井狩春男『返品のない月曜日』を読みました

いや〜、良い本でした。先日、高野さんと清水先生のトークイベントで訪れた東京堂書店で平積みされていたんだよね。それもそのはず、東京堂書店限定復刊なのだ、これ。ここでしか買えない。素敵な本、そして本屋さんだから、是非近くに行ったら皆さん、寄ってみて。

出版社と書店の間に存在する「卸し」の存在を知っている人はどのくらいいるのだろうか。たとえばウチのCDもそうなんだけど、CDをCDショップで売るために1枚ずつ宅配便で送っていたりしていては流通が滞ってしまう。それを取りまとめるのがディストリビューター、本で言うところの取次なわけだ。

まぁ、ボリュームあってのビジネスともいえる。よく日本のこういう問屋ビジネスは独特で、外国人が参入してくる時に理解されない、とも聞く。確かにそうかもしれない。 私も正直、積極的に売ってもらえるわけでもない、客注しか入らないようなアイテムなのに、単に間に存在していくだけで数パーセントとって行く彼らの存在を疎ましく思わないことがないでもない。でもこれが日本のシステムなのだ。

そんな「取次」で、80年代、本の紹介のための「日刊まるすニュース」という手書き新聞を長年出し続けた鈴木書店の井狩さんのエッセイである。

本もCDも愛情のバケツ・リレーであると思う。ミュージシャン/作家が素晴らしい音楽を愛情を持って作る。レコ社/出版社がそれを愛情を持って発売する。それをディストリビューター/取次が愛情を持って新譜情報を発行し、全国のCDショップ/書店に情報を流し、愛情を持って注文を受けては出荷していくのだ。途中でやる気のない人が存在すれば、例えばウチのような音楽を紹介しているレーベルなどに存在価値はない、CDショップはウチのような商品を売らなくても、商売には支障はない。それはディストリビューターだって同じだ。ウチの商品を取り扱わなくてはいけない理由は1つもない。バケツの水をこぼしている人が途中にいれば、作品の命はそこで途絶えてしまうのだ。

さて,この本。間違いなく言えるのは本が好きな人は、この本のことも好きになるね、という事だ。本のいいところがすべて詰まったような本だったよ。ここに書かれている、ちょっとしたエピソードに、本好きは皆、間違いなく心を震わせるだろう。

流通の仕組みを知らない人がそもそも多いだろうから、そういう話を聞くことはもちろん、例えば紙のサイズ。A判、B判の由来の話や(B判が日本独自だって始めて知った。外国人相手にB4とか言ってかも、オレ!)あと、出版社の社名の由来や(「平凡社」は、社長夫人の「平凡なのがいいんじゃない?」のひと言で決まったとか)、古い雑誌は断裁され再生紙になるという話から「再生紙には一種独特の憂鬱さ(多くの活字が眠っているせいか)があって、ボクは大好きである」みたいな表現もあり、うーん、いいなぁ、と思う。当時は、まだ再生紙の割合も少なかったのかもしれない。多くの活字が再生紙の向こうに眠っているなんて考え方、そしてそれを「憂鬱」と言えてしまう著者のセンスは、ホントに素敵だ。

正直、今の時代に読むには多少牧歌的すぎる部分はあるかもしれないとは思う。私もこんな風にユルめに仕事をしながら、千葉の3LDKの部屋から通勤しながら、子供と一緒の平和な毎日を過ごし、本をのんびり読むような生活が出来たら、それだけで大満足かもなぁと思ったり,思わなかったり…。まぁ、でも時代が違うっちゃ違うよね。それになんだかんだで自分はどんなにマイクロ商売でも勝負できる、インターネット黎明期にビジネス立ち上げて良かったも思っているし。80年代だったら競争の土俵にすらあがってないと思うから… とはいえ、本の仕事をしている人にはこのくらい余裕がないとダメだ。カリカリピリピリしている経営者はそこを「ぐっとやせ我慢」して見守らないといけない。なんたって、これは文化の仕事、愛情のバケツ・リレーな仕事なわけですから。同じことがレコード店にも言えるので、いろいろ考えるんだよな。

で、井狩さんって、会社を退社をした後、他にもたくさん本出しているのね。

書店といえば、最近話題のこちらも注目。

続きであるこちらもすごいので是非一読を。しかしレコード店もみんな同じノリではあるよな。マネジメントの人間は、ビジネスが厳しいものだから、小さな権力手にいれて、それを振りかざし、ヒエラルキーの下にいる人間をなんとか簡単に合理的に管理しようとする。レコード店も親会社がころころ変わったり、みんな大変だろうと想像する。特に著作権の下りはとくに「ありえん」と思ったよ。単なる意地悪としか思えない。あ、あと、この方のにゃわらはすごいから、是非一度チェックしてみて。

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そもそも文化の仕事は儲らないのだ。儲らないし面倒くさい。儲けたいなら、儲る仕事をした方がいい。あまり叩かれては本部の人や、マネジメントの人が可哀想にも思うのだが、まずはそこを理解しないと文化の仕事はやっていけないと思う。