介しようとチェック中。(2)のスープのあてでこの曲かけようかな〜 大きな鍋の中で煮立つ魚のスープ(笑)

マザーグースのこの曲が…


こんなになっちゃうんだもの、かっこいいよねぇ〜


この2人夫婦なんだけど、ずいぶん前に来日した時はまだ結婚してなかった。演奏中も視線をおくりあいお互いの「愛」と「尊敬」が見える。「2人が喧嘩したらコンサートはどうなるんですか?」と聞いた、松山晋也さんの質問が笑えた。松山さん、その節はありがとうございました。このCDもまだ在庫がどっかにあったな… CDショップ、なんとかしなくちゃ!!

さーて今日もがんばろ。

2017年9月11日月曜日

モノが言えなきゃ死んでるのと一緒なんだよね


これ(↑)、すごくいいから是非読んでみてください。林田直樹さん。カザルスホールのことを紹介している。「東京人」の方も読みましたが、それがコンパクトにまとめられています。東京は本当に音楽都市なのか… ということについて。

そうなんだよね、モノを言う存在になるには、常に挑戦し続けてないといけない。モノを言う存在=誰かに聞いてもらえる存在…としたらいいのかな。多くの人に聞いてもらうには、面白い事を常にやり続けてないければいけない。リスクを取らない奴の話は誰も聞かない。っていうか、聞いても面白くないんだよね。挑戦し続けている人の話は面白いし、勇気がもらえる。

…と私は解釈しました。 月曜日です。皆さん、張り切って行きましょう!

元気をくれるウォリスのこの曲を。「I am so tired of that line!」ウォリスの来日はオーストラリアツアーへの経由地なので、今回は1度きり。11月6日(月)です。チケットはこちら。



この号、林田さんの記事とともに岸田繁さんとか、めっちゃ充実です。都内クラシックのコンサートホールの案内などなども。


https://twitter.com/nmcmnc/status/9067267797625692

2017年9月10日日曜日

映画「サーミの血」を観ました。#サーミの血感想


映画「サーミの血」を試写で拝見しました。日本での配給アップリンクさん。そしてご案内いただいたノルウェー大使館さん、ありがとうございました。実はこの映画を観るのは2度目、でも日本語字幕付きで観るのは初めてです。

先日の出張で機内で観て、すごくいいなぁと思って(1回目の感想はここ)一度ちゃんと日本語字幕付きでも観なくちゃ、と思ってたんです。そして2度目に観ると細部があれこれ分かって、さらに良かったですね。前にも書いたけど静かだけどパワフルな映画。その感想は変わりません。

左の写真はノルウェー大使のご挨拶の様子。

映画をざっくり説明しますと、妹のお葬式に参加するためにサーミの村へ帰って来た老女。教職を退職し、しっかりした息子と可愛い孫もいる。嬉々としてサーミの民族衣装を着せられ喜ぶ孫娘とは反対に、老女は親族達に対して偏屈な態度をつらぬきいます。その彼女の過去への回想で話は進んで行くのです。

1930年代。サーミ族は、いわゆる親が遊牧生活をしている事から、子供たちはみんな全寮制の学校に強制入学させられ、サーミ語を話すことを禁じられていました。(この辺、グリーンランドのイヌイットとも、とても良く似ています。なんというか、良かれと思って国の制度がそう強制しているのが、ますますたちが悪いんだけど…)そんな中でも学校では気丈にも勉強をがんばり常に優等生のエレ・マリャ。先生も彼女を気に入り、自分の部屋に招いたりコーヒーをご馳走し本をプレゼントしたりして目をかけてくれる。でも先生は彼女にあなたが学校に進学することはない、と告げるんです。あなたたちの脳はそう出来てはいないのよ、と。

そうそう大学都市「ウプサラ」(ヴェーセンのホームですね)が会話の中にもたくさん出て来るんだけど、いわゆるエレ・マリャが憧れる「インテリ都市」って感じに扱われていて面白かったですね。英国で言うところのオックスフォードやケンブリッジって感じでしょうか。映画に出て来る街のロケは全部ウプサラだったのかも。確かに私が何度か訪ねたことのあるウプサラの印象は似たような感じだったけど…。公園の感じがヴェーセンのKeyed Upのベンチがある公園に非常によく似ている(笑)

話がそれた… そんな風に差別的な言葉をあびせられたり、まるで動物のように測定にかけられたりとひどい扱いを受けるんだけど、彼女が自分の怒りの気持ちを語ったり泣いたりすることは絶対にないんです。ないんだけど、ものすごい説得力というか迫力というか…彼女の気持ちが痛いほど伝わる映画です。なんていうか、黙ってても、すごい語るというか…そんな素晴らしい主役の彼女は、レーネ=セシリア・スパルロクって本物のサーミ人。妹役の子も素晴らしいんだけど、なんと本当の妹なんだって。2人に対する監督のディレクションっていったいどんな感じだったんだろうか… 監督は同じくサーミの血をひくスウェーデン女性のアマンダ・シェーネル。

監督がインタビューに答えて話していたことに「“血”という言葉をタイトルに入れたかった」。そして「思春期の少女が持つ可愛らしさよりも暴力性を伝えたかった」。これもなんだかすごい理解できる。確かに“血”というのもので連想するものは、逃れられない,自分ではどうにもならない自分につきまとうもの。そして生理がはじまった時のあの感覚。

監督によれば、実際に監督の親族にもサーミの伝統に留まった人たちと、アイデンティティを変えた人たちとの断絶はあるのだという。

この映画のコピーや紹介の文章に「自由をもとめて」とか「自由をつかみとりたい」とかいうキャッチフレーズがよく出てくるのだが、私はなんだか違うと思った。果たしてエレ・マリャが「自由」とは何か、具体的に認識していたとは考えにくい。「やりたいことをつらぬく」とか「信念をまげない」とか評価している感想も見かけたけど、うーん、違うんじゃないかな。彼女は自分のやりたいことが分かっていたわけではない。ましてや信念なんてありはしない。ただただ、彼女はそこから抜け出したかったんじゃないかな。 ただただサーミの文化の中にある自分を嫌悪していたのではないか、と私は考える。何より差別をしているのは、彼女なのだ。そこに秘められた彼女の暴力性が感じられるし、それによって人を傷つけることをいとわない感覚も感じられる。そして自分のそんな態度で、自分自身も結局ひどく傷つく。彼女は仲のよかった妹とは断絶してしまうわけなのだ。

