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2017年10月31日火曜日

ウォリス・バード、来日までもうすぐ:「Change」

さぁ、いよいよ日曜日にウォリス到着、ということで、今日から最新作の「ホーム」の曲を聞いていきますよ。またもや本人が出てこないプロモ映像。新作とこの映像が届けられた時はびっくりしたねぇ。あくまでこちらの想像を裏切っていくウォリス。



そういやこのアルバムが出る前、ずっと「深い音楽を作りたいんだ、Something Deep」って、ずっと言ってた。

で、これも1人でやっちゃうウォリス。



すごすぎるでしょ。そういやウォリス、ドラマーになりたいって言ってたんだよな。リズム感、いいもんね。Star Pine's Cafeでもピアノ使いますよ。でもって、これだけあれこれやることあるのに、歌に対する集中力がブレないのがいい。すごい。

こっちはギター・ヴァージョン。



ちょっと違う曲だけど、これはツアー中に「響きのいい部屋」を見つけて急遽撮影した「Deep Reveal」。こういうのがパッと直感的に出来ちゃうウォリスはさすがだと思う。バンドのメンバーもいいよね!!



ウォリス・バード、来日公演はもうすぐ。11月6日(月)19:30〜 Star Pine's Cafeにて。詳細はここ。現在チケットは、当日精算で受け付けております。

来日までもうすぐ!:チーフタンズ物語 (15)

(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)(12)(13)(14)からの続きです。

 
89年1月、チーフタンズはついに正式に国からアイルランドの音楽大使に任命されます。そしてその年の3月、まだ18歳だったジーン・バトラー(のちにリバーダンスのソリストとなります)をともなった初のツアーが始まろうとしていました。一行がアメリカに着くと、待ち受けていたチャールズ・カマーはものすごい量のパブリシティを打ち上げます。そして「ケルティック・ウェディング」と「アイリッシュ・ハート・ビート」がグラミー賞にノミネートされたことを宣伝したのでした。しかしチーフタンズが実際の受賞にいたるまでは、まだあと3年かかることになります。

そして5月、マット・モロイはウェクスフォードにパブ「マット・モロイズ」をオープン。友情に厚いチーフタンズのメンバーはGET BACKよろしく屋上でセッションを披露します。パディによると始めは中で演奏する予定だったんですが、人があまりに集まりすぎてしまい、こういう結果になったのだそうです。

パブがオープンしたてのころ、マットの奥さんのジェラルディンは週60時間、ノンストップで働いたんだって。今やこのパブはチーフタンズ・ファン、アイルランド音楽ファンの聖地になっています。私も何度か訪ねていますが、マットがいれば、マットも奥さんもとっても引き止め上手。ついついパブの扉を閉めたあとも朝まで弾けちゃう(笑) ジェラルディンさんは実は癌で2008年に亡くなったのですが、私も日本のチーフタンズのスタッフもここへ訪ねていけば、本当に彼女にたくさん良くしていただいたものでした。ありがとう、ジェラルディンさん。そして実は、マットのお家は、その5年後、今度は娘さんのクレアがやはり癌でなくなるという悲しい運命が待ち受けていて、ホントに人生は誰にとっても辛いな…と思うのですが、でもマットは2年くらい前に再婚して、今は素敵な若い奥様がいらっしゃるのよ、会ったことないけど!! っていうか、うらやましーーっっ。私が立候補したかった!!

話がそれました。明けて90年1月。チーフタンズは再びジェイムス・ゴールウェイと大きな共同作業にとりかかります。スコットランド音楽とアイルランドの音楽のプロジェクト。「海を越えてスカイ島へ〜ケルトの絆」と名付けられたこの作品についてパディは「14マイルしか離れてないんだよ。アトリムとスコットランドのマル・オブ・キンタイアは」 と説明します。

泣けるぅ〜



一方でパディはチャールトン・ヘストンとオリヴァ・リード主演の映画「宝島」のサウンドトラック制作にも着手します。ここで若いカルロス・ヌニェスを初めて起用することになります。カルロスは8歳の時からチーフタンズの大ファンでアルバムは全部聞いていたと言います。「僕の音楽上のヒーロー」とパディを呼ぶカルロスは、なんと13歳の時に自分でパディに電話をかけて「あなたの音楽が好きです」と伝えてきたんだって。すごいですね。そしてその3年後、ロリアン・フェスでやっと直接会うことが出来たというカルロスとパディなんですが、パディはそこでカルロスの演奏を聴き、すっかり気に入ってしまったといいます。そしてガリシアの野外フェスで両者はついに共演を果たしたんだって。パディはまたここでオーストラリア出身のスティーヴ・クーニーが演奏するディジリドゥーをも取り込みました。新しいアーティストをどんどんシーンに紹介していったんですね。

一方で、89年のベルリンの壁の崩潰から世界は新しく劇的な幕開けを迎えることになったわけですが、このベルリンの壁の崩潰を祝い、ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズは[ザ・ウォール]の演奏を企画。ここに多くの文化のミュージシャンを集めることになります。この時ウォーターズが企画を任せたスタッフの1人にチーフタンズのかつてのマネージャー、ピート・スミスがいました。さっそくヴァン・モリソン、マリアンヌ・フェイスフエル、シネイド・オコナー、ブライアン・アダムス他のアーティストにまじってチーフタンズも呼ばれ30万人の観客の前で演奏。この件がきっかけでピート・スミスは再びマネージャーに返り咲き、ここでチーフタンズをさらに世界の舞台へより大きな成功に導く為のチームが再結成されたのでした。パディは映画音楽のコンピレーション「リール・ミュージック」というコンピレーションを発表しつつも、重要なのはやはりチーフタンズの新作です。

そしてチーフタンズのクリスマス・アルバムを豪華ゲストで制作しようという案が打ち出されるわけです。クリスマスのアルバムを、というのはパディのアイディアでした。数年前にポール・アンカに会って話した時に、ポールが毎年開いているクリスマスのコンサートにヒントを得たのだとパディは説明します。「われわれのアイディアを実行に移す,パディの能力には本当に感心しました」とピート・スミスは回想します。そして「ベルズ・オブ・ダブリン」の制作が始まりました。パディはダブリンのクライストチャーチの鐘の音を収録することに拘り、ここでもブライアン・マスターソン御大が(笑)、勇敢にもバルコニーに乗り出し、マイクを設置することに成功したのでした。

そしてさっそく豪華なゲストが集められました。ケルト風味の「スパイク」というアルバムをリリースしデレクをゲストに呼んでいたエルビス・コステロ、リッキー・リー・ジョーンズ、マリアンヌ・フェイスフル、ナンシ・グリフィス。そしてジャクソン・ブラウン。

ジャクソンはギリギリまで曲が決められず本当に悩みます。とうとうある友人と宗教の話をしている最中に「実は…」と自分の悩みを打ち明けたのですが、その友人が「君はソングライターじゃないか。自分で作ればいいだろう」とアドバイスしたため、たった1日で名曲[反逆者イエス]を書いたのでした。パディはもちろんこの曲がたいそう気に入ります。イエスが今現在も生きていて、今の商業主義にみちたクリスマスをみたらきっと反旗を翻すだろう、という内容を歌ったジャクソンらしい歌です。パディはいいます。「あの曲はアルバムのどの曲とも違う、新しいクリスマス・キャロルだ」



「ベルズ・オブ・ダブリン」は世界的にも大変なヒットとなっていきました。(95年までにセールスはアメリカだけでも50万枚を記録しています)

ところでこの頃、ヴァン・モリソンはデレク・ベルに自分のバンドに来てほしいと熱心に誘っていました。デレクの回想。「お前はモローニの言いなりなって自分の人生を無駄にしている、マットもショーンもお前を利用しているだけだ、と言うんです。お前は事をなすだけのガッツがないんだ、とも。そこで僕は答えました。そういう見方は認められませんよ、と返すとヴァンは俺を誰だと思っているんだ、お前は底辺だ、もうお前とは話ができないと言うんです」ヴァンがドアをばたんとしめてしまったので、デレクはその日2マイル歩いて自分の家に帰る羽目になったのだそうです。でもヴァンはまた次の日けろっとデレクのところに連絡してきたりしたのでした。「ヴァンは恨みを残さないんです」とデレク。

パディはヴァンがデレクを誘っていたことを知っていたそうです。「ヴァンはデレクがチーフタンズを見限って自分のところに来るべきだと思っていたんだね」

91年、チーフタンズはロンドンで自ら主催する1週間のフェステイバルを打ちたてます。そこに豪華なゲストを招くことにしました。フーのロジャー・ダルトリー、アズテック・カメラのロディ・フレーム、ポーグス他、豪華なゲストが並びます。中でもこの人がアコースティックな編成をバックに歌うということで、みんなの度肝をぬきます。



しかし、かっこいいですよね! なんつーか、トラッドにドラムをいれるとか、そういう安直方向に行かなかった、チーフタンズ、さすがだと思う。ロックとのコラボなら、こういうのじゃないと。本物じゃないと。

そしてこの成功をみていたアルスターテレビが独自のテレビ番組をチーフタンズに持ちかけます。これがBMGからリリースされる「アイリッシュ・イーヴニング」のCDになったのでした。ダルトリーは語ります「今日はオレとしてもとても楽しい。ロックンロールを伝うのと伝統的なアイリッシュミュージックを歌うのとでは、まるで話が違うからだ。あと2、300年もすると、ザ・フーの歌が伝統的なロックンロールの歌として演奏されているんじゃないかな」

パディ「ロジャーは素晴らしくて,あのコンサートはおおいに気に入ってくれた」「これから死ぬまでチーフタンズと一緒にツアーしていたいと言っていたね」

(16)に続く。


チーフタンズ来日公演の詳細はこちら。

11/23(祝)所沢市民文化センターミューズ アークホール
11/25(土)びわ湖ホール
11/26(日)兵庫芸術文化センター
11/27(月)Zepp Nagoya
11/30(木)Bunkamura オーチャードホール 
12/2(土)長野市芸術館メインホール
12/3(日)よこすか芸術劇場
12/8(金)オリンパスホール八王子
12/9(土)すみだトリフォニー大ホール



早稲田大学探検部、高野秀行氏講演会&カムチャツカ遠征隊報告会に行ってきました!

