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2017年9月13日水曜日

来日までもうすぐ:チーフタンズ物語(1)

あと3ケ月。チーフタンズが再び日本にやってきます。ホント楽しみ。で、自分も楽しみなので、2001年に出た「アイリッシュ・ハートビート〜ザ・チーフタンズの軌跡」を再読してみようと思ったんですよ。で、今この本手にいれようとしても、絶版になっちゃったようなので(音友さん再発してください!)、ここにざっくりしたあらすじを紹介していこうと思いました。ホントに面白いんですよ、この本。で、再読してみたら、自分でも相当忘れていることもあって、なんか新鮮に読めております。

というわけで、先日のパディのトークショウでの話や新たに収集したネタも入れこみつつ、このブログで来日まで連載していきたいと思います。題して「チーフタンズ物語」


(C)Chieftains web site
チーフタンズのリーダー、パディ・モローニは1938年8月1日、ダブリン北部のドニーカーネイで生まれました。お父さんはそこそこのパイプ弾き、お母さんはアコーディオン奏者で歌がうまかったそうです。

パディが生まれる1年前、パディのお家を悲劇が襲います。パディのお兄さんにあたるジョンがバイク事故で亡くなった…。一緒に歩いていた別の男の子も一緒だったそうで、この事はアイルランド初のバイクによる子供の死亡事故として、この事件はアイルランド国内で非常に大きく報道されたようです。
そんなわけでお兄さんが亡くなった直後に生まれたパディはいつもお兄さんの影を感じながら育ったと言います。他にお姉さんが2人いたようですが、小さな子供を失った家族の悲しみはどれほどのものだったかと思うと心が痛いです。ちなみにパディのあとにも妹が生まれており、結局は4人兄弟、たった1人の男の子ということになったようです。

パディと家族は休みになると、よくお母さんの田舎であるリーシュ州にある祖父母を訪ねていました。そこでパディは伝統音楽を体験します。親戚の中には、若いころオール・アイルランド・チャンピオンに輝いたことのあるほどの腕前のおじさんのパイプ奏者もいたそうで、とにかく田舎の冠婚葬祭やら何やらで本場の伝統音楽の洗礼をたっぷり受けたのでした。確かにダブリンにいるだけじゃ、そういう体験は無理ですもんね…

で、お母さんは早くからパディの才能を見抜き、クリスマスにサンタに会わせるとパディを連れ出すと、息子に市内の店でキラキラしたティンホイッスルを買い与えたのだそうです。家に帰るバスの中、ホイッスルを取り出し、さっそくパディは独力で音階をさぐりはじめます。するとバスを降りようとした母子に見知らぬ人が声をかけてきました…「坊や、そのまま練習を続けていれば、すぐに高いDの音が出せるよ」と。なんとその乗客は巨匠レオ・ロウサムだったというから驚きです。というか、さすが巨匠、どんな時もこういう態度であるべき…というか。かっこいいですね。1959年のジョージ・ポロックの映画「Broth of a Boy」の1シーンより。巨匠の演奏シーンをご覧ください。



レオ・ロウサム。のちにスタートするアイルランド音楽の超名門クラダ・レコードのカタログNO.1。吠えるようなパイプが身上です。ここにドキュメンタリーもあり。時間がある方はぜひご覧ください。まさか巨匠もこの時、声をかけた小さな男の子が将来自分のレコードを作ることになろうとは夢にも思っていなかったでしょう。

当時のレオ・ロウサムは「イーリアンパイプの王者」として知られていてRTEラジオでレギュラー番組も持っていたそうで、パディの家族もみんなその番組のファンだったそうです。そんな師匠の音色をラジオで聞いていたパディはホイッスルだけではあきたらず自分もイーリアン・パイプを演奏したくてたまらなくなった。お母さんと一緒にレオ師匠のもとを教えを乞いに訪れます。でも練習用の楽器でも、それらは5ポンドはする。パディのお父さんは軍人だったのだけど、この金額はなんとお父さんの1週間分の給料に値します。しかし両親は無理して代金を2分割にしてもらうとパディにパイプセットを買ってくれたんだって。泣けますね。そしてレオ師匠のもとに通うようになったパディはメキメキと音楽の才能をのばしていくわけです。

