好かれるためにはいい奴でいる必要はまったくない

2人ともこのアメ好きだったよなぁ。若い男の子は食べものに関して保守的なんだ。10年くらい前のラウーなんてなのは珍しい例で…。そして、なんだかんだいってドイツなんだよな、あのヘンの国は…

実はバルトロメイ・ビットマンをいまだに引きずっている。こんなに引きずるのは久しぶりだ。もう2週間たったのに。普通はどんなツアーでも1週間で克服するのだが…

そして帰られてしまうと、優しくて紳士のマティアスより口の悪いやんちゃ坊主のクレメンスの方がいなくて寂しくなるんだから不思議なもんだ…。奴があぁ言ったら、こう言った、ホントいやな奴だったよな…みたいなものを反芻しながら、何度も彼がいない寂しさを確認してしまう。

と思っていたら、今朝は珍しく起きる前に妙な夢を見てしまい(普段あまり夢などみないでパッチリさっぱり起きるのだけど…)そこで何が起こったかというと、ノルウェーの海のところにあるみたいな巨大な音楽ホールにつながる広場みたいなところで、あっ、チェロ持った人がいるなと思って目で追いかけたら、それはマティアスで、でもなんだか忙しそうだったから私は話しかけることが出来ず、そのまま彼は同じオーケストラのメンバーであろう友人たちに囲まれながら去ってしまう…というもの。で、その夢を見終わったあと、ガクーーーーンと、まためっきり落込んでしまった。

良くなかったのは前の晩、友達とご飯してて2人の来日のことを聞かれ、そうやって人に話しながらも自分の気持ちを確認してしまったところにある。2人がどんなに頑張り屋さんか、2人がどんなに可愛いか、2人がどんなに素敵か… 人に話しながら,自分の気持ちを確認してしまったんだね。あーあ… 早く忘れなくちゃと思っていたのに。

これを克服する方法は、実は簡単なんだ。知ってんだ、どうやれば自分が簡単に立ち直れるか。それは次のツアーをブッキングすることだ。が、この厳しいご時世、それは簡単には出来ない。いや、でも私が決めれば、それは大変だろうが、地獄だろうが、間違いなくコミットされる。

最近仕事で大事なのはコミット力だと強く思う。コミット力。自分で「これをやる」って決める力だ。それがない人はどんなに頭がよくて仕事が出来ても、いつまでたっても何もできない。決める人は、どんなに失敗しても周りからバカだと思われようと実績を残しながら前に進んで行く。それだけの話。自分は後者でありたい。

しかしマティアスはともかくクレメンスのことを思い出すにつけ、人に好かれるのにいい人である必要はまったくないんだよな、と思うんだよな。面白いことに。

また同時に最近かかわっている仕事で、あまりにいろんな人たちが牽制していて何も決まらないので、久しぶりに爆弾発言をしてみたり…。いいや、ここで嫌われても、と。それより仕事が出来ない奴だと思われる方が、私にとってははるかに苦痛だ。そしてこの仕事が上手く行かない事の方がまったく致命的だ。そういうことを分かってくれる友達は別にいるんだし、このメンバーの中であえて好かれるような努力をする必要はまったくないわ…と判断したのだ。それより係っている人全員が、きっちりと満足感を得られるよう、努力することが大事なんです。それを世間では仕事と言うんですよ。

さぁ、気がつけば今日は月曜日じゃないですか! 今日も張り切って行きましょう!!

PS
とか書いてたら,佐々木俊尚さんの朝キュレにこんなBlogが。
「尊敬の定義は「わたしに持っていない何かを持っていて、その何かに自分が共鳴し、強烈に惹かれている状態」である」だって。まさに!!  そう「イケ好かなくても、めちゃくちゃ尊敬している人だったら、積極的に一緒に時間をすごしたい」なのよね… 響くわぁ。