早稲田のカムチャツカ遠征隊のクラウド・ファウンディングに参加したんですよ。そんなこともあって行ってきました、高野秀行氏講演会&カムチャツカ遠征隊報告会 @ 早稲田大学大隈講堂。

いや〜、素晴らしかったです。なんかすごく元気をもらいました。

なんていうか、偉いよなぁ。学生のイベントなのに、すごくプロフェッショナルに運営されていて、大人の私たちがだらだらやるよりずっと分りやすく、きちんとしていて、何も知らない人が来ても楽しめるし、司会の人も上手いし、ホントに素晴らしいと思いました。まぁ、でも私とかよりもずっとエリートの皆さんたちなんだろうから、全然違うんだろうなぁ、と思いますね。こういうところで活躍した人が放送局や新聞社、ラジオ局なんかに就職するのかも…。それにしても探検って1つの事業みたいなもんだから、計画を練って、企画書書いて企業をまわり、準備をしっかりして、訓練して、実施して… なんかホントにすごい。こういう子たちがいれば、世界の未来は明るいよなー、ホントと思いました。サポートしたのは、たった5,000円だったけど、そんなんじゃなくて、もっとたくさん寄附できるくらい、THE MUSIC PALNTが繁盛していれば良かったのに。どーーーーん!と「これでみんなで焼肉行ってきなさーい」みたいな(爆)

…という余計な話はさておき、ホントに素晴らしかったです。私はなんだかすごく勇気をもらいました。やっぱり探検って素晴らしいよね、っていう。

早稲田の探検部って、1958年からあるんだって。OBには、高野秀行さんとか角幡唯介さんとか、石川直樹さんとか、とにかくすごい人たちを輩出してる。(本多勝一さんもそうだと思ってたけど、京都大学なんだって。このブログを読んだ方からご指摘いただきました〜)

今日はカムチャツカ遠征隊の報告会だったんだけど、たぶん外部の人も呼びたかったんでしょうね、OBの高野秀行さんがゲストに呼ばれ、1部は高野さんの講演会というか、司会者の部員の方の質問に高野さんが答えるという形で進行しました。

で、まずは、この映像が流れました。高野ファンならおなじみの「モケーレ・ムベンベ」ドキュメンタリー映像。



このゴリラが寝てるのが圧巻だよなぁ… (7:30くらい)

しかしこうしてムベンベのフィルムをあらためて見てみると,このバカ度(褒めてます)がたまらないですな。なんというか、いるわけない。ムベンベなんて、いるわけないんだけど、真剣というか、芝居がかっているというか…探検部ってホントにしょうもないよね!!(いやいや、マジで褒めてます) 

ちなみに高野さんによると高野さんはよく仕事で高校とかに講演に行くんだけど、講演の前にこの映像を見せると昔は笑い声や「おおおっ」みたいな声が上がったのに対して、今の高校生って女の子とか死んでるゴリラ見て倒れちゃうんだって。(なんか分かるような気がする) しかもムベンベって、まぁネッシーみたいなもんですよ、と言ってもネッシーすら知らない子も多いんだって! っていうか、ネッシーは無駄なものとして子供には教えないんだろうか!!? 


そう、ムベンベっていうのは、テレ湖に伝わる伝説の未確認動物。ネス湖のネッシーとともに世界的に有名な生物なんです。ちょうどこのテレ湖があるコンゴはコンゴ共和国の方で共産圏だったからロシアのペレストロイカの流れで、一時外国人が入れるようになった時期があり、そのときに高野さんたちはムベンベ探しのために探検することが可能になったわけです。

探検にあたり高野さんたちいは、コンゴ政府と契約書というか議定書みたいなのをかわしたそうで、 (いるわけがないのに)ムベンベが捕獲された場合はいったいどうするのか、また写真を押さえた場合の権利とか、大真面目に協議したんだって。(あぁ、もう爆笑すぎる。笑うところですから、そこ!/笑)

高野さんによると、当時このムベンベ探検は早稲田探検部の中でもかなり邪道と思われていて、それまでにはないタイプの探検ではあったそうで、でもこれが本になり、広く知られるようになって、例えば後輩だかが、高野さんに松戸には「松戸どん」という未確認生物がいるそうでそれを探しに行くとか言ってきて、高野さんが「そんなのいるわけない」とか言ったら「高野さんに言われたくない」とか言われて、高野さん返す言葉がない…みたいな(爆)

 でもムベンベ本が出て、あぁいう探検、やっていいんだ、っていう流れになったのは良かった。本が出たのはやはり影響が大きくて,確かに読めば自分もあぁいう探検をやってみたい、と思う人が出て来たわけです。そして高野さんとしても、こうやって好きなことをして本を書いてそれで生活できて、すごく美味しい仕事だ!と思って、大学5年くらいの時にはもうライターとして生きて行こうと思ったそうです。

しかし高野さんとしては、まだ早稲田探検部を卒業した気持ちはなくて、OB会の連絡とかメールでもらうんだけど、自分としては今でも現役、33年生くらいの気持ちで、今でも同じことを続けているっていうのに会場は爆笑してました。

高野さんいわく、探検部って不思議で70代のOBとかもいるし、今の現役まで、やってる事やセンスがまるで変わってないのが、すごい、と。まるで何か一定の教育でも探検部で受けたかのように変わらない、って言ってましたね。なんか分るような気がするなぁ。

ところで司会の子(すみません、名前失念)も今年リニア新幹線のトンネルのルートをまっすぐ山梨から長野に抜ける探検というのをやったらしく(普通山登りは稜線=峰から峰に続く道にそって行なう)、それがリニアを批判する行動ともつながる、みたいな話で、そういう反体制的バカな事(笑) そういうのが今でも探検部には生きているんですね。探検部のこういう考え方って、ホント一貫している。人がやってなくて、自分が面白いと思うことをやる。一応、適当な名目をあわせていくんだけど、最終的には理屈が破綻する、というか…と高野さんも笑ってました(笑)でもホント、そのネタが尽きることなく今でもそれを続けてるんですよね、高野さんは。すごいよなぁ。

高野さんいわく例えばミャンマーとかの反政府ゲリラとかもそうなんだけど、政府に反抗して言ってることは美しいが、結局自分たちは部下にはパワーハラスメント、ブラックしててれう連中ばっかりで、結局人間というのは、権威になると良くない、と。みんなから尊敬されると良くない、みたいなことを言ってらして、思わず大きくうなずきました。

ちなみに今、高野さんがやっているプロジェクトは納豆の続きで実は納豆の最大勢力範囲は西アフリカではないか、という事を調べているのだそうです。また新しいところでは中東でフィールドを見つけている、とも。うーん、楽しみ!! 私、連載読むの苦手だから、早く新刊がほしい。そうそう、最近の高野さんの探検には竹村さんという探検部の2つ上の先輩(プロの映像家の方)がプライベートで映像を押さえに来てくれているそうで、 探検における映像の重要性がのびてきている、という話もされてました。自分が見て来たものを伝える、という重要性。とにかく今ある自然、伝統、すべてが、今、ものすごい勢いで地球上からなくなってきている。ほんとに5年後にはもうない、という、そういう状況下の中、昔以上に映像の重要性が増している、という話も出ました。

ちなみにこの映像の話はこのあとの探検部のみんなの報告にもあって、いったい「探検とは何か」という事を考えるにあたって、「自分は人に報告するのが探検だと思う」と言ってた子がいたのが面白かった。報告しないのが旅で、報告するのが探検。なるほどなぁ、それも一理あるよね。

数分の休憩を挟み、後半はカムチャツカ遠征隊の報告がありました。まず30分の映像が流れたけど、これはそのうちネット上で公開されるのかな。すごく良かったです。当初予定していたルートに行けず、結局ベースキャンプから近い、未踏の山(仮:ワセダ山)を目指して登頂することになる一行。女の子が行けなかったのが… 悔しそうだったけど、でも、うん、賢明な決断だったかも。そういう決断も大切だからね、探検ではね…

そしてワセダ山を踏みしめる一行に感動の嵐でした。たった1,300mの山だけど、そこは未踏の地で、彼らが初めて登ったということになるわけです。ホント、素晴らしいよ!!!

少年漫画風のポスターがいい!!


それにしても日大にもあったんだろうけどなぁ、探検部。オレも入部すれば良かったよなぁ…

写真は高野さん。写真で見ると遠い〜 広いな大隈講堂。







本当に皆さん、おつかれ様でした。そして、こんな早稲田探検部の空気を満喫したあとは、もちろん油注入のため、こちらへ!!

武蔵野アブラ學会早稲田本店。(角幡さんの弟さんのお店)


ごちそう様でした!


それにしても、なんか探検部の皆さんに勇気をもらった。ありがとう!!! オレもバカになろう!!


だいぶ前に書いた「ムベンベ本」の私の感想はここ。その他、高野さんの本の感想はここです。

「西南シルクロードは密林に消える」
 「異国トーキョー漂流記」
「巨流アマゾンを遡れ」
「早稲田三畳青春記」
「またやぶけの夕焼け」
「謎の独立国家ソマリランド」
「未来国家ブータン」
「メモリークエスト」
「地図のない場所で眠りたい」 with 角幡唯介さん
「世界の辺境とハードボイルド室町時代」with 清水克行先生
「謎のアジア納豆」
「イスラム飲酒紀行」
「腰痛探検家」
「アジア新聞屋台村」

…とか、書いてたら、今日から角幡さんの極夜連載が始まった!!! 


がんばれ、早稲田探検部!!!! 

PS
ところで上の講演レポートで高野さんの発言とか、私がメモっていることを帰宅してまとめただけなので、何か間違っていることとか誤解してることとか書いてるかもしれない。その場合はあしからず…

PPS
あ〜 ムベンベ本、また読みたくなっちゃったなー ホント面白いんだ、この本。

PPS
報告映像が公開になった!

そしてやったぜ、ワセダ山!

PPPS
あと書き忘れてたけど、報告映像なんだけど、BGMにヘンなJーPOPとかではなく、ちゃんとしたトゥバ(だと思われる)音楽を使ってるのが良かったねぇ〜 いや〜感動です。


2017年10月30日月曜日

ウォリス・バード、来日までもうすぐ:「Daze」

再び本人が出てこないけど、かっこいいプロモ・ビデオ。別れた彼女が忘れられない。でも、そうですね、身体を鍛えるのは良い事かも?



トリオでのライヴ・ヴァージョン。



ちょっと変わったベットの中のセッション。いいね!



これは紹介したことあったっけ? かっこいいんですよ、これ。



4thアルバムから
"Holding A Light"
"I Can Be Your Man (5:21)"
"Hardly Hardly (8:38)"
"Daze (12:26)" 

Enjoy!!!