それにしてもあの姉妹が冷たい雪解け水の中で遊ぶシーンは、すごく良かった… 空気が冷たい。でも太陽はキラキラして、寒いんだけど温かく2人を包む。2人の長い髪が濡れる。そして寂しい時、歌うヨイク。本当に素敵。でも、そんな、すべてが本当にせつなく、悲しい。

でもこれは彼女が選んだ道なのだ。だから後悔はないと思うし、映画は旅立ったあとの彼女と孫まで出来た彼女の間の期間はすっとばしているので、何が起こったかは分からない。でも成功だったのだと思うよ。憧れの教職につけて、可愛い孫までいて… ただ妹の葬式にやってくるシーンだけで「失ったものは大きい」と決めつけるのもよくないように思う。まぁ、こういうことが人生なのだ、という結論でいいのかな。

それにしてもエレ・マリャが力強くこちらを見つめるだけで、もうなんだかものすごいパワーなのだ。素晴らしい女優のレーネ=セシリアとその妹は、今でも普段トナカイを放牧しサーミの伝統的な生活をしているのだという。そして「私は自分の仕事に誇りを持っている。私たちより前の世代はサーミの血を嫌悪した人も多いのだけど、私の世代は自分たちのルーツに誇りを持てるようになった最初の世代じゃないか」と語る。そんな彼女がまぶしい。

そしてやっぱりすごいのは、こういった映画を作ることで黒い歴史をも見つめ直し、自分たちで努力し、より良い世界を作って行こうとする北欧の真面目さとパワーだよね。簡単におしゃれで福祉/教育が充実してて老後の心配ない北欧はいいなとか、ノルウェーいいなとか…それでは何も学べないと思う。問題を直視し、何が問題だったのかきちんと落とし前をつけていく。そういう北欧の前進する力に学びたい。

本当にパワフルな映画です。ぜひ観に行ってください。来週いよいよ公開。劇場リストはこちらを参照に。都内は新宿武蔵野館、アップリンクなど。



興味を持たれた方は、是非読んでみてください。 レーネ、なんだかあか抜けてて素敵な感じ。東京仕様かしら(笑)彼女の将来、そして監督の次回作も楽しみですね。

PS
アップリンクの浅井さんのインタビューすごくいい。そう,泣かないんだよね、この映画。妹が1回だけ涙をみせるんだけど。基本的に泣かない。そこがホントにいい。


これは数えているという理解でよろしいんでしょうかね…

 これは数えているという理解でよろしいんでしょうかね… 



やるなぁ!  実は意外に思われるかもしれないけど、この二人、めっちゃ仲が良いのよね。カルテット・ヴェーセンで来日した時も、この二人がいっつも一緒にいた(笑) っていうか面白いのはバンドって4になったとたん2つに分かれるのよね。不思議だわ〜

私にはメロディの頭がどこなのかさっぱり分かりません。でもこういうの好きな人、多そうだから紹介します。私はこれ、アンドレは数えていると思います。ウーロフは数えてないかもだけど。

アンドレといえば、どこかの誰かがフルアルバムでこれ上げちゃってるんだけど、11:44からアンドレの変拍子曲が聞けます。28分の…なんだったかな7かな? 名曲なんで是非聞いてみてください。すごいよね。ちなみにこの曲が入ったCDはここで購入いただけます。日本盤はボーナス4曲付)



今日もはりきって数えて参りましょう!(笑)今日は貴重な事務所こもり日だったのに、朝おきたらこの時間でもうがっかり…

2017年9月9日土曜日

赤羽パン講座その2:森本智子先生 奥深いドイツ・パンの世界


さて本日は赤羽パン講座の第2回。森本智子さんによる「奥深いドイツパンの世界」をレポートします。あくまで野崎が録音もせず手書きでメモったものなので、何か聞き違えや、誤解、間違いなどが多々あるかもしれません。その点、ご了承を。

森本さんはドイツの西の方に10年以上住まわれていたというドイツの食品のエキスパート。最近「ドイツパン大全」という本も出されて、ドイツの食品の振興に活躍されています。森本さんのホームページはここ。

まず皆さんはドイツパンというと固くてすっぱいというイメージがあるかと思います、と森本さん。北欧とちょっと似ているのだそうです。でも一応ドイツは「世界1パンの種類が多い国」で、大型パン300種、そして小型パンは1200種類もあるんだって。そしてざっくり言うと南部では小麦が多く、北部ではライ麦が多い。ライ麦は土壌を選ばないので、ドイツの北部など寒いところでも育てることが出来るんだそうです。(昔、札幌/ミュンヘン/ミルウォーキーってのがありましたが…あれは緯度が同じ3都市という意味。ドイツの南部であるミュンヘンが札幌と同じ緯度なので、ドイツはやっぱり緯度が高いですね)

ちなみにドイツ人は2012年の統計で1人のパンの消費量が85kg。日本人のお米の消費量が年間54.6kg(2015年の統計)をかんがえるとやはりすごい量。ドイツのパン文化は2014年にドイツ国内のユネスコに登録された彼らが誇る文化なんです。そして地域の1つ1つの特徴がすごく強い。地域独自のパン文化がある。これは先生によると東西の統一の歴史が短かったので、地域の文化が残りやすかったとも言えるのだそうです。ドイツは州制度をしいていて州政府があり地方分散型。それも重要ですね。

では,パンはどんな風にドイツで食べられているのでしょう。ドイツ人のライフスタイルは朝も夜も早い。朝は早起き、夜も早寝。お昼をしっかり食べることが多く、夜は軽くパンにハムとかチーズで済ませることも多いんだそうです。 面白いのは日本では食事のことを「ご飯」と言いますが、ドイツでも夕飯のことは「夜のパン」という言い方をするんですって。(ちなみに朝ご飯は別の言い方だそうです)

まず朝食の特徴は小麦の丸いパンを食べることが多いということ。今はそうでもないが、ちょっと前までは皆、朝イチでパン屋に行って焼きたてを食べるのが一般的だったんだって。ちなみいンドイツの一般的な朝食では卵(ゆで卵/半熟が多い/スプーンで食べる)が出ることが多い。そして果物も大好き。

そして夕飯のパンはライ麦系をスライスしたものが多く、ハム、ソーセージ、チーズを載せてフォークとナイフで食べるのが一般的なのだそうです。

ドイツパンの種類。代表的なものを…(ちなみにリンクは私がググって見つけたもので、先生が推薦されたものではありません)

シュヴァルツブロート
ラインラント風、そしてミュンヘンに代表されるバイエルン風があり。

フランツブレートヒュン
ハンブルグエリアでポピュラー。このパンだけ売ってる専門店が駅前にあり!