1947年、9歳になったパディは立派な楽器を携えステージ・デビューします。それが左の写真。パディ、床に足ついてないし…(クリックで拡大します。是非拡大してみてください)

10歳になるとパイプのコンテストに出演。14歳以下のクラスだったとはいえ見事に4位だったものの、この結果にパディは大不満。根っからの負けず嫌いだったんでしょうな。翌年はなんと11歳にして優勝を飾っている! すごい。そんな風にして少しずつパディは伝統音楽の集まりにも参加するようになり、子供ながらにも、多くの老人プレイヤー達から伝統音楽の未来を託されたのを強く感じたのだそうです。しかし当時はアイルランド音楽で食べて行こうという考え方はありえないものだったので、学校を卒業したら、きちんとした職業に就くということは当然のなりゆきでした。

(C) Chieftains web site
学校でも相当な優等生であったパディは学校の先生の絶大な推薦のもと、住宅建築資材の供給会社としてはアイルランドで第2位のバクセンデイルズ社に就職し、経理/簿記係として働きはじめます。これが16歳の時。週末は伝統音楽に没頭しながらも、パディは会社を休むことなく真面目で優秀な従業員だったそうで、そこで将来の奥さんになるリタとも出会っています。

当時パディの部下として入社したリタ。2人の大げんかは会社内の名物だったのだそうですが、実は2人は水面下で愛を育んでいたわけです(笑) ちなみにチーフタンズのスタッフ、関係者の間ではリタはパディよりもパディであると評判の(笑)強くて優しい女性です。今でもお元気で2人はとても仲良しなんですよ。この本でもリタは悪態をつきつつも愛情たっぷりにパディのことを語っています。会社に入社したてのリタは最初にパディの下に配属されて『電話を取る係』を任せされたんだけど、その時、ビビってふるえあがったのだそうです。というのもそれまで電話で話したことが一度もなかったから。そんなリタにパディはとっても親切にしてくれたのだそう。

さて1956年の夏、パディはまた別の、運命的な出会いを果たします。友人の演奏家マイケル・タブリディ(のちのチーフタンズのメンバー)とクレアへ1週間の自転車旅行へ出かけようということになり(すごい距離ですよね…まぁ、若いから可能なのかな)、途中自転車故障のトラブルにあいながらも2人は無事にフェスティバルが行なわれているミル・タウンへと到着。ここでパディは厚手のアラン・セーターを着た上流階級の青年に出会うのです。

今でもお元気なガレクさん
彼はパディの演奏がたいそう気に入り、パディが1曲演奏し終わるたびに熱い拍手を送ってきたのだそうです。そして演奏が終ると、パディに近づいてきて自分はガレク・ブラウンだと名乗ります。

 「最初の頃はガレクのことを女だと思ったよ」「男の長髪なんて50年代には珍しかったし、おまけに童顔なんだ」

実はギネスの御曹司であった彼との出会いはパディの人生を変え、アイルランド音楽の未来に大きな影響を与えることになるのです。

現在でも大の仲良しのお二人はそろってラジオに出演しました。その時の様子がまだ聞けます。




そして…このガレク・ブラウンの弟が、タラ・ブラウンなんですね!(ビートルズとも親交が深くA Day in the lifeのインスピレーションともなった英国社交界の有名人)こうしてみるとチーフタンズもSwinging Londonのムーヴメントの1つだったわけだ。タラの話はこれがいい記事。興味ある人は是非




チーフタンズの公演チケットは10月9日の「秋のケルト市」でも購入いただけますよ。アイルランドの音楽、文化、カルチャー、食が集合したイベントです。アイルランドのガイド・ブックを最近出版された山下直子さんのトークショウ他、豊田耕三さんのホイッスル・ワークショップなど盛りだくさん。是非ご来場ください。詳細はここ


チーフタンズ来日公演の詳細はこちら。
11/23(祝)所沢市民文化センターミューズ アークホール
11/25(土)びわ湖ホール
11/26(日)兵庫芸術文化センター
11/27(月)Zepp Nagoya
11/30(木)Bunkamura オーチャードホール 
12/2(土)長野市芸術館メインホール
12/3(日)よこすか芸術劇場
12/8(金)オリンパスホール八王子
12/9(土)すみだトリフォニー大ホール