ウォリス・バード、来日公演はもうすぐ。11月6日(月)19:30〜 Star Pine's Cafeにて。詳細はここ。現在チケットは、当日精算で受け付けております。

2017年10月29日日曜日

ウォリス・バード、来日までもうすぐ:「Hardly Hardly」

以前からウォリスのファンだった人も、この曲を聞いた時はびっくりしたのではないでしょうか。



かっこいいプロモ・ビデオ。ウォリスはまったく出てきません。

しかしこの曲をどうやってライブで演奏するんだろう…。でもぜーんぜん問題ないんだよね、ウォリスの場合。

これ見た時はさらにびっくりでしたね…



そして、これもかっこいい!! TODAY FMのラジオ用演奏はいつも音がいいんだ。こういうの,素晴らしいと思う。しかしこのリズム感がすごいな…。ペッテリもそうだけど、ウォリスはリズムがシャープだよね。



こちらはトリオのバンド・ヴァージョン。



もちろんこの曲もやってくれるでしょう。ウォリス・バード、 来日はもうすぐ。今日から当日精算で受け付けております。詳細はこちら!

ウォリス・バード、来日公演はもうすぐ。11月6日(月)19:30〜 Star Pine's Cafeにて。詳細はここ。

公演チケットは来週より当日精算に切り替わります。事前にチケットが欲しい方は、今日中にお申し込みください。

2017年10月28日土曜日

角幡唯介「川の吐息、海のため息」を読みました。


…とご本人から言われてしまった角幡ファンのコレクターズ・アイテム。角幡さん新聞記者時代の黒部川ダム排砂をレポートした「川の吐息、海のため息」を読みました。

これいつもAmazonの中古で平均5,000円くらいしてんだよ。それが2,000円代で売ってたから、ポチった。ちなみに元々の値段は1,500円です。

で、面白くなかったかって? そんなことなかったよ。まず、これは明らかに角幡さんの文章だって分かる。時々不意をついたように挿入される自虐ネタとか、とっても角幡さんらしい。「舌平目のムニエルは食べたことが1度しかない」「数学は赤点だった」「色が黒いので夏は化粧をしたい」とか。それに、ちゃんと冒頭にツアンポーの事にも触れているし!(笑)会社に内緒で行ったというミニ探検…じゃなかった「れっきとした取材」の沢登では溺れかけてるし!(笑)

それにこれが朝日新聞の地方版にだけ連載されて終っていたとしたら、やはりもったいないでしょう。きちんと取材されてるし、しっかり書籍になるべくしくしてなった硬派な本ですよ、これは。

それにしても分ったことは、角幡さんって漁師のおっさんたちが本当に好きなんだね。本の前半でまずそれを思った。そういう気持ちが,その後の名著「漂流」で結実したようにも思える。しかもそれは弱い者への同情などではなく、明らかに漁師のおじさんたちに角幡さんは「憧れている」のだ。漁獲量とか正確に言えないおっちゃんたち。記録なんてもちろんない。おっちゃんたちは、そういう訴訟に必要な客観的な話術が下手だし、ましてやデータなんて具体的なものはありはしない。社会人として都会のサラリーマンが普通に身につけてる事すら出来ないだろう。一方で、朝日新聞みたいなところに勤めて、高い給料を得て、こんな難しい本を書いている角幡さんは、漁業を営む自分の腕だけで喰ってるようなおっちゃんたちみたいに、自由に自然を相手に生きていたいんだ。

…なーんて本とは関係ないところで感動してしまった。

…と、これで感想文を終わると、こんなに真面目に書いた若き日の角幡さんに失礼なので、感想を書けば、いや、ホントになかなか考えさせられた。

なんか人類の(というと話は大きいが)高度な文明生活への欲求と、実際に(神様がいるとしたら神様に)それが許されてる範囲って、原発で一線を越えちゃった感があったのだけど、実はそうではなく、それは原発なんかよりもうんと早くて、実はダムを作った時点でもう行き過ぎだったのではないか、と言う事。

高度な文明生活を維持するのにエネルギーは、とってもたくさん必要だ。でもエネルギーを得るには、資源に限度がある。本来それは不可能なことだったのだ。やっちゃいけないことだったのだ。それをなんとかしてしまうのが、まぁ、人間の知識なんだが、実はそれは原発を稼働させた時(日本では63年)「これ以上欲張っちゃだめですよ」の一線を越えたのではなく、もうすでにコンクリートでダムを建設した時点で超えていたのだった、と。(日本のダムの歴史

いずれにしても、自然界との共存を優先し、冷静に欲を爆発させず部をわきまえ、きちんと人間の営みを運営する事は、日本人にはまったく出来ない仕事だ。それは今、政権を握る政治家たちを見ていてもわかる。あの権力を持った政治家たちの暴走はいったいどうだ? 

それにしても国土交通省と関電かぁ… まったく学んでいないよね、私たちはね。それでもって、また選挙で自民圧勝という…。ま、日本はこのままずっと変わらないんだろうな、って思うわ。それは原発事故があっても学ばないという、呆れるほどのバカたれぶり。そして何か問題が発覚したり、問題が見つかっても、その後に起こるすさまじい「現状維持」に振りもどす経済の力(=人間の欲求)。もう呆れるしかない。この黒部のケースでも、汚染の原因は認められないと評議員が決定しながらも不思議と定期的に支払われる補償金に、原発の近くに住む人たちに配られていた一世帯・年間8,000円だっけ?のお金を思い出してしまった。問題の根は深いな…。これは、やっぱり地球は「猿の惑星」になるしかないでしょ、ってことだ。

yuki kuroyanagi 「Thank You RAMONES」を読みました。感動!!









昨日が発売日で昨日Amazonからウチに届いて、ちょっとだけ読むつもりで夜寝る前に読み始めたらそのまま止まらなくて,久々に夜明けを見ちゃいました。上は本を受け取ってから読み終わった朝の5時までの私のツイートです。いや、この本、すごいです!

是非読んでみて。ラモーンズを、よく知らない人でも大丈夫。私も全然知りませんから! いまだに曲が覚えられない。ジョニーの歌ってたCMになった曲は知ってるけど、あれはカバーだし(笑)でもメンバー間のいろんなことや、メンバーが次々死んじゃったこととかは知ってるよ。ユキさんの「I Love RAMONES」を読んだから。この本はラモーンズのファンであるかどうかはまったく関係なく、めっちゃくちゃ楽しめます。久しぶりにページを進める手が止まらなかった。アッという間に読み終ってしまった。

だからおそらくラモーンズのファンの人だったり、彼らの音楽が好きだったりする人なら、たまらないものがあると思うよ。きっと私なんかの数倍も感動なんだろうね。すごいよ。

なんていうか、こうやって真剣に生きてる人にはいろんな事が起こるんだね、と思った。

ユキさんとはいつリアルで知り合ったんだっけ…。もう覚えていないけど、まだ10年たってないと思う。比較的新しい友達の1人だ。でもCJがフジで来日するくらい(2013年)までには、内緒の話をするくらいには仲良くなっていた。だからCJの来日のことや、ファンクラブ・ツアーのことなどはリアルタイムで結構聞いてたし、ちょこちょこエピソードも知っていたんだけど、この本読むとなんだか感動も新鮮というか、なんというか、また新たな感動がガンガン込み上げてきた。いや、ホントにすごい。

最初の方に書かれていたバーン編集部での広告エピソードは笑った、笑った。当時は音楽雑誌やラジオがとても力を持っていた時代。そのリアルな風景…。ついに根負けする編集長(笑)。あとユキ/大谷邸に遊びに来るジョニーのエピソードは、めちゃくちゃシュールだ。最初はそういういろんなエピソードが積み重なって書かれた本かな、と思っていたら、CJのベース盗難事件(これはちゃんと知るのは初めてだった)、そしてフジ、そのあとのソロツアー、それからファン・クラブ・ツアーなど、大きな「ネタ」(と言ってしまうとナンだけど)が待ち受けており,本としての読み応えもバッチリ用意されていた。特にファン・クラブ・ツアーは、これはもうハイライトだね。お墓参りのシーンは、ユキさんが考えたのか、編集の人が考えたのか、めちゃくちゃイキで素敵な演出があり、おおおおっっっっ!と1人、布団の中で超盛り上がってしまった。これは泣かずにはおれん。この辺からもう号泣の嵐なのだった。

それにしても、ラモーンズとそのファンの人たちには、ちょっと信じられないことが一杯起こるのだ。でもそれは分かる。みんな真剣に生きてるから。そしてこのバンドにいろんな人が思い入れてるから。そしてそういう奇跡を当たり前のこととせず、ユキさんが、しっかり受け止めているいるから。こういうのを「持ってる」って言う。私も自分で自分が「持ってる」って感じる時あるけど、これはそれと同じ。とにかく不思議な奇跡が次々おこる。この感じ、皆さんにもあるんじゃないかな。いや、真剣に生きてる人なら、絶対に分る。私も、ウチのバンドにもある。

誰かのファンになったことがある人なら、間違いなく共感できる本だ、これは。

「I Love RAMONES」もめっちゃ良い本だったけど、これはさらにその上を言っている。こう言っては何だけど,メンバーが亡くなっているのも奇跡がこんなに起こる理由の一つかもしれない。

そしてジョニーは生きてるね。ジョニーはユキさんの中に生きてるよ。ファンの人の中に生きてる。

それをすごーく思った。今回も思った。ジョニー、ありがとう。ラモーンズ、ありがとう。いや〜、凄い本だった。一晩あけて、まだ呆然としている。

さてCJはまた明日くらいに来日。ソロ・ツアーが始まるよ!  HEY HO LET'S GO!

2017/10/30 (Mon) Shibuya CLUB QUATTRO  
2017/10/31 (Tue) Nagoya CLUB QUATTRO 
2017/11/1 (Wed) Umeda CLUB QUATTRO 
詳細はここ。http://www.smash-jpn.com/live/?id=2695

2017/11/3 (Bankholiday) Fukuoka Early Believers
詳細はここ。http://www.ramonesfanclubjapan.com/cj2017.html
    

ウォリス・バード、来日までもうすぐ:「ENCORE:THE MOVIE」



ENCORE - The Movie - Wallis Bird from MXX on Vimeo.