プンパニッケル
これ、私苦手だったんだけど、先生の言うとおりよく噛んで食べたら美味しく感じられた! 身体によさそう。日持ちして保存食としても機能するんだって。

ドッペルゼンメル
朝ごはん用の丸いパン。2つくっつけて1つにしているものもあるそう。

シュトレン
これは有名ですよね。マジパンが真ん中に入っているのだけど、ドイツの人はホントにマジパンが好き。日本ではクリスマスのイメージがあるかもだけど、現地では冬を通して食べるもの。10月くらいから出回って、イースター前まで食べるんだって。元東ドイツのエリア、ドレスデンが中心。

ゼーレ
本日の試食コーナー。豪華です。
南のパン。死者をとむらう意味もある。キャラウェイが入っている。

プレツェル
あの焼き色はアルカリ液をつけているからなんだって。へぇ… あの形の由来は古代ローマの腕輪が変化した、という説もあり。オクトーバーフェストなどでも売っているんだけど、先生が見せてくれた写真では異様にデカいのが写っていた。その大きさで500円くらい。

ここでパンの食べ方について:しっかりバターをたっぷり塗るのが特徴。重要。バターは素材とパンの間に膜をつくりパンに水分が来ないようにしたり、また具材が安定しやすいように糊の役割をしたりする。ドイツでは無塩バターも比較的よくパンに塗る。

扱い方のコツとして:焼かない。イギリスやアメリカのトースト文化とは異なる。というのも焼いてしまうと内側のしっとり感がなくなると考える人が多いらしい。そのかわりクラスト(外側)はしっかり、内側はシットリ。美味しいパンは「ジューシー」と表現するドイツ人も多いのだそう。

あと保存は紙につつむなど、密閉しないのがいいとされている。パンは呼吸すると考える人が多いらしい。また結構みんな大きなパンを買って切って使うことが多い。

日本でも美味しいドイツパンが体験できるのは、日本橋のタンネ。北松戸のツォップなど。でもドンクでもドイツパンおいているし、アンデルセンにも。比較的入手しやすいです。

森本先生、ありがとうございました〜 いや〜面白かった。ドイツはやはり国が大きいからすごいですね。地域性があって、これは食べ歩きするのも時間がかかりそう… あとドイツ人は何でもルールを作りたがるってのに、ちょっと笑っちゃいました。私の持ってるドイツ人のイメージもそんな感じです。ふふふ…

さて来週は野崎がアイルランド/英国の食文化について語りますが、当然食べものに関する音楽も多少用意していきますので、お楽しみに。


素晴らしい女性ヴォーカル




またもやNorthSideのロブ先生のアーカイヴがアップデートされました。前にも書きましたが、以前ネットは情報の宝庫でマニアで素敵なサイトがたくさんあった。今でこそ単なる情報の洪水、水流の流れは早く、SNSが流行ってからは、それだけ巡回して終ってしまっている人も多いようですが、今でもきちんと情報をアーカイヴし発信してくれている人はいる。

それにしても、かっこいいなー かっこいいなー かっこいいなー。こういうの大好き。マリ・ボイネ、ほんとかっこいい。なんつーか、女性ヴォーカルってそれだけでもうなんだか田舎くさくなりがちなんだけど、ほんとにかっこいい。で、なんでかっこいいかというとバンドがかっこいいし一流だからなんだよね。それにしても彼女の来日は札幌だけってのはありえなかったわ。なんで東京に来なかったんだろうか。本当に残念。

彼女のコンサートを初めて見た時「うわ〜 これはホント高そうだな、このバンドじゃ高いだろうな」って一番に思った。本人も素晴らしいけど、プロダクションが本当に素晴らしいのだ。こういうのを一流の音楽と呼ぶのだ。素敵だ。こういうの、ホント好き。

思えば女性アーティストでかっこいい人はプロダクションにホントにお金使ってる。ロリーナ・マッケニットもそうなんだけどさ。これもロケーションもすごいけど、すごいバンドだよ…バンドがすごい。



そしてエディもかっこいいよねぇ〜。本人全然そういう気負いは見せないんだけど、おそらく本当のところでは音楽に妥協のない人なんだと思う。時々チューニングの悪いウクレレとか弾いちゃって、ナチュラルでいいんだけどさ。それは狙ってのことで、本当はすごくシャープなんじゃないか… というか本当に優しくて大きい人はシャープでいながら、とってもナチュラル。そういう事かな…。エディはかっこいい。これはブーがプロデュースだったっけ? ジョン・マカスカだったっけ? 弦の響きとロバート・バーンズ。エディの最高傑作の一つ。



メアリー・ブラックもいつもバンドに妥協しない。これだけのバンドを人口350万人の国で揃えるのは用意なことじゃない。メアリー以外で音楽の仕事してないからあまり指摘されないんだけど(どうしてもメディアはヴァンやブライアン・ケネディのバンドにいたリッチーとか、ベースのニックなどに視線が行く)パット・クロウリーのキーボードは本当に天才だと思う。このキーボードとアコーディオンあってのメアリーだ。パットのキーボードが光るこの曲を貼っておきましょう。リリカルなフレーズ〜



