bar clear all


2018年5月14日月曜日

田舎と都会の貧富の差

ちょっと前に話題になったこれ。

その後、この投稿にあれこれ反論する意見もネット上で見掛けた。たしかにデータうんぬんは残念だと思うが、概ね、私は上の投稿に同意していた。自分の実感にすごく近かったからだ。そして数日前に佐々木さんが投稿してらしたこれ…

いや〜めっちゃ分かる。私の実家は千葉の九十九里浜近くにあるのだが、あそこに住んでいる人間ですら東京に行かない人は絶対に行かないで、地元のジャスコに行く。いや東京が何といっているわけではないのだが、ウチの田舎には映画館はないし、コンサート会場は隣町にあるが、そこには演歌歌手くらいしかやってこない。本屋は1件あったけど、とっくに潰れた。レコード店は電気屋が併設していたが、そこも私が高校の時につぶれた。

時たま自分の実家に戻り、親戚に会い、彼らの生活スタイルの違いにびっくりしてしまう。彼らは外食といえば、チェーン店のどこにでもあるお店にしかいかず、個人が経営している素敵なお店やカフェなどの存在すら知らないし、知ろうともしない。(でも時々、千葉の田舎の素敵な店、というのをテレビや雑誌で見るから、ちょっと車を出せば、たぶん素敵な個人店もあるはずなのだ。ただそういうところは地元の人たちに知られておらず、都会からわざわざ来てくれるお客さんで成り立っていたりもする)

そのくせ、結構使えるお金は持っていたりする…。ちなみに私は二人姉妹で、妹は家族を持って地元に留まっているのだが、向こうも自分の姉は結婚もしないでプラプラしていて可哀想だと思っているらしい。(ただ海外に行くことは無条件で評価が高い。そんなの金と暇さえあれば誰でもできる事だって!)

妹の車の中でマライヤ・キャリーのCDを発見した時は「そうか、100万枚の洋楽ヒットって、この層まで到達するんだ」と感心したものだ。(ちなみにウチの妹は、普段は、永ちゃんとか聞いてる。かなりのマイルドヤンキーです。もしかしたら自民党に投票しているかも…。ぞぞお…)かと思うと学校の先生を退職した父は高齢にも係らず月に一度はかならず東京に行き、娘を呼び出すこともなく岩波ホールで1人で映画を見て神保町で本を買って帰ってくるらしい。 妹は基本的に嫁に出ているので、両親とは一緒には暮らしていないのだが、家族の中ですらこれだけの分断がある。すごい。

そして東京に住んでいる人も、様々だ。 大学時代の友人で田舎から出て来て、4年間同じ大学に行ったのにも係らず「すごいなぁ、のっち(大学時代の友人は私をこう呼ぶ)は、自分で仕事して食べてるんでしょう?」と言う女友達もいる。彼女にしてみたら、自分で稼いで、働いて、生活を回すということ事態が信じられないらしい。しかし自分で食べていかなくて、いったい誰が食べさせてくれるのか? でもそういうふうに思う人もいるのだ。彼女は子供のころは親に食べさせてもらい、大人になってからは旦那に食べさせてもらい、それが当然と思って生きている。彼女は都内北西部で旦那が建ててくれた一軒家に住み、時々バイトをし、滅多に都心には出てこない。こんなに楽しくて美味しいものがいっぱいある東京に住んでいるというのに! うーん,この分断はすごい。

だからこそ地方で、例えばウチみたいな分りにくい音楽をプロモーションして頑張っている方には頭がさがる。そういう人は文化のギャップを埋めようとしてくれているんだろう。私もそういう仕事をしなくちゃ、と思う。いつだったかイシグロも言ってた世界の分断を埋める仕事。そういう人たちが集まって,今回フルックの全国公演が決まった。本当にありがたいことだ。でもホントにイバラの路だと思う。本当にどうぞよろしくお願いいたします!

全然話しは変わるが、前にもここに書いたのだけど、某文化関係者が集まる勉強会で、第2次大戦中に戦火にやられる町で、それでも人々は爆弾が落ちて来る恐怖におののきながらも演奏会を聴きに集まった、という話が出た事があった。その時に「こういった人たちを命のリスクがある中でコンサート会場に集めているものはいったい何だろう」という話になった。そのとき、出た答えが「過去の素晴らしい音楽体験」だった。過去の素晴らしい音楽体験が一度でもあれば、人はそれを忘れない。が、それをこちらから「与えよう」などとはおこがましいこと。これはリスナー一人一人、自分で発見してもらうしかないわけで…。 一生に一度でいいのだ。心を震わすすごい音楽体験があれば。それで一生行きていける…とはよく言ったもので、人々はその音楽を求めて再びコンサート会場に集まる。そういう事なのだ。反対に言えば、人間は体験していないことを想像するのは、とても難しい。

すごく前の話だけど、こんなお手紙を学校公演の終わりにいただいた事がある。 くださったのはおばあちゃんというには若い、でも私よりだいぶ年上の女性。この時の学校講演は、演奏のあとに地元の人とのQ&Aもあり、皆さんと交流する時間があったのだけど「私はあぁいうところで発言するような人間ではないから」と私の手をにぎり「アーティストさんに伝えてください」と言って渡してくれたものだ。Q&Aでは、田舎のお父さんやお母さんで素朴な質問ばかりで、その女性を萎縮させるようなことはなかったと思うだが、彼女は自分で手をあげることが恥ずかしくて出来なかったのだろう。

ハラール・ハウゴーの演奏。遠くまで行って良かった、と思う瞬間。このメモは壁にいつも貼ってある。彼女はおそらく普段は自分の家族のために家を守り、ご飯を作り、今日は近所の学校で行なわれるオープンキャンパス的なイベントにたまたまやってきたのだろう。普段コンサートに行くようなライフスタイルを営んではいないかもしれない。でもそういう人にも、こうやって伝わるんだよな。

そしてそういう時。地元の公共の文化団体や学校のオープンキャンパスみたいな場所はホントに重要だと思う。ウチの看板じゃ、いきなりこんな風にハードルをさげることはほぼ不可能だ。



ハラール元気かなぁ〜。そういや来年呼ぶポーランドのバンドのホイッスル奏者がハラールと仲良しで、先月はデンマーク、ドイツを中心に一緒にツアーしてたみたい。ホントすべてはつながっている。