さ〜て、今日はサードアルバムからこの楽しいメイキング・フィルムをご紹介しましょう。


0:00  空港に到着するウォリス

「ウォリスだけど… ウイスキーのボトルをぶちまけちゃった…。私がスタジオに到着して酒臭くても私は飲んでたんじゃないわよ。ジャンパーかなんか持ってる? 貸してもらえるかしら」

1:09  ♪「Encore」
次々と到着するバンド・メイトたち。

3:56  バンドを案内するスタジオ・オーナー。「で、どんな音楽やってんの?」みたいな質問に「なというか、パンクっぽいというか…」と説明するウォリス。酒臭いウォリスに触られて不機嫌なオーナー。

アコギもあるんだよ、と楽器を取り出し「ダニー・ボーイ」を歌いだすオーナー。

6:07 ♪「I am so tired of that line」

スタジオをセットアップするメンバーたち。この曲を演奏します。

「違う」とレコーディングに不満を言うウォリス。疲労マックスのメンバーたち。
「あんな彼女は見たことないなぁ」と不安がるメンバー。

町に繰り出すウォリス。飲み物を買ってスタジオに戻ってきます。

 10:58 ♪「LIving in the cities」

飲めば機嫌も復活さ!

再び1人になるウォリス。狼と遭遇!

14:57  ♪「Ghost of Memories」

朝ボサボサの頭で起き上がるウォリス。お酒だらけの服を洗濯。うーん、いいなぁ、この感じ大好き!

そしてクライマックスのこの曲へ。

19:45  ♪「In Dictum」

スタジオで1カメラで撮影。すごいですね…。収録が終ってホッとする表情が素敵。

ウォリス・バード、来日公演はもうすぐ。11月6日(月)19:30〜 Star Pine's Cafeにて。詳細はここ。

公演チケットは来週より当日精算に切り替わります。事前にチケットが欲しい方は、この週末中にご連絡ください。

2017年10月27日金曜日

ウォリス・バード、来日までもうすぐ:「Feathered Pocket」

なんだかんだで私はこの「サード・アルバム」が、ウォリスの5枚のアルバムの中で一番好きかも。初期の楽曲群の集大成的な感じがする。もちろん大人になった4th、最新作の「ホーム」もいいけどね。例えばこういう肩の力をぬいた感じの曲もすごくいいんだよね〜。



歌が上手い人ってのは、なんというかヴァン・モリソンとかもそうだけど、ぶっきらぼうに歌っているようで、息の抜き方一つにしても、めっちゃコントロール が効いてる…っていうか、本人は自然にやってるんだろうけどね。センスがいいのかな。とにかく素晴らしいです。私は大好きです。

ライブだとこんな感じ。歌ってるうちに気持ちがあふれちゃったのか、ホントにキスしはじめちゃうウォリス?(笑)



TVの収録かな…



下のクリップは、頭1分20秒しゃべってますが、しゃべってる感じが良いので、貼っておきます… 最初ドイツ語で話しつつ、あきらめて英語になってます。「恋に落ちた感じを歌ったもの(ヒューヒューと会場から声が飛ぶ)」「新しい人と知り合いになって、この人を好きなのかしら、嫌いなのかしら〜みたいな」「なんか頭に浮かぶことを、そのまんましゃべっちゃうわ」…で、曲は1分くらいで途中で終ったちゃう(笑)



ウォリス・バード、来日公演はもうすぐ。11月6日(月)19:30〜 Star Pine's Cafeにて。そろそろチケットの通販締め切ります〜。詳細はここ。

PS
ところで以前書いた来日レポート(普段は有料記事)を今だけ無料にしています。有料ヴァージョンから結構編集しちゃったけどね…それでもかなり赤裸々で、結構落込んでいます(笑)ツアーの終わりってだいたいはそんな感じ。良かったらぜひ読んでみてください。



来日までもうすぐ!:チーフタンズ物語 (14)

(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)(12)(13)からの続きです。いよいよあのレジェンドとの最高のアルバムが誕生します。


80年代半ば。10代の頃から東洋の神秘思想と仏教を学んできたデレクは、音楽が悪を打ち負かすことを本気で信じていました。他のメンバーはそんなデレクの信じることを尊敬はそるものの、適当な距離を置いていたのも事実。一時、神秘思想に傾倒していたヴァン・モリソンはそんな理由からデレクと親友と呼べるまでの仲になります。しかしヴァンのそういった興味は長続きしなかった。デレクいわく「ヴァンは答えを求めていたんだと思います。今すぐ答えが欲しいと。それが得られないと分かった時は消えて“失せろ”で終ってしまったのでした」

そしてまたヴァンは自分のケルトのルーツとブルースとソウル・ミュージックについての独自の音楽感をも模索していました。1987年秋、ヴァンはロンドンからパディに電話をかけて、明日会って打ち合わせよう、とパディに言います。この時、ヴァンはパディがダブリンにいる事、パディはヴァンがロンドンにいることを知りませんでした。それでも2人は翌日ロンドンで会います。ワインボトル付きの素敵なランチを想像していたパディは、ヴァンが連れて行ってくれた、ヴァン行きつけのカフェにがっかりします。そこはいわゆるワーキングクラスのトースト&ビーンズみたいな場所だったのでした。(そして、その事をまだ恨みに思っているのか、先日東京でのトークショウで、パディはまだその話をしてました。労働者クラスのカフェなんて本当にヴァンらしい/笑)
トースト&ビーンズ(爆笑)

そして1ケ月後、ヴァンはアルバム「アイリッシュ・ハートビート」の具体的な打ち合わせにダブリンにやってきます。ヴァンを空港まで迎えに行ったパディはウイックロウの素敵なインにヴァンを案内するのですが、ここでもヴァンはなかなかのやらかしぶりを発揮します。シャワーが出ないと言ってはさわぎ「赤い蛇口をまわしてみて」と言われるまでお湯をどうやって出すのか知らなかったとか、浴室の鍵をかけて開けられなくしてしまったり…とか。しかしそんなエピソードを経て,2人は仲良くなっていきます。普段笑ったりすることのないヴァンが大声で笑ったりしていたそうで、2人はすっかり打ち解けていきました。この頃は、ヴァンのキャリアにおいても非常に不思議な時期で,パディ曰く、ヴァンはお酒も飲まず、タバコもすわず、でも大量のコーヒーを常にがぶがぶと飲んでいたのだそうです。

アルバム・タイトルについては、彼の自作曲の1つに因んで「アイリッシュ・ハート・ビート」と付けることが早くから決定していました。またヴァンは自分のレコード会社からこのアルバムが出ることを強く望み、結果、アルバムはフォノグラムからリリースされることになりました。ヴァンが天才であることは、スタジオに入っていた全員がすぐに理解しました。トレードマークのスキャットを完璧なフレーズで歌うヴァンは、まさに神憑っていたと言います。しかもあれこれ録りなおしたり、ということもなく、だいたいは3テイク以内ですべてが終ってしまったのだそうです。

普段は音楽的にはなかなか満足しないデレクも「あれは第1級の傑作です。これ以上はないくらい。伝統音楽の純粋音楽主義者が何を言おうとも。あれはソウル・ミュージックです」

泣ける!



泣ける!



泣ける!



そしてアイルランドのテレビ局のこの名門番組がチーフタンズをフィーチャーした大特番を打ち立てるのです。メアリー・ブラックやドーナル・ラニー、そしてヴァンも参加しているすごい番組。最後はヴァンの「Star of a county Down」で大盛り上がりに盛り上がりました(笑)。



また番組収録の前日にパディはトリニティ・カレッジで名誉博士号を受け取りました。お母さんもきっと息子のことを名誉に思い、すごく喜んだに違いありません。

これってオリジナルジャケですかね?
しかし「アイリッシュ・ハート・ビート」は名作ながらもヴァンがまるでプロモーションに協力してくれなかったので、その点で努力家のパディは非常に不満が残ったようです。あんなに名作なのにね… そうなんですよね。ネットもなかった時代だから、いくら名盤でも取材に協力してメディアになんとか載せるしかプロモーションの方法がなかったし、プロモーションしなければ、やはりどんないいものでも埋もれてしまう。でもこのアルバムが傑作なことはまったく変わりはありません。

それにしてもチーフタンズとヴァン… ホントにすごすぎます!!

さて1988年7月、パディはチーフタンズの「セレブレーション」の企画にとりかかります。もともとこれはダブリン市の創立1,000年を祝って企画された企画でしたが、企画は頓挫してしまいます。それでも自分のアイディアを諦めきれなかったパディは独自で曲を仕上げ、それをゲイエティ劇場で上演することにしました。実はその公演の初日の前日交通事故を起こしてしまうのですが、鋤骨と足の怪我をおいながらも、パディは必死で本番をこなしていきます。「ブルターニュやガリジアからもお客が来ていたし、キャンセルするわけにはいかなかった。司会もゲイ・バーンだったし」チーフタンズの20枚目にあたる「チーフタンズ・セレブレーションには多くのゲストが収録されていますが、ヴァンと並んで、ナンシ・グリフィスとも初の共演を果たしています。すでにチーフタンズの大ファンだったナンシは、この共演をすごく楽しみました。「私はハーモニーを歌うのだとばかり思っていたけど、スタジオに行ったらリードヴォーカルだった」そして[ウエクスフォード・キャロル]をわずか2テイクで収録したそうです。

他にもケヴィンやマット、ショーンのそれぞれが別々のトラックを担当し、どれも印象的な楽曲に仕上がりましたが、しかしこのアルバムのハイライトはやはりパディの書いた[ダブリン1,000年祭ケルト組曲]でした。ブルータニュ、ガリシアのミュージシャンが多数参加したものすごいトラックです。



またチーフタンズは同じ週、当時チャートのNO.1だったウルトラ・ボックスのレコーディングにも参加しています。それにしても忙しいよね…



パディとチーフタンズの躍進はまだまだ続きます。 次回チーフタンズは… あのロック界のレジェンドとの共作アルバムに着手します。(15)に続く。あと6回でこのシリーズ、本当に終るんだろうか!?(笑)


チーフタンズ来日公演の詳細はこちら。

11/23(祝)所沢市民文化センターミューズ アークホール
11/25(土)びわ湖ホール
11/26(日)兵庫芸術文化センター
11/27(月)Zepp Nagoya
11/30(木)Bunkamura オーチャードホール 
12/2(土)長野市芸術館メインホール
12/3(日)よこすか芸術劇場
12/8(金)オリンパスホール八王子
12/9(土)すみだトリフォニー大ホール



PS
それから、チーフタンズの来日記念盤も発売になりましたよ〜。入魂の選曲です。前回の来日時に出たバラカンさん監修のものとは曲がだぶっていないという… すごいですね。是非チェックしてみてください。



KENSO YOU TUBEチャンネル開設!