ヘレーネ。まぁ、北欧1の旦那がバンマスだからかっこいいのは当然なんだけど…。これ大好き。めっちゃ素朴な歌なんだけど、とにかく一流だ。



これ全部貼ってて気づいた。私はボーカルの後ろで、まっすぐ垂直に入って来るドラムが嫌いなのだ。上の動画ほとんどジャズのブラシみたいで、グネグネする自由度の高いリズムを刻むドラムもしくはパーカッションばかりだ。ボーカルというか、インストバンドのメインの楽器でもいい。リズムはメロディというか主軸であるフロントから来るものであって、後ろでたたいているうるさいドラムの上に乗っかるものではない。というか、ドラムはうるさくしちゃいけないし、メインのボーカル/楽器はドラムにリズムをまかせてノンビリしていてはいけない。アカペラ、独奏にたえうるもので常にいなくてはいけない。まずはメインのところからすべてが発信されていなければいけない。バンドはそれを全力をあげて聞く。そういやクリス・ディフォードの本に「〜は、歌詞カードをくれ、と言ってきた最初のドラマーだった」って書いてあったな。そういうことかしら。ふむ。

あ〜、また女性ヴォーカルやりたいなぁ… 今のところ予定がないけどね。

今日も張り切って行きましょう! 本日北区赤羽パン講座。2日目です。



ヘレーネのCDは無印良品でお求めになれます。 こちら。
メアリー・ブラックのCDはこちら。
ロリーナのCD、結構在庫あるんだよな…近日中にCD SHOPにアップします。

2017年9月8日金曜日

青山透子「日航123便 墜落の新事実」を読みました



森永卓郎さんの紹介に引き込まれて、いてもたってもいられずポチってしまった。そしてあっという間に読破。やばい。「え〜っっ、それ陰謀論じゃないの?」とか笑われそうだけど、いや、これは読む価値があるちゃんとしたノン・フィクションです。すぐ読めます。文字大きいし,意外と短いです。それにすごく分かりやすい。

著者の青山さんも、あくまですべて仮定ということで書かれており、結論は出していません。でも証言1つ1つちゃんと集め、紹介できる人は実名やイニシャルで紹介し、きちんと分析しています。そして、これはもう… 決定だろうというところまで来ています。それでも青山さんはあえて断言はしていません。でもこれは、もうこういうことだろうと、結論づけるしかないんだと思います。もう結論は出ている。

というか、これだけいろんな証言、新しい証拠が出ているのにも係らず、なぜこの件について、まったく何も明らかにされないのか、それが本当に信じられない。ここにまた、自分たちで検証し、決断し、責任を国民全員で負っていこうということが出来ない日本人の姿があるのかもしれない。そして一部の悪い奴らはのうのうと生きているのだ。この件を墓場まで持っていこうという覚悟とともに… 

元日航の客室乗務員の方が書いたノンフィクション。著者は数年前にも「天空の星たちへ」という本を書いており、それを読んだ関係者、遺族などから、さらに新しい情報が彼女のもとに集められた。そして追加調査を続けていく中で、この本をまた書くにいたったのだという。著者はこの事件の真相解明に自分の人生をかけている。自分の大切な同僚や先輩を突然この事故で失った。彼女もまた被害者の1人なのである。と同時に、彼女はこの事故を起こしてしまった日航の職員でもあったわけだ。

奇跡的に助かった生存者4人のうちの1人が非番の客室乗務員だったから、その方の証言から、亡くなった同僚や先輩たちが最期の最期までプロ意識を捨てず、頑張ったことなどが証言として残っている。この本には当日の様子も臨場感たっぷりに書かれている。

彼らは不安がるお客さんの声に「絶対に大丈夫です。私たちはそれなりの訓練をうけています」と説明し、そのおかげか機内でパニックはなかったのだという。救命胴衣を全員が着用する中、最期のアナウンスをする乗務員。「ベルトはしていますか、テーブルはもどしていますか? 確認してください。…の際は予告無しで着陸する場合が… 管制塔からの交信はつながっています…」

また最後尾にすわっていた乗務員のおいては、手帖にふるえる文字でボールペンで非常着陸後の避難誘導の際のアナウンスの要点を日本語と英語で書いたのだという。パニックって言うことを間違えないように。大切なことを伝え忘れないように。彼女の…結婚したばかりの夫や両親の顔も浮かんだろうに、その手帖に私的なメモはなかった。「おちついてください、ベルトをはずし、身の回りを用意してください。荷物はもたない、指示にしたがってください」「ハイヒール、荷物はもたないで」「Release your seat belt Remove High (heel), don't take baggage,  follow our instruction」などと書かれた震える文字。これは画像でも掲載されている。そして次第に揺れが大きくなって急降下する中で、乗務員たちは叫びはじめた…。「足首をつかんで、頭を膝の中に入れる! 全身緊張! 頭を下げて衝撃に備える!」もうお願いする口調ではない、笑顔もない。そしてすべてが終った。彼らのプロフェッショナリズム、そして無念を思うと本当に心が痛くなる。

問題点が2つある。(1)日航機が墜落した原因、そして(2)なぜ機体/生存者の発見まで16時間もかかったのか。もっと助けられる人はいたのではないか。その2点だ。

(1)だが、これはもう…この本を読めば分かるのだが、ほぼ間違いなく自衛隊/もしくはアメリカ軍の練習用ミサイルが原因だろう。あってはいけないことだが、ホントにあってはならいことなのだが。85年、戦後40年、当時は中曽根政権で、防衛費GNP1%枠超えは非常にデリケートな問題であった。そんな時期のこの事故だ。これを公開するわけにはいかなかった。

(2)100歩ゆずって(1)はそれでも…事故だったとしよう。本当にどうしようもない事故だったのだ、と。さらにまずいはの(2)の方だ。実はこの事実は意図的に隠蔽された。その作業のために、機体の発見をワザと遅らせ、本来救える命が救えなかったのではないか…という事だ。 発見を意図的に遅らせている間に、証拠になりそうな機体や遺体の焼却作業を行った…という事。

(1)も(2)もびっくりしちゃうが、もう一度書くが青山さんは丁寧に証言をまとめ、説明している。彼女は日航をやめたあと教職につき、また東大の大学院で博士号まで取得している人だ。これは単なる陰謀論の本ではない。