やったーー ケンソーのYou Tube公式チャンネルが出来ました。こちらです〜

さっそく今度発売になるというすごいDVDのボックスの予告編が登場!! 2004年、小森啓資加入後10年間の全ライブから抜粋した4枚組ライブDVDボックス。「全ライブDVD計画」第1弾。2017年発売。



こちらも!「LIVE IN USA」の予告編も出来たよ!  2005年7月に米国ペンシルベニア州ベツレヘムで開催された「NEARfest 2005」での力強い演奏を全曲収録したライブDVD。2006年発売。



そして「KENSO版 プログレッシブロックの作り方」懐かしい!! 「プログレッシブロック」をキーワードに、変拍子・ポリリズム・独創的な曲作りなどについて、実際の演奏を交えて解説。さらに、音楽による自己表現とは何か、創造とは何か、といった深淵なテーマについても触れた異色の教則DVD。2008年発売。



ケンソーはやっぱりかっこいいなぁ! オレのロック人生、一番愛した日本のバンド。

いかん!! ケンソー愛が止まらない。ケンソーは日本のプログレッシブ・ロック・バンドの中で、明らかに一番動員力があるすごいバンドなのに、どうしてこんなに知名度がないんだろう。お城プログレじゃないから? なんかドライだから?

でも他の日本のプログレ・バンドで、単独でCITTAやれるバンドいます? 

ケンソーは久々のライブがもうすぐあるんですよ。楽しみすぎるじゃないですか。マネージャーのH恵ちゃんによると、チケットかなり売れてるから、今度こそソールドアウトになるかもしれません。 全席指定だから早く買った方がいいですよ。

清水さん、小口さん、三ちゃん、健ちゃん、古森さん、ホントーーーーーに楽しみです!!!! 公演の詳細はこちらです。

またこれが聞けるのかな…「空に光る」永遠の名曲! この変拍子を感じさせない自由度はなんだ?! これがロックだ!! 



しかしケンソーのこのテの非公式アップロードも、そろそろ整理した方がいいかもね。公式チャンネル出来るんだし。全然関係ないけど、ケンソー・ボックスには歴代関係者がライナーをかいているんだけど、初代マネージャーとしてのオレのライナーが一番いいので、是非読んでみてください。

ちなみに知らない人に最初から説明すると、私は89年から92年くらいまでキングレコードというレコ社におりまして、そこで洋楽宣伝部に所属しておりました。ケンソーはなぜか洋楽扱いで、当時洋楽部は他にもプログレ・バンドいっぱいリリースしてて、私は上司に無理矢理連れて行かれる長くて暗くて詰まらないプログレのライブが大嫌いだった。でも唯一すごいなぁと思ったのが、ケンソー、そしてミスター・シリウス(ページェントはもうありませんでした)、あ、あとライブは見たことなかったけどアストゥーリアスも好きでした。

そうこうしているうちに名盤「夢の丘」がリリースされ、私はすっかりケンソーの大ファンになりました。キングを辞めて音楽の仕事を離れても、清水さんとは交流があったのですが、その頃はそもそも清水さん自体が音楽活動を辞めている時期だったからね。でもって、ケンソーがいよいよ復活という時に、清水さんから「ライブを手伝ってくれないか」と連絡をもらったんです。当時私はライブハウスって、どうやってブッキングしていいか分らなかった。でもケンソーのためならってんで、ブッキングできちゃって、しかもライブは大成功だった。WESTに550人も入れた。ホントにあのライブのことは今でもすごくよく覚えています。そうこうしているうちに自然と「マネージャー」という立ち場になったんです。

でもそのうち自分のやってるアイルランド音楽事業の方が忙しくなってしまったのと、そもそもケンソーについてもバンドが大きくなり「こんな話が来た」→「メンバーやりたいって言ってる」→「だれがしきるの?」→「マネージャーはお前だろ」みたいな図式が私はのスタイルじゃなかった。私はどっちかというとプロデューサータイプで、自分がバンドを引っ張るのが好きなんです。だからバンドから離れてしまったけど、とにかくこのバンドには私はものすごい思い入れがある。初めてライブが作れたのもケンソーへの愛情があったから。バンドが好きなら自分は何でも出来るんだって、教えてくれたのがケンソーなんです。

しかし今回のライブのタイトルが「KENSO最終章その壱」。ケンソーももうすぐ終るのかな。それはなんとなく感じている。バンドのメンバーも、関係者も。でもホントに幸せないいバンドでした。…なんて、自分がオーナーじゃないけどね。清水さんのバンドですよ、清水さんのバンド。

でもってね、日本ではね、タイアップがないと音楽は売れないんですよ。それはもう絶対なの。どんなに音楽的にすごい人でも音楽だけで有名になった人いますか? みんなタイアップで有名になった。でもタイアップを取ろうと思ったら、タイアップする相手の要求を聞かないといけない。納期、曲の内容、印税の一部など妥協しなくちゃいけないことがたくさん出て来る。

で、それはそれでいいんですよ。それをやる人を攻めはしません。人は人。自分は自分。自分の好きな音楽だけを絶対に100%妥協することなくやってきたケンソー。それでいいんです。そして熱心に聞いてくれる応援してくれるファンの人たちに支えられ、本当に良く続いた。あと何回ライブが聴けるんだろう。これは最後への1歩です。最後まで私も応援する!

PS
あ、あと音楽分らない人は、MC聴きに来てください。MCが笑えるバンドとしても有名なんです、ケンソーは(爆)

2017年11月12日(日) 16:30開場 17:30開演
川崎 CLUB CITTA’
〒210-0023 神奈川県川崎市川崎区小川町5-7 tel:044-246-8888

前売7,000円/当日7,500円 
<全席指定・消費税込・入場時ドリンク代500円別途>

チケット取扱:
チケットぴあ 0570-02-9999 http://t.pia.jp/ (Pコード:329-158))
ローソンチケット 0570-084-003 http://l-tike.com/ (Lコード:72894)
e+ イープラス http://eplus.jp/
目白ワールドディスク(店頭販売)
ディスクユニオン新宿プログレッシヴ・ロック館(店頭販売)

2017年10月26日木曜日

来日するよ〜 ジュリアン・ラージ & クリス・エルドリッジ @ COTTON CLUB


アメリカ音楽の良心!! 



こちらはPasteでの映像。いいね!!



クリス・エルドリッジはこちらのバンドでおなじみ!



そしてジュリアンはジャズ〜 いいわぁ〜。パット・メセニーみたいなしなやかさ。最近ジェシー・ハリスがプロデュースしたアルバムも好評なんだって。



この2人のライブがコットンクラブでありますよ。これは楽しみ! 


ライブの詳細はこちらへ
11月11日(土)〜13日(月)丸の内COTTON CLUB
チャージ:¥6,800〜(飲食代別)
土日は結構混み混みのようです〜 お早めに!!
■11.11.sat,  11.12.sun
[1st.show] open 4:00pm / start 5:00pm
[2nd.show] open 6:30pm / start 8:00pm
■11.13.mon
[1st.show] open 5:00pm / start 6:30pm
[2nd.show] open 8:00pm / start 9:00pm 

ウォリス・バード、来日までもうすぐ:「In Dictum」

ウォリスの代表曲の1つだね、「In Dictum」真剣に歌うよ。



ライヴ・ヴァージョン。お客さんの真ん中で歌います。



これ、今日発見した。



いいよね、ウォリスはね。なんか母ちゃんって感じがするんだよ。全然年下なんだけど。アイルランドの面倒見のいい母ちゃん。不思議な人だ…

ウォリス・バード、来日公演はもうすぐ。11月6日(月)19:30〜 Star Pine's Cafeにて。詳細はここ。

2017年10月25日水曜日

ウォリス・バード、来日までもうすぐ:「I am so tired of that line」

ウォリス・バードの来日までもうすぐ。昨日からセルフ・タイトルのサードアルバム「Wallis Bird」からご紹介しております。これはテレビ番組かなにかの収録かな…



これもネットTVか何かの収録かな。しかし一番下に太い弦が来てないと、こういう音にはならないよね…



こちらはラジオの収録。



こちらもライブ。モノクロ映像がかっこいいね! トリオでの演奏。



「時間がない、予算もないよって、そんな言葉は聞き飽きたよ」とウォリスが歌う。そうだよね、頑張らなくっちゃ!

最近の映像から。最後の見事なシャウトがいいね!



また天気悪くなっちゃったけど、元気にいきましょう! 

ウォリス・バード、来日公演はもうすぐ。11月6日(月)19:30〜 Star Pine's Cafeにて。詳細はここ。

2017年10月24日火曜日

ウォリス・バード、来日までもうすぐ:「Ghosts of Memories」

私はウォリスの静かな曲が好き。この曲も静かに始まって、すごくドラマチックに盛り上がる。野崎さん、メメしい曲が好きですね、とよく言われるけれど、そうなんだ、オレはこういう曲が好きなんだわ。
 
先日ウォリスのチケットを買ってくれた友達が「チケット届いた。また泣きに行く!」とかメールをくれて、ちょっとジーンとくる。こういう曲聞いて、泣きたいよねぇ、秋だもんねぇ…



ライヴ・ヴァージョン。この映像はじめてみたかも…。このゴーストの音「ほらほらほらほにゃららら〜」みたいなクラリネットの音はエイダンが熱演!  ウォリスのこの当時のバンドって、うまかぁないんだけど、頑張っているのがいい(笑)



ただウォリスの場合、1人で用はたりちゃうのよね… まぁ,日本にバンドで来れるようになるには、まだちょっとかかりそうですが、1人でやってても、何かが足りない感じはまったくしない。それにしても、このヴォーカルがいいわ。赤いミニスカートが可愛い。そしてあいかわらず弦を切っちゃうところがご愛嬌。でも歌に対する集中力が途切れないのがいいよね。それにしても照明もないピーカンな環境でよく頑張るよなぁ…ウォリス。



ウォリス・バード、来日公演はもうすぐ。11月6日(月)19:30〜 Star Pine's Cafeにて。詳細はここ。

来日までもうすぐ!:チーフタンズ物語 (13)

(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)(12)からの続きです。いよいよ中国上陸!!!


1983年、チーフタンズはその後の歴史に残る壮大なプロジェクトに着手します。バンド20周年を迎えて,果たして次の10年、どんな道を行くのか…。バンドにとって重要な時期でした。パディのアイディアは西側の代表として中国へ行き、そこで西側としては最初のコンサートを万里の長城の上で開催する、というものでした。

すでに3年前のロイヤル・アルバート・ホールには中国大使館の外交関係者たちが訪れ、チーフタンズの演奏をおおいに楽しんでいました。当時中国はダブリンに大使館を置いていなかったので、その企画は難しそうに思われたのだけど、81年に大使館が開かれ、国交が正常化すると、パディはさっそくそのアイディアを具体的に動かしはじめたのでした。

しかしメンバーからは大反対にあった。理由は単純でコンサートからの収益が見込めなかったから。でもパディの気持ちは強い。「中国へ行ったって何もならないじゃないかとみんな言ったんだ。最終的な経費はすべてこっち持ちだったし。でも考えてもごらん、とにかく西側のバンドで初めてのバンドになるんだよ、と。政治的には大きい。そしてビデオにも出来る。映像があれば放送もできる。新聞でしゃべるネタもたくさん出来る」さすがパディ。先見の目があったんですね。ホントすごいです。こういう先行投資、そしてコミット力がなければ、今のチーフタンズはなかったわけですから…。

マットは「たいていのミュージシャンは熱しやすく冷めやすいもんだけど、パディは違う」『彼にはやりとげるパワーがみなぎっている」とリーダーの力を認める発言をしています。

チーフタンズはアイルランドの伝統曲「プランクシティ・アーウィン」と「南からの風」の譜面を中国に送ると、反対に「歓喜 Full of joy」の譜面を中国側から受け取りました。



そしてパディの妻のリタやガレク、テレビクルーなどを伴ったチーフタンズ一行の乗ったスイス航空は北京に到着。到着してすぐにチーフタンズは堅苦しい中国式儀礼にヒーコラさせられることになったのでした。そしてアテンドする役の2人の通訳の名前はあまりに難しくて、みんな発音ができなかった。リタいわく「1人は小さくてニコニコしていたのでシャーリー(テンプル)、そしてもう1人は態度が悪くていばっていたのでドリス・カーロフ(フランケンシュタインの役者ボリス・カーロフのもじり)と私たちは呼んでいたわ」これって、よくビジネスの指南書にもよく書いてありますよね。いやな奴にはあだ名をつけろ、と(笑)さすがのパディ夫人。さすがのアイリッシュ。困難にはユーモアで立ち向かうのです。

そして万里の長城へ向う一行。楽器を担いで狭い階段を上ります。撮影は10分も出来なかったそうですが、それでもなんとか収録を完了しました。万里の長城は観光客と中国人であふれかえります。パディの回想「あそこでやった曲は曲名が分からないんだ。だから[万里の長城から]というタイトルをつけたよ」

そしてチーフタンズには各場所で地元のオーケストラと共演するという難題も準備されていました。「向こうは英語がわからなかったし、こちらも中国語はいっさいわからない」「だけど言葉の壁なんてのはなかったね。音楽さえあれば良かった。向こうの楽器の中にはそれまで見たこともないものもあったけど、だけどいったんうまく行きだすと、後はまるでアイルランド西部のささやかなパーティをしているようなもんだったよ」

特に蘇州はとても綺麗な場所で、地元の重役が歌をチーフタンズに歌って聞かせてくれたそう。「一度などはとても美しいラブ・ソングを歌ってくれたよ。そして今、聞いているこの歌はアイルランド西部の歌だと言ってもいいくらいだった。伝統的なシャーン・ノスにとても似ていたんだ。本当は時間に余裕があれば録音して研究を進めてみたかった」とパディは回想します。

また別の時には農村でいきなりパディがホイッスルを取り出し子供達と交流するような場面もあったそうです。チーフタンズの滞在中の行動は中国当局によって分刻みで計画されていたそうで、上海に戻って来た時は、メンバーはもうくったくたにクタビレていたそう。

最後の日の夜、上海の市長が北京ダックを始めとする15品ものコースを用意し、お酒が次々とつがれていきました。マットの回想「宴会が始まってまもなく気がついたんだが、もう1杯お酒がほしければ、何かのために乾杯しようと言わないといけないルールがあった。乾杯をすれば次の乾杯にそなえて全員のグラスに酒がつがれる」「僕らは中国のフルート奏者のために乾杯し、文化交流局のために乾杯し、頭に浮かんだありとあらゆる中国の何かに乾杯した」「最後の最後にネタが尽きて、とうとうショーンが立ち上がって言ったんだ。乾杯を発明した人に乾杯しよう、と」

中国の人たちもこの日は大変な量のお酒を飲み、本当に最後の夜は温かい気持ちになったのだそう。英語なんかひと言も分からないのに、デレクに一生賢明話しかけてくる重役もいたそうで、宴会が終わりホテルに戻る時、パディは涙ぐんでメンバーの肩をたたいたという。「やったぜ、みんな。おれたち、やったんだよ」

84年、チーフタンズはバンドの21回目の誕生日を祝いナショナル・コンサート・ホールで大きいなコンサートをひらきます。ここにはマイケルやポッツも参加したのでした。パディ・モローニ、この時、47歳。地球のほぼ全域にアイルランド音楽を広め、チーフタンズをアイルランドの名物にした。世界の指導者や映画スター、ロックンローラーたちと親しく付き合い、それでもその出自と習慣を守り慎ましく暮らしていましたが、世間はそろそろそうは見てはくれなくなります。有名人と見られることはなかなかのプレッシャーでした。

またアメリカツアーの間、パディはナショナル・ジオグラフィックのアイルランドの馬のドキュメンタリーのための52曲をかきおろします。この頃、飛行機のゲロ袋にまで曲を書くというパディ伝説が生まれます。(日本でも箸袋に曲を書いてましたねぇ…パディ)常にパディの頭は音楽でいっぱいだったのでした。

そしてチーフタンズのコンサートのエンタテイメント化が進んだのも、この頃になります。マイケル・フラッタリーやジーン・バトラーを起用したのもこの頃でした。リバーダンスでの彼らの成功まで、まだあと10年あるという早さです。…すごすぎる…



しかしこの頃からフラッタレー、軽やかさが違いますね。跳躍の高さとしなやかさも。

そしてデレク・ベルとのステージ・ジョークなどが定着したのもこの頃でした。チーフタンズのツアーは評判になり、ますます会場は大きくなっていくのでした。

85年になるとその2年ちかく前に収録された「チーフタンズ・イン・チャイナ」が発売されます。この頃、パディはアイルランドの雑誌のインタビューでこうも話しています。

「チーフタンズが食べて行くためにはもはやアイルランドだけで演奏しているわけにはいかない」その理由を説明するためにパディはグループの21周年記念のドキュメンタリーが、なぜBBCで放送されてRTE(アイルランド国営放送)で放送されないのかと逆にインタビュアーに聞きかえしたそう。「1年のうち半分以上、海外で過ごさないと利益が出ないんだ」

また自分たちがこんなに頑張っているのにアイルランドはまったく自分たちを応援してくれないと感じていたそうです。

この頃メンバー間でアメリカに移住しようかという説すら浮上したのだそうです。結局それは実現にならなかったけど。10年たって、パディは「移住しなくて良かった」と話しています。僕がコンサートのオープニングでダブリンは世界最高の街、と言うとき、僕は本気でそう思っている。僕はウィックロウの山々を歩きながら充電するのが大好きなのさ」

そんなパディは音楽産業の喧噪から逃げるためにフランスのブルターニュ地方に家を買うことになります。ここでの暮らしがチーフタンズの新作「ケルティック・ウェディング」と形づけられることになります。この頃、チーフタンズは新しいレコード会社を探していたのですが、BGM傘下のレーベル(ここの社長はジェイムス・ゴールウェイのマネージャーだった)とワールドワイドな契約を結ぶ事になりました。

ここではのちに「ジェイムス・ゴールウェイ&ザ・チーフタンズ・イン・アイルランド」が発売になります。こんなドキュメンタリーもあるんだ! 知らなかった。


 
ベルリンだったっけ、ジェイムスがいるオーケストラは。でもこのジェイムスの訛りがなんかいいわ…(笑)やっぱりアイリッシュだわ。

次回チーフタンズは… あのロック界のレジェンドとの共作アルバムに着手します。今までの登場人物とは格が違いますよ。お楽しみに。(14)に続く。


チーフタンズ来日公演の詳細はこちら。

11/23(祝)所沢市民文化センターミューズ アークホール
11/25(土)びわ湖ホール
11/26(日)兵庫芸術文化センター
11/27(月)Zepp Nagoya
11/30(木)Bunkamura オーチャードホール 
12/2(土)長野市芸術館メインホール
12/3(日)よこすか芸術劇場
12/8(金)オリンパスホール八王子
12/9(土)すみだトリフォニー大ホール




2017年10月23日月曜日

ウォリス・バード、かなり初期のインタビュー 

今日は曲ではなくて、かなり初期のインタビューですが… なかなか内容が良いので、それをご紹介します。

質問がドイツ語なので分りませんが、答えは英語なんで、その部分だけざっくりご紹介(笑)(ウォリスはマネージャーがドイツ人なんですよね。今や本人もベルリンに住んでいるし)



「私が一才半の時、芝刈り機の上に転んで指をなくしたの(と左手を見せる)。当時、私はすでにギターは持って遊んでいた。左利きだったんだけど、家のギターは右用だったし、誰の家にいってもギターは右利き用でしょ。だから右利き用ギターを上下逆にして演奏することを覚えたの。ハウス・パーティでも(そこにあるギターでやれるから)便利だったし」

「細い弦から引き下ろす恰好になるからサウンドは普通と違うし、パーカッシブ的な演奏でギター1台でバンドのすべてのサウンドを再現するような自分のスタイルを作っていった」(ずっと右利きのギターを使っていたことについては、かなり大きくなるまで自分のギターが持てなかったことも原因のようです。家には子供が7人もいて決して豊かではなかったようですね)

「カレッジに行って20歳くらいになるまでちゃんとしたギター・レッスンは受けなかったわね。それにレッスンで習ったのは、自分のスタイルをさらに前進させることくらいしかなかった」

「(アワードをいくつも取ったことについて)すごく嬉しいけど、でも誤解しないでね、受賞が人を作るわけではないってこと。私の成功は、私がまだ音楽を続けていられるということ、そして私がそれを楽しんでいることであって、受賞ということではないのだから」

「新人賞を2年前に貰って,今度は最優秀女性アーティスト賞。他にもすごい女性アーティストはたくさんいるのに本当に光栄だわ。本当にびっくり。実際受賞してショックだったくらい。でも結局は続けるだけ。自分の活動を受賞でジャッジする事もないし…自分のやりたいことを続けるだけね」