特に(1)を裏付ける証拠の中で、子供たちの文集「小さな目は見た」の文章には涙が出た。該当機には子供が50人も乗っていただそうだ。またこの事故に親を奪われた子供もいる。そういう子供たちのことを思って寄せられた上野村の小学生、中学生が書いた文章。子供たちの目撃情報は…1年生から6年生までなんと70人以上もいるのだ。日航機の後に追従していた飛行機が2機あったこと。追従ミサイルらしきオレンジの小さな飛行機を見掛けたこと。そしてボイス・レコーダーに残された謎の「オールエンジン」という謎の音声。これは実はオレンジではないだろうかという説もある(You Tubeにあがっている音声を聞くと確かにそう聞こえなくもない)

(2)についていえば、その場ではありえない匂い、航空燃料ではない燃料の匂い(しかも当時自衛隊でしか手に入らなかったもの)がしたという証言が複数残っているのだ。そして不自然に炭化した遺体。

それにしても生存者の話によれば、飛行機が落ちた直後、まだ周りの人は何人も生きていたのだという。苦しがる声以外にも「よーしがんばろう」という子供の声まで聞こえていたのだ。また何人かの遺体は綺麗で傷がほとんどなかったものもあったそうだ。もしかしたら、もっと早く救助が開始されていれば絶対に何人か救えたのではないだろうか。

また当時の生存者4名はみな、自主的に行動した上野村の消防隊員によって発見されたのだという。上野村の目撃者は警察に電話したり、「JAL機が行方不明です」と叫ぶNHKに電話をしたり、警察に電話をしたり、皆、必死で行動した。が、それはすべて無視されたのだ。実は事故の場所はアメリカ軍によって事故後2時間後には確定されていた。アメリカ軍の担当者はあと15mのところで救援ストップを命令され引き返した。これは本人が証言している。そしてその間、自衛隊はいったい何をしていたのか。

そしてさらに… つい2年前、ダイバーが相模湾に事故機の垂直尾翼が沈んでいるのを発見したというニュースが、なぜかテレビ朝日だけで流れた。なぜ、これを調査しないのか、まったく理解が出来ない。そして事故原因の鍵を握っている垂直尾翼の7割は、いまだ回収されていない。

この件、私が生きている間にはっきりするのだろうか…。というか、こんな事では亡くなった方たちは本当に浮かばれない。遺族の方も浮かばれない。そして何も学ばない私たちは、原発事故で同じような経験をし、いまだに「カケ」とか「モリ」とか言っているわけだ。

そして自主的に行動した地元消防団の皆さんをはじめとして、この本を書いた青山さん、そして遺族に向き合った日航の心ある「担当職員」の皆さんたちの努力には頭がさがる。そういう真摯に生きる人たちもいるのだ。その人たちの努力はいったいなんなのだ。

この件を紹介したラジオ番組もあった。こちらも森永さん。



数年前の荻上チキさんの番組より。



神保さんのおっしゃるとおり。原因究明し、それを将来にいかす。それが重要なのだ。重要過失があったなら別だけれど、そうでない場合、その場の責任者を罰しても意味がない。それよりも真実と理由をしっかり調査する。(まさかと思うけど自衛官2人を射殺というニュースが一瞬流れた…というのは間違いであってほしい。これもまったく解明されていない)

もう30年たっているのだから、当時の関係者の勇気ある告発を期待したい。いずれにしてもこの本は必読です。是非読んでみてください。

いや…でも当時から自衛隊うんぬんは…噂にあったよね。でも陰謀説の域を出ていなかったと思う。この1970年代におきた全日空墜落(162名全員死亡)も自衛隊が原因だったからな。それにしても520人の命を耐え難い恐怖にさらしたあげく、うばってしまった… 絶句である。 本当にありえない。



PS
途中、ちょっと感情的すぎるかな…と思われる記述もありますが、友人や先輩をなくしてるので無理もないし、逆に知識欲だけで追いかけると、その事を忘れがちになるので、このくらいでいいのかなとも思います… というかすべてが絶妙なバランスで書かれています。この著者、すごく頭がいいと思う。

2017年9月7日木曜日

やっぱり書いておこう 暴力と教育


まずは素晴らしい上記のブログ、ぜひ読んでみてください。

この件について自分はブログに書かない方がいいかなぁと思ったのだけど、やはり書いておくことにする。業界ネタのブログを書くたびに「きっと誰かを不快にさせてんだろうなぁ」とか「敵を作ってるだろうなぁ」と思うのだが… それでも一応書いておく。ホントにしょうもないことなのだが、自分の意見を言うだけで、誰かを傷つけることになるんだよね。それはすでに分かっている。でも、ここは自分の考えをまとめる場でもあり、共感してもらえれば嬉しいけど、共感してもらえなくても仕方がないのだ。この上のブログを読んで、勇気をもらい、黙っていたらいけない事のような気がした。また昨日とあるミュージシャンの方ともチャットで話していて、同じ意見になった。だから思い切って書く。

日野皓正さんは私も面識はないし、ライブは何度か見たはずだけどイベントとかそういう事だったように思う。チケットを自分でちゃんと買った記憶はないしコンサートを90分見たこともない。ちゃんとCDを聞いたこともない。だから何か言える立ち場には全然ない。

最初、このニュースを聞いた時、一番最初に「暴力は駄目だよ」と思った。その後の記者会見で「たたいてない」みたいな言い方をしたのも余計まずかった。映像を見れば、それは明確に分かるからだ。あきらかにすごい往復ビンタだし、大きな声で怒鳴ってもいる。(そういやあの映像は議会の反体制派の議員が撮ったという話があり。区長をひきずりおろすために動画を週刊誌に渡したという説もあるようだが、本当なのだろうか。それはまた別の問題なのだが…)