「あまりに当たり前の回答かもしれないけど、私は出来るだけ正直であり、たくさん旅をして、いろんな音楽や文化を体験して… 例えば鳥の泣き声とか木の音とか。たくさん知りたい事もあるし、1つのスタイルに自分を閉じこめたくないし、出会ったすべてを音楽に投入していきたい。それを出来るだけ広げて行きたいと思っている。新しいものを常に探している。常にここちいい場所に戻ってくるのは楽だけれど」

(ソング・ライティングのプロセスを聞かれて)「作曲のインスピレーションは、身体の中の泡みたい。お腹の中からわき上がってくるのが分る。そういう時は表情も変わっちゃうくらいなの。メロディや歌詞が頭に浮かんで、だいたいは歌で伝えたい事や気持ちがわき上がって来て、すべてのオーケストレーションが頭に浮かぶ。そして楽器を手に取ると、そこから音楽が自由に立ち上がってくるような感じ」

(最初のパフォーマンスについて)「私が4歳くらいの時、おじいちゃんがブルーのアコーディオンを持ってた。それが大好きで遊んでいたんだけど、すごく気に入ったものだから、家族をを集めて“歌うわよ〜”と。で、庭で演奏して歌い始めたのを覚えているわ。それが私の最初のギグね。あの気持ちはまだ覚えている。アコーディオンを今でも演奏できたらと思う」

「(ライヴパフォーマンスでは)時々目を開いて,自分がどこにいるのか確認したりはするけど、だいたいの場合は音楽そのものになって、綱渡りみたいに集中しているような感じ。その環境の1部となるような感じ。目を開いてお客さんと話すまで自分がどこにいるのかすら分らなくなる。でもお客さんとステージの境界を失くそうとしているのも事実なの。 なんとかお客さんにも自分がこのショーの一部を担っていると分ってもらいたい。だってお客さんがいなかったら、自分はそこにいないわけだし。だから常にパフォーマンスにはベストを尽くしたい。私が演奏を楽しむこと。だからお客さんにも一緒に楽しんでほしい。私も楽しんでいるのだから」

ウォリス・バード、来日公演はもうすぐ。11月6日(月)19:30〜 Star Pine's Cafeにて。詳細はここ。


2017年10月22日日曜日

ウォリス・バードの来日までもうすぐ! 「Your Daddy」

このセカンドに入ってたライヴ・トラックがすごく好きで…



日本盤のベスト盤に入れようと思ったのだけど、結局収録時間が足りず、諦めたのであった。しかし今でも大好きなトラックだ。すごくいいでしょ。「おまえの父ちゃんは嘘つきだ」っていう歌詞もイカしてる。

こちらは映像。 あいかわらずエクボがいい(笑)



こちらもライヴ。



最近のライヴでは歌わなくなっちゃったけど、リクエストしたら歌ってくれないかな。

ウォリス・バードの来日公演は11月6日(月)19:30より、吉祥寺のStar PIne's Cafeにて。またあの元気な歌声が聞けるよ! 詳細はこちら。


2017年10月21日土曜日

高野秀行「アジア新聞屋台村」を読みました。いや〜 最高!!


いや〜、今回も素晴らしい。高野さんの本は本当に読み終わった温かい気持ちになれる。「ワセダ三畳」とか好きな人だったら、是非こちらも読む事をお薦めします。「アジア新聞屋台村」

「これどう考えてもノン・フィクションでしょ?」と思うのだが,一応フィクションという設定。でも絶対にノン・フィクションだ、これは。あいかわらず登場するタカノ青年。タカノさんの「実はノン・フィクションなフィクション」は好きだ。「ワセダ三畳」は本当に大傑作だし、「またやぶけの夕焼け」とかも、どれもすごく良い。高野さんは、人をみる視線が最高にあったかいんだよね。読後感の爽やかさが、ハンパない。これも間違いなくそのうちの1冊ですよ。高野ファンを裏切ることが絶対にない。「この本を読んで,本当に良かった」と感じさせてくれる。これはホントにゆるぎない信頼の高野ブランドだ。

お話はこんな感じ。早稲田に潜伏するライター、タカノ青年のところに「エイリアン」から原稿依頼の電話がかかってくる。原稿のサイズをcm x cmで表現するきてれつな外国人編集員。とりあえず会って話しましょう、となった「エイジアン」の打ち合わせで、タカノ青年はこの編集部のはちゃめちゃな文化にビックリしながらも、その底なしの魅力にひかれていくのであった…。

文章のそこここに見えるその国の特徴や国民性、そしてその国の歴史や背景など知っているようで知らないアジアの実態がリアルである。 そして日本に来ている「実は良家のボンやお嬢様」たちの奮闘ぶり。彼らの日本社会で生きるたくましさや、これはつかの間の自由だという寂しさや、あれこれ思いを馳せる。そして彼らのもつ生きる上での、しなやかさだ。しかし編集部で働く唯一の日本人として高野さん…いやタカノ青年にかかるストレスも相当だろうに、そこは独自のユーモアのセンスで乗り切る(というか、読んでて面白いので、悲惨さはあまり感じられない)。そして「あらっっ?❤」みたいな、ちょっとした恋バナもあったりして、最後の方になると野田さんというデキる日本人のチームが登場し、そこからの展開は最高に面白くグッと盛り上がったまま、一気に最後まで行ってしまった。

この本、読んでいて楽しいだけではない。タカノ青年の「タイ人気質」のタイ語版に関するエピソードも考えさせられたし、他にも、<ふつう、会社に欧米人がいれば彼らのほうが威張っている。いや、別に威張らなくても、彼らがぺらぺらと英語をしゃべるから、他の日本人が一生懸命に英語や気をつかう。自然と欧米人たちの態度はゆったりと大きくなる>みたいな記述や、<「他人からどう思われているか」がすべてな日本人>、<多くの日本人はいまだに英語が不得意>、<日本人同士は同質性のなかにわざわざ差異を探すのが得意だが、外国人同士は異質性のなかに共通項をさがしていく。そうせざるをえないからだ>みたいな超するどく厳しい指摘がそこここにあるのだ。優しい、柔らかい文章で、すらっと読めてしまうから嫌味をまったく感じさせないのだけど、ここには、めっちゃ大切なことがいっぱい書かれている。

最後、結末を言ってしまうとタカノ青年は編集部には戻らない。ここにいては物書きとしては限界が出てしまう、と思ったのだろうか。社長に子供が出来て、託児所うんぬんの下りは、さすがにノン・フィクションなんだろうか(笑)とか、謎は尽きないけど、この作品は「アヘン」のあと「西南シルクロード」の前に書かれたようだから、ここでの決断が、あの世紀の傑作の旅へとつながっていくわけだ。それを思うと、さらに感慨深い。うーん,素晴らしいわ、やっぱ。さて次の高野本は、何を読もうかな〜


ウォリス・バードの来日までもうすぐ! 「An idea about Mary」

セカンド・アルバムでもっとも好きなのはこの曲! こういう低めの声から始まって、シャウトに持っていくのはウォリスの得意技。 あまり言われないことだけど、彼女はヴォーカルのコントロールがすごく上手い。自由にやっているように見えて、がっつり細部まで、息を抜くタイミングまで本当に完璧だ。すごいシンガーだと思う。



このライヴ映像、大好きで結構前からシェアしてた。なぜか最後が尻切れとんぼ…



Oh lover I am so empty...っていうサビがいいよね。
こちらはラジオでの演奏。



ウォリス・バード、来日公演はもうすぐ。11月6日(月)19:30〜 Star Pine's Cafeにて。詳細はここ。

2017年10月20日金曜日

ラティーナ11月号にフォルデ・フェスティバルのレポート、カルデミンミットのインタビュー記事を掲載していただきました。

ラティーナさんの11月号に、7月に行ったフォルデ・フェスティバル(ノルウェー)のレポートを掲載していただきました。ありがとうございます!

トップページは、もちろんウーロフ・ヨハンソン(ヴェーセン)とオーケストラ!!!



紙面の都合で全部は載せられなかったけど、それでも頑張って書いた。みんなを応援するために〜 頑張ったよー 

嬉し恥ずかしの合計3ページ。書店もしくはタワーレコードなどでお買い求めの上、是非読んでくださいね〜。アマゾンでも買えます。下にリンクはっておきます。










あとこちらはハーモニーフィールズさんの応援で来日するカルデミンミットのインタビュー記事。こちらは論文の取材でプライベートで来日していたアンナを捕まえてインタビューしたもの。


なんとわたくし、初のインタビュー記事です!!! 嬉しすぎる!! アンナ、ハーモニーフィールズさん、編集部さん、本当にありがとう。一生の思い出にします… っていうか,写真が可愛いとページも栄えるよねぇ。ちなみにインタビュー内容もすごくいいんですよ。 カルデミンミットの来日の詳細はこちらへ。

ラティーナはAMAZONでも購入できます〜。他にも没後20年だというフェラ・クティの酒井透さんの写真とか、松山晋也さんのチーフタンズのパディ・モローニのインタビューとかも掲載されていて充実の1冊です。是非お買い求めください。

ウォリス・バードの来日までもうすぐ! 「To My Bones」

ウォリスの曲でもひときわ思い入れのある曲「To My Bones」。こちらがオフィシャルのプロモ映像。



というのも、私が初めてウォリスを「いいなぁ、いつか呼びたいなぁ」と思った映像がこれだから。このギターと圧倒的なパワーにやられてしまった。当時ダブリンでスタートしたばかりのバルコニーTV。



ラジオでの演奏。なんというか超ポジティブ・ソング。ドライヴしていくギターがかっこいい。 最後に照れたように笑って肩をすくめるところが可愛い。



昨年のオーストラリアツアーでのアマンダ・パーマー撮影のこの動画もいいね!