日野さんや多くの音楽関係者が言うように、確かに、私が子供のころ、暴力はもっと近いところにあった。ウチの家庭内でも短気な母親はよく私や妹をひっぱたいた。それに「勉強しろ」「何しろ」「何はしてはいけません」と、とにかく口やかましかった。父親は滅多に手をあげることはしなかったが、親に人生相談しても意味ないわと私は早くから理解し、早く家を出ようとそんなことばかり考えていた。ま、それでも親に愛されて育ったのは、今では間違いなく自覚しているし、そのおかげで極端に自立心旺盛な人間になったのは間違いない。手をあげる教育は66年生まれの私が子供のころは比較的一般的なことだったように思う。学校の先生には叩かれたかなぁ… さすがにそういう記憶はないけど…。ただ私は体育が苦手だったので、体育教師には相当いじめられた。もっとも私がイヤイヤ授業を受けていたのはあきらかだったし、モジモジとドン臭い生徒だったので奴らのイライラを誘ったのだろう。おかげで私は運動する事が嫌いな人間になり、身体を動かすことをしない大人になった。が、あいかわらず運動音痴は変わらないながらも、今ではそんなことは克服しランニングやら水泳やら筋トレやらを楽しんでいる。そして心の中で体育教師の連中に対し「ばきゃーろー! お前なんかよりオレの方が楽しい人生送ってるぜ」と舌を出している(黒のざき)。

しかし時代は変わった。今や暴力が始まれば,それは学校でも職場でも家庭でも、一瞬にして警察沙汰になる。特に子供に対する暴力/暴言はありえない。もっとも私が住んでいる足立区/北区には、まだ子供に対してものすごい暴言をはく親もたくさんいる。スーパーで、バスの中で、そういうのをたまに目撃すると、心臓がドキドキするよ… さすがに公衆の面前で暴力ふるう親はいないけど…。音楽業界も同じスタンダードなのだろうか。師弟関係だったら暴力はありなのか。この件について、私のSNSでは実は日野さん擁護派が多い。ちょっとびっくりするほどに…。また自分自身の友達ではないが「あれは楽屋でやるもんだ、ステージでやるもんではない」と書いている人もいた。それも絶対に違うと思うし、それはそれで更に問題が陰湿になる。暴力への一線というのは、そこで引かれるものではない。

なんというか暴力って、相手を見る目を一生変えてしまう。あぁ,この人はそういう人なんだ、って、タガが外れたようになってしまう。もちろん、それが日野さんという人であり、彼のすべてが彼の音楽に魅力を与えているに違いないのだが。

先日も久しぶりに会った友人が飲み会で「●●(国の名前)嫌いなんですよね」とか言うのを聞いて、ちょっとドキッとした。もちろん数人の飲み会の場だし他意はないと思う。が、そういう発言も最近は妙に残ってしまう。その人を見る目を変えてしまう。いや、私も「ホント、●●人って嫌いだわ」とか「●●人って苦手」って結構飲み会で言っちゃってるから気をつけないといけない。もうそういった事は反省して改めていかなくてはならない。そういう時代になったのだ。そしてそれは人間として前進だと思う。

それにしても、暴力は絶対に無理。例えば仕事相手にそういうの一度でも見ちゃったら、もう絶対にバッサリ人間関係が終る。友達とか絶対にありえない。ウチのミュージシャンで奥さんに暴力を振るっている人がいたとしたら、どうしよう。絶対に絶対にありえないよ。(で、これがあまり進行して、お互いがお互いを思いやりすぎて言いたいことも言えなくなると「ハーモニー」みたいな世界になっちゃうんだけど)

あと思ったのは日野さんのマスコミ対応の悪さだ。あの会見はまずかったね。今、日野さんのマネジメントってどうなっているんだろうか。マネージャーいなかったとしても、周りにアドバイスする人はいなかったのかな。不器用な方なんだろうなという印象を受けた。

一方で演奏を辞めなかった子供のことを賞賛する声もいくつかあがっていた。怒られても演奏をやめなかったのは偉い、って。それもなんか疑問だ。あのように音楽がアンサンブルである以上、自分だけではなく他のミュージシャンのことも考えないと駄目なように私は考える。それはそれで反省だよね… でも、それはあるにしても日野さんの暴力はやはり一線を越えてしまったと思う。私もあの場合、どういう態度を取るのが正しいのか、あれこれ思考を巡らせたのだが、上のブログの方のように「ほおっておく」のが正確だったように思う。ドラムソロだし、長時間続くとは思えないんだが…

一方で、このニュースを伝えるサンデー・ジャポンの爆笑問題の太田さんの反応は素晴らしかった。真面目な表情をいっさい変えず、生放送のスタジオ内で多くの出演者がみんな引いているのを分かっていながらも、絶対に駄目と言い切った。なんか信頼できると思った。そうだよ、一線ってある。超えちゃいけない一線って。

今日も張り切って参りましょう! 元気になれるこの曲を貼っておきますね。11月に来日するウォリス・バード。来日詳細はここ。

2017年9月6日水曜日

「ムンク×斎藤清展」に行ってきました!



そうか、手は頬ではなく耳にあてなくてはいけなかったか… 注意書き(←)をちゃんと読まないで撮っちゃった。1人で行ったので、会場のお姉さんに撮ってもらうことになったので、あまり演技も出来ず…(というか、こういうの上手な人いるけど、つくづく自分は才能ないよなぁ)





  







この10日まで、渋谷ヒカリエ8階にて会津の画家斎藤清の、ムンクに影響を受けたとされる作品を中心に展示が行なわれています。





















素朴な田舎の村や、雪に埋もれる景色、猫などの温かな作風で知られる斎藤清ですが、こうして並べてみると、確かにムンクっぽい!! 

これ(←)気に入って絵はがき買った…

 詳細はこちらです。10日までやってますので、是非皆さん、お出かけください。なおこれは簡単な展示なんですが、本展の方は福島で行なわれます。そちらの詳細はこちら。ここに載ってる作品なんか、さらにムンクっぽい。

ムンク=ノルウェー。ノルウェーといったら、私はやっぱりこの人。アンビョルグ・リーエン。曲はヴェーセン・ファンならおなじみの「ピルヴィとエスコのワルツ」



さて本日も張り切って参りましょう〜

2017年9月5日火曜日

North Side所有の貴重なライヴ映像、アーカイヴ化が始まります!



ヴェーセンやその他多くの北欧のCDをリリースしてきたNorthSideの社長のロブが「そろそろ引退するので自分が持っている映像のアーカイヴをミックスしたり編集したり整理している」との事。今後、このチャンネルでたくさんのすごい映像が発表になる予定です。

NorthSideは、レーベル運営だけでなくNordic Roots Festivalというフェスを主催し、ミネアポリスを中心に広く活動。ヴェーセンや北欧のバンドが北米で活動することに大きく貢献してきました。でもロブは別に北欧からの移民の子孫というわけじゃなくって、本人はポーランド系のジューイッシュだって言ってましたけどね(笑)。

今はヴェーセンの北米は新しいマネジメントに移行しちゃってるけど、まぁ、ロブの貢献なくしてヴェーセンの成功は考えられなかったと思います。

なので、ぜひこのチャンネルをフォローしてみてください。今回はヘドニンガルナ。もちろんヴェーセンやアンビョルグ・リーエン、JPP、キッモ・ポヨネン、フリフォトなどが今後続く予定です。

これもヴェーセンの貴重な映像。カルテットです。かっこいいねぇ!!! 0:44くらいから映像が始まります。ミッケ、すごい!!



カルテッドの時のヴェーセンってなんか格別なものがあるよね。もちろんトリオの方が自由度があってグネグネしててかっこいいんだけどさ。カルテッドのライヴ盤、おすすめですよ。ここでまだ少し在庫があります。この時のライブの映像も早く全部見せてほしいなぁ、ロブ社長!

アーカイヴといえば、最近知ったんですけど、fROOTSでおなじみアンドリュー・クロンショー先生のホームページはすごい。ここで貴重なレビューやらたくさん読める。こちらが北欧セクション。うーん、今さらだけどインターネットってすごいですね。

さーて、今日も張り切って行きましょう〜

2017年9月4日月曜日

2人は仲良し❤ 素敵な友情

寒い月曜日ですからね、なんかあったまるこの映像を。最後2人がお互いを見つけあう笑顔がすっごく素敵。45秒の映像です。


司会者「最初レニにあった時、よくしてあげようって思ったのは何故?」

ジャック=イングランド人の男の子(小さいのにおっさんみたいな顔してて可愛い。訛ってればもっと良かったんだけど❤❤)「彼が1人でいたから友達が必要かなって思って “元気? どこから来たの?”って聞いたんだ。そしたら “シリアから来た”って言うから… そこがラジオ…じゃなくってテレビでひどいことになっているのを僕は観て知っていたから“こっちにおいで、一緒に遊ぼう”って彼に言ったんだよ。で、一緒に遊ぶようになった。There we are!(このThere we are!が、これまた可愛い❤)」

レニ=シリア人の男の子「僕は1人でいてとても寂しかった(英語もとても上手でインテリな感じ。きちんとした子だわぁ〜)。友達もいなかったし。ジャックが来てくれて、すごく感じるところがあって、僕らはそれから友達さ」(このしゃべるレニのことを見つめるジャックの視線がこれまたキュート)

レニ&ジャック「ふふふっ」(お互いに見つめ合って笑う、その声がこれまた可愛い❤)

やばいわ。最近クリス・ディフォードの本とか読んで子供のころの話とか読んでると、もうこのくらいの年の男の子に萌えちゃうのよ! なんて可愛い。そしてなんて正義感にあふれて素敵なんだろう。そうです、子供たちはみんないい子。大人が嘘ついたり、人をおとしめたり、人の悪口いったり、責任逃れしたりするから、そういうのが真似される。それだけなんです。

レニ、ジャック、いつまでも仲良くね! さぁ、今日もはりきって行きましょう〜

2017年9月3日日曜日

赤羽パン講座その1:森百合子先生 パン好きのための北欧ガイド 

吉祥寺のcafe moiさんから試食用のシナモン・ロールも届き、始まりました、赤羽パン講座。

野崎はたまたまこの講座のコーディネイトのお手伝いをさせていただいておりまして、これから4週間にわたり、私も土曜日の朝は早起きして赤羽に通います。

第1回は森百合子さんの「北欧パン講座」 。森さんのことは北欧好きだったら絶対に皆さんご存知ですよね。たくさん本も出されていて、私も「コーヒーとパン好きのための北欧ガイド」は読んでいた。(なんと改訂版が出たんですね)

それにしても森百合子さん、素敵だったわぁ〜。お話しされる雰囲気も可愛らしくて、そして内容がめっちゃ濃くって感動しちゃった。また何かで是非ご一緒したいわぁ〜。「ケルト市」の次は「北欧市」やってみようかしら。今回は大量のお写真を見せていただきながら、北欧のパンについて、いろいろ教えていただきました。

ちょっと内容をご紹介しちゃいますが、私が録音しないでメモったことばかりなので、もしかしたら勘違い/間違い/誤解していることがあるかもしれません。それを前提に参考にしてみてくださいね。

まずは北欧の人は基本的に「黒パンが好き」確かに真っ白なパンってあまり見たことない。ライ麦のパンが多いんですよね。そしてノルウェーでは雑穀系が多い。確かに!! 言われてみれば!! っていうか、言われてはじめて「あぁ、本当にそうだよな」って思うことが多すぎて、先生のお話は響きまくりました。普段いかに注意してみてないか…ですよね。

そして話は「どうやって食べるか」ということに進んで行きます。まずは朝。チーズと食べる事が多い。乳製品は一般的にすごくおいしい(うん、うん)。そしてシンプルに食べるのがおいしい。魚卵とかペースト類も人気で歯磨きみたいにチューブに入ってたりする。

昼はニシン(日本でもイケアで買えたりします)の酢漬けとか… ニシンは人気でホテルの朝食とかでも3種類くらいのパターンで出て来る。芋にのせたりパンに載せたり… あと特にデンマークで人気なのがオープンサンド。オープンサンドって、基本的には手巻き寿司みたいなもんで自分の好きなものをがんがん載っけていいらしいのだけど、ある程度は組み合わせに定番があるんだって…知らなかった。例えばニシンとゆで卵を組み合わせるとか、レバーパテはビーツとマッシュルームと組み合わせるとか、あとサーモンは普通白いパンの上にのせる…とか、いわゆる定番がある程度は決まっているらしい。そして具はお皿の脇ではなくパンの「上に」載せるのが一般的。(ちなみに私が食べたのは全部が全部すべてパンの上にすでに乗っているものばかりだった)そしてアクアヴィット(40度くらいの蒸留酒)をビールをチェイサーに飲むのだそうです。死ぬぅ… 私アルコールあんまり強くないんだよな…。またオープンサンドといえども手では食べないで通常はナイフとフォークで食べる。そしてスーパーにいくと売っている「オープンサンド専門のコーナー」(し、知らなかった)をPÅLEGG(ポーレグ)って言うんだって。ここにいくとオープンサンドの具がいっぺんに買えるという便利なコーナー。へぇ〜知らなかった。そして、なんとオープンサンドの具には板チョコっていうのもあって、それはパンの上に本当に板チョコを載せて食べるのもあるんだそうです。(そしてそれ用のチョコも売ってるんだって)