あ〜 ウォリス、早く来ないかな〜 楽しみ! 最近天気も悪いし、寒いし、クサクサしてるんだよ、みんな。お願いだから、オレたちにパワーを与えてくれ! 来日公演は11月6日(月)19:30より Star Pine's Cafeにて。情報はこちら。



来日までもうすぐ!:チーフタンズ物語 (12)

(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)からの続きになります。

79年、チーフタンズにとって忘れられないイベントが行われます。ローマ法王の前でなんと130万人の観客とローマ法王の前で国の代表として演奏することになったのです。しかもテレビを通じて何千万の人びとが自分たちを見ていると思うと、その緊張もひとしおでした。いつも大らかなマーティンでさえも、この日は緊張のあまり法王と話をすることが出来なかったそうです。

マットが加入するとチーフタンズには新鮮な風が吹き、また新たな時代の幕開けを感じたとパディは言います。マットもバンドの中にとけ込んで行きました。

マットの言葉。「パディのおかげでバンドはかなりうまく組織されていることが分かったな」またバンドのプライバシーの対する距離の取り方にもびっくりしたそうです。カーネギーホールの公演の前にニューヨークで2日間オフがあったのだけど、その間マットに連絡してきたのは誰もいなかったのだそうで「おれたちが泊まったのは素敵な昔ながらのホテルだった。でもそのオフの2日間、おれが生きているのか死んでいるのかも誰もわからないじゃないか」とマットは驚きを隠せません(笑)

デレクは「ツアーは本当に正気の沙汰ではないんです。まるで家畜の群れのように飛行機で次の街まで運ばれていきます。それを3週間も続ければ、気がへんになって当然ですよ」と話します。一方でツアーに出て一番幸せなのは,実はマーティン・フェイ。「幸いなことに私は旅が好きなんだ」とたばこを吹かしながら、のんびりと話します。いいなぁ、おおらかなマーティン。

そうそう、バンドの中で唯一の喫煙者マーティンは来日してもメンバーの楽屋ではなく、プランクトンの川島さんや落合さんのいるスタッフ部屋にやってきて良くタバコをすっていました。2人とマーティンはとっても仲良しで、とっても楽しそうだった…。今ではチーフタンズの楽屋は徹底禁煙。楽屋から何から灰皿もすべて撤去しないといけないので大変なんですが、90年代のチーフタンズはそんな感じでした。その後、マーティンは残念ながら2012年に亡くなってしまいます。ご冥福をお祈りいたします。天国で好きなだけプカプカしてくださいね!

さて話をまたチーフタンズの歴史に戻すと、チーフタンズは再び次なる作品の制作に取りかかります。ここで登場するのが、エンジニアのブライアン・マスターソン!! アイルランドNO1のサウンド・エンジニアです。写真がないかな…と思ってネットを探しまわったら、若い時のが出て来た(笑) 今、ブライアンはアヌーナのエンジニアとしても有名ですね。先日の「鷹姫」の時、オーチャードホールで素晴らしい仕事を披露してくれましたが(私もそこで初めて一緒にお仕事しました)ホントに素晴らしい人です。

ブライアンをエンジニアに迎えたチーフタンズは「Boil The Breakfast Early (The Chieftains 9)」の制作に取りかかります。この作品はマットとケヴィンを大きくフィーチャーした作品になります。チーフタンズは80年代に向けて新たな1歩を踏み出したのでした。

マットがフィーチャーされたこれなんか最初の2分、まるでルナサみたい❤ 



そして80年代。それは誰にとっても、この人の死で始まります。80年12月、ポール・マッカートニーはパディに電話してきた「レインクラウド」という新しい歌のためにイーリアン・パイプのトラックを録音してくれないかと頼んできます。これは「エボニー&アイボリー」のB面になる曲でした。実はこの日、パディは旧友のガレクの結婚式に出席予定でしたが、相手がマッカートニーでは断るわけにもいきません。そんなわけで8日の早朝、ロンドンへ飛ぶ最初の飛行機の乗ったパディは、ジョン・レノンがニューヨークのセントラル・パークで打たれた、というニュースを聞きます。 パディが73年に「チーフタンズ3」を録音したエア・スタジオにやってくるとジョージ・マーティンはすでにそこにおり「僕らはただそこに座りこんでジョンが殺されたことは恐ろしい事だと話したりしていたよ。そしてジョージ・マーティンが歌の途中に入れるための僕の演奏16小節を録音した」

「その時ポールが入ってきたんだが、彼はひどい状態だった。ポールが言うには朝から報道関係者が家をとりまいて家にいるとあまりにしつこいので抜け出してきたんだと話していた」「僕らはジョンのことをおしゃべりした。そのうちリンダが入ってきて、泣いていたのを覚えているよ。それはそれは何とも言えなかったな。その頃には大勢のミュージシャンやポールの友人たちがスタジオにやってきた」
 「後になってジョンが殺された直後にスタジオ入りしたポールに異常だと言う人がいたが、じゃあ他にいったいどうしようがあったっていうんだ」

一方ガレクの盛大な結婚式は翌年まで延期され、パディは「ガレクの結婚」という曲を録音して曲を結婚式で流したそう。(この曲は「The Chieftains 10」に収録されています)



そしてこの曲を取り上げ始めたのもこの時。「Cotton Eyed Joe」アメリカのカントリー・ミュージック。こちらはリッキー・スギャックスとのトラック。



アメリカのツアー先のジューク・ボックスで初めて「Cotton Eyed Joe」を聞いたパディは自分の耳が信じられなかったといます。古い伝統曲のアイリッシュ・リール「Mountain Top」に似ているだけではなく、子供のころ祖母が歌っていた「父さんのシャツを洗ったかい」にも似ていたから。「あの2つが同じ曲で、アイルランドから海を渡ったものの1つらしいことはすぐわかった。それを聴いてから僕はすばやくアレンジしてデレクにピアノで弾かせた。そしてその晩のコンサートで演奏したのさ」演奏が大受けだったのは言うまでもありません。そしてアメリカから戻って1週間後、チーフタンズはこの曲を録音するわけです。アメリカとアイルランドのリンク! 太平洋がつながった。

80年代になるとパディはだいぶチーフタンズの運営にもリラックスするようになってきました。そしてその夏、UB40、スクイーズ(スクイーズ!ですよ/笑)、ポリスといったイングランドのグループが出演するアイルランドのフェスティバル(マイルス・コープランドのプロダクションだったんでしょうか…)に参加したチーフタンズはそこでスティングとセッションすることになります。パディのティン・ホイッスルに、すぐスティングは古いハープシコードで応戦し始めたんだって。古いバッハやモーツアルトを引き出したスティングにパディも負けじとホイッスルで応戦。そしてそこにスチュワート・コープランドやアンディ・サマーズも加わったそうで、あまりにセッションがもりあがってポリスは次のツアー先に飛ぶのも忘れ、気づいた時にはスティングの泊まる部屋がなかった(爆)

パディの娘のエイディーンは自分はパパの部屋に泊まりスティングに自分の部屋をゆずったそうで、そのことを新聞に書いたら、気をきかせたつもりの編集者が「私のベットで寝たスティング」というタイトルを付けたのだそう(笑)

81年になるとチーフタンズは「フランス人の年」とテレビシリーズの音楽をRTE交響楽団と手がけます。そしてデレクの「Playing with himself(デレク・ベルのひとり遊び)」もリリースされました。(これ日本語タイトル、この本で訳を担当した大島さんが付けたのかな? 上手いな〜)

このタイトルっていたずら好きのガレクが考えたんだって… デレクいわく「冗談だと思ったんだけど、僕が笑ったのをガレクはOKと取ったようです」とのこと。デレクは「尼さんは誰もこのレコードを買わないでしょうね。僕はいつも修道女の人たちに人気があるんですが」と話している。

このジョーク、分かります? これマスターベーションのことを言っているんです。そういうったことを想像させる卑猥なタイトル。デレクいわく「『デレクベル八種の楽器のひとり遊び』というタイトルも候補にあがったんですが、どうも気に入らなくて、もとの方が響きがいいんですよ」

この頃のチーフタンズの演奏。81年ケンブリッジ・フォーク・フェスティバルにて。



こんな風に常に仕事中毒のパディだったけれども、その年のクリスマスはやっとゆっくり休めたんだって。ミサに出かけ、ゆっくりと家族だけですごす。そして伝統に従い、サンタクロースのために夜、ビスケットとスタウトを用意して眠るのだそうです。サンタクロースは「サンティ」と呼ばれモローニ家では、今だにその存在が強く信じられているらしい。

83年の夏にはダブリン郊外のスレイン城で83,000人を集めたストーンズの公演の前座をチーフタンズが勤めます。このときのツアーの前座は基本J・ガイルズ・バンドだったけど、この日だけはチーフタンズの伝統音楽で幕をあけたいとミック・ジャガーが強く望んだのだそう。ケヴィンはチャーリー・ワッツにバウロンをプレゼントしたという。チャーリーは数年後お礼にバードウォッチングドの本をケヴィンに送ってよこしたんだって。「チャーリーはとことん紳士だよ」とケヴィンは言います。「でもまだバウロンのコツはつかめないみたいだ」

マットはストーンズはデビューした当時からファンだったそうなので、すごく興奮したそうです。大盛り上がりのチーフタンズの前座をパディは「コットンアイドジョー」でしめると、ストーンズのステージ袖でフィル・ライノットと一緒にウィスキーを飲みながら音楽を楽しんだそう。2人はダブリンの音楽仲間だった。この数日後、フィルは薬物の過剰摂取で悲劇的な死をとげるのですが…。「フィルにあったのはあれが最後だったな…」

その数週間後、リスドンヴァーナ・フェスに呼ばれたジャクソン・ブラウンはついに憧れのチーフタンズと直接会う機会に恵まれたのでした。ちょうど「孤独なランナー」がヒットしていた時期。「パディと僕はついにリスドンヴァーナで会うことが出来た」「僕らは[鳥とゆりかご] という歌、あれは古いアイルランドの伝統歌だと思うのだけど、それをぼくら風にアレンジしてやったんだ」そしてジャクソンはパディをこれからやるハマースミスでの公演に誘います。「面白いことにパディが参加するのはたいていのミュージシャンが参加するという事とはレベルが違うんだ。パディは伝統音楽の膨大なレパートリーをもっていて、あれはただジャムってるというのではないと思うのだが、伝統的なメロディをコンテンポラリーな音楽にいくらでもあてはめることができるんだ」「パディはものすごいエネルギーをもっているし、ユーモアのセンスもすばらしい。とんでもない推進力がある。ほんとうによく働く。いっしょにいると実に楽しい」

そしてこの年、パディはギネスのテレビ広告キャンペーンにも着手します。そしていよいよ83年、歴史に残るすごいプロジェクトが始まるのです。それが「チーフタンズ・イン・チャイナ」いよいよ西側のバンドとしては初めての中国へ進出です!

(13)に続く。


チーフタンズ来日公演の詳細はこちら。

11/23(祝)所沢市民文化センターミューズ アークホール
11/25(土)びわ湖ホール
11/26(日)兵庫芸術文化センター
11/27(月)Zepp Nagoya
11/30(木)Bunkamura オーチャードホール 
12/2(土)長野市芸術館メインホール
12/3(日)よこすか芸術劇場
12/8(金)オリンパスホール八王子
12/9(土)すみだトリフォニー大ホール