夜は具材もたっぷりの豪華なオープンサンドが人気。例えばレシピ本も出ているコペンハーゲンのAamannsオーマンズとかね。このお店は一種古くさいと思われているオープンサンドを一気にスタイリッシュでかっこいい文化に変えたすごい店なんだって。最近は空港にも支店があるので、皆さん、要チェックですよ。あと鰻も具材として人気で、これは蒲焼きではなく(当然だけど)薫製が多いらしい。うーん、ビールと行ったら美味そうだなぁ!! あとはイクラ、きざみたまねぎ、ディル、サワークリームなんて組み合わせも美味しい❤ 

フィンランドではじゃがいもを入れたケーキみたいなパンもあるし、カレリアンピーラッカも人気。カレリアンピーラッカはクリーム粥をつつんだパンで、卵バターをのっけて食べるのが一般的。ロシア料理の影響もあってフィンランドではピロシキも人気。

あと北欧全般に言えることなんだけどホットドックのスタンドが街に多いですね。そして忘れちゃいけないのがコーヒー。特にシナモンロールとコーヒーの組み合わせは大人気。でもこのシナモンロール、生地の撒き方が国によって違うらしく、スウェーデン、デンマークでは毛糸型が多い。一方デンマークではかたつむり型が多いんだって。またデンマークではデニッシュタイプのものも多いんだそうです。大きく作って切り分けるタイプのものもあって三つ編み型とか、リング型とか… うーん、食べたいですね!

菓子パン類にカルダモンが入っているのが北欧風で、それもけっこう粗挽きタイプの物が入っていることが多い。言われてみれば,確かに! スウェーデンにはカルダモンロールもあったり、あと忘れちゃいけないのがフィンランドのムンキ(ドーナツ)。そしてノルウェーに比較的多いワッフル(確かにノルウェー人、いつも食べてる!!!)

そして特別な日のパンのご紹介も。クリスマスのルッセカット(サフランが入った黄色いパン)。ヨウルトルットゥというプルーンが入った手裏剣(しゅりけん)パン(あーーー、食べたことある!!)。クリスマスの豚のパン。なぜ豚かというと豚は幸福のシンボルでクリスマスに豚をローストしたものを食べることが多いので、一緒に食べるパンも豚の形なんだそうです(笑)

またイースターに食べるお菓子で代表的なのがスウェーデンのセムラ。めっちゃ高カロリー。これもケーキ生地ではなくパンなんですよね。(確かにそうだ!)そしてカルダモンが効いています。イースター前の断食前に食べられてたものらしい。スウェーデンでは人気で年末から3月くらいまで食べる習慣があるんだって。あと先生が見せてくれたスウェーデンのサンドイッチケーキの写真にはびっくり。ケーキにみたてて、パンとサンドイッチの具材でケーキ状にしたもの。これ食べるんだったらケーキにすればいいのに!(笑)なんてストイックなんだ、北欧人(笑) (ぜひ詳しくは森先生の本をチェキら!)

あと大事な「何処で食べるか」パン屋さんの目印は、皆さん分かりますよね。プレッツェルの形をした目印。これに王冠が乗っていると「王室御用達パン屋」ということになるらしい。そして、先生のおすすめパン屋! おすすめなのはデンマークのMeyers Bageri。デパートにも入ってたりするような有名なお店。そしてBrødというオーガニックのパン屋さん。

いただきます❤
ストックホルムのお薦め。家族経営なんだけど、めっちゃハイスタンダード。受賞歴もすごい市庁舎からも近いカフェ(名前メモったけど、自分の字が汚くて読めず)。そしてVate-Katten(小麦猫)という名の老舗パン屋もおすすめ。昔ながらの素敵な店だそうです。

ヘルシンキには、Ekbergという一番古いパン屋さんがあって、シナモンロール、ムンキがおすすめ。かもめ食堂近くのKaniniston Leipomoはどれを食べても美味しいけど、カレリアン・ピーラッカは要チェック。

そしてオスロはもう一択!(笑)誰に聞いてもここを薦められるというÅpentbakeri。そういや鐙麻樹さんも紹介してたな…、ここ! あと森さんによれば、こういうカフェ1つ1つ回る時間がなければ、市場などに支店がいくつか入っているので、そういったところにいってあれこれ試すのも良いですよ、とのこと。なるほど!!

そしてパンにはかかせないカフェのお話も。先生の好きなカフェは、オスロのバリスタ世界1がいるお店Jave、スウェーデンのルンドにあるLove Coffee、そしてコペンハーゲンの中央図書館のカフェDemocratic Coffee barなどなど… うーん、行きたくなってきた。でも行けないという人のために。日本で食べるなら,今回シナモンロールをいただいた吉祥寺のmoi cafeさん、そして代々木八幡のイエンセン薫薫堂(クンクン堂/先生がよくコラボされてるんだって)、ミッケラー東京さんなどがお薦めなのだそうです。

しかし私も今までぼーーーーーっとしてたな、と。何度も北欧行ってましたけど、全然ダメダメでした。今度からはもっと真剣にあれこれ食べ歩きたいと思います。肥っちゃいそうだけどね!(笑)

森先生、本当にありがとうございました。それにしても勉強になったな〜。こういった情報はすべて森先生の本にくわし〜く書かれていますので、気になった人、もっと知りたい人、というか、このブログを今興味深く読んでる皆さん、森先生の本、どれもお薦めですので買ってください! 先生によれば先生の本「3日でまわるシリーズ」どれもすごく好評なんだって。なのでこれ買って時間がない方も是非行ってみましょう、北欧に。

森百合子先生、ありがとうございました〜



PS
森百合子さんのこんなトークイベント発見! お時間がある方は是非。10月12日です。