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2017年11月10日金曜日

来日までもうすぐ!:チーフタンズ物語 (18)

(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)(12)(13)(14)(15)(16)(17) からの続きです。


そしてチーフタンズはローリング・ストーンズとこのレコーディングしたわけですが…。ホントに構想ン年。ガレクの家でストーンズの連中がチーフタンズの音楽と出会ってから何年たったことでしょう。素晴らしいですよね!



さてそのレコーディングの様子とは… パディにちょっと話してもらいましょうか…。

相手は大物のローリングストーンズ。もちろん事前にテープや歌詞を用意したものの、わざわざそれを聞いたり歌詞を覚えようとした者は誰もいなかったそうです。「当然、一発勝負になるのは分かっていたよ」とパディ。「酔っぱらっていたかって? 向こうは専用のバーを持ち込んでいたし、こちらもギネスをしこたま用意した。まるでパーティのような状況だったんだ」

ミックは真っ先に午後5時にスタジオにやってきたそうで、他のメンバーがあらわれないのを心配したパディはダブリン郊外のロン・ウッドの家にバスを送ったそうです。そして土壇場になってこの録音にジーン・バトラーのステップをいれようと思い立ち、ジーンを捜索してエンジニアのブライアンが街へ自分の車を走らせます。ブライアンがジーンを連れて戻るとスタジオは本格的なパーティ会場と化していたのでした。

真夜中になってもまだ一音も取れないまま時間がすぎていきます。しかし… 真夜中に突然レコーディングが始まりました。誰も歌詞を覚えていなかったので、ケヴィンがうたい、他の全員がコーラスで声をあわせました。パディの指示で、キースがサティスファクションのリフを演奏します。キースはまったく理解していないまま、言われるままにギターを演奏したのだそうです。しかしこの時ばかりは、さすがのパディも録音セッションを完全に掌握してはいなかった、とのちに認めています。「みんなここに来たら,僕が頷くからフェイド・アウトしてくれな、と指示したのに、連中は何も聞いてやしない。仕方がないから(エンジニアが)フェイド・アウトをかけたのさ」

朝の2時、チーフタンズとガレクはストーンズの一行を街のリリーズ・ボルデリオというクラブ(ここ、ダブリンの会員制の高級クラブで、私もドーナルに一度連れて行ってもらったことがある!! セレブしか入れないんだって)に案内すると、そこではなんとアルタンが「アイランド・エンジェル」のリリース・パーティをやってたんだって。そこでチーフタンズとアルタンとともなってセッションになり、この日のリリーズは大変な盛り上がりになったそう。「朝の3時ごろキースが僕の肩に手を回して言うんだ“なぁ、パディ、日が終っても音楽は音楽でミュージシャンはミュージシャンで、それだけが大事ってことよ”」そして3つの音楽集団はそのままフェリーマンという伝統音楽バーに向ったのでした。すごいね…チーフタンズ、アルタン、そしてストーンズ(笑)そこで夜明けをみたそうです。「皺だらけのロッカーたちはあの年にしては見上げたスタミナを示した」とのちに新聞は報じます。

話はそれますが…アルタンの「アイランド・エンジェル」あれはすごいアルバムですよ。モレート・ニ・ウィニーとフランキー・ケネディの夫婦で始めたバンド、アルタン。この作品を作った時、フランキーは癌におかされもう長くないのが分っていた。それが分っていて録音したすごい作品です。93年、アイルランド音楽はホントに凄かった。



話をチーフタンズに戻します。

11月、日本に行く途中でチーフタンズははロンドンに立ち寄りマーク・ノップラーとともに「リリー・オブ・ザ・ウェスト」を録音します。もともとの計画ではインストを録音する予定だったのですが、パディがこの曲の古いヴァージョンを聞かせるとノップラーは自分がロンドンのフォーククラブで歌っていた頃を思い出します。「実に自然なことだった」とノップラーは言います。そしてノップラーの友人でもあるポール・ブレイディが呼ばれ(ポール・ブレイディ!!/笑)、彼の「Lakes of Ponchartrain」のメロディとギター演奏でこの曲を録音することになったのでした。「マーク・ノップラーは、生まれながらのバラッド・シンガーだ」とパディも感動したんだって。パディの音楽に対するエネルギーはすごい、とノップラーも語ります。「次に何を思いつくのか全然予想がつかない。ベルリンの壁が崩潰した時、彼があの上で演奏してなかったのはまったく驚きだ」

そして12月、クリスマスの全米ツアーでチーフタンズはロサンゼルスを訪れていました。パディはゲイルに電話をかけ、ザッパに会える段取りをつけてもらえないか頼んだのですが、非常に彼は具合が悪いと聞かされます。でも日曜日のお昼にランチを食べに来なさい、ということになり電話を切ったパディ。「僕らが行く前日にフランクは死んだんだ」「悲しいニュースはきいたんだが、それでも行こうと決めた」。一行が家につくとパディと一行はゲイルとその息子たちにお悔やみを言うと、ザッパのスタジオで1曲録音したんだそうです。「フランクのために演奏したい短い曲があるんだ」と。その曲の真ん中でデレクがフランクの曲の断片をピアノで弾きます。

ザッパの最後の数ヶ月、チーフタンズはとても大きな影響をザッパに与えた、とゲイルは言います。「私はあの人たち全員に感謝しています。音楽を通じて始まった友情が音楽の範疇をこえてゆくのは、他のどんなものも超越するものなのね。驚くほかないわ」フランクの意志により、葬儀ではケヴィン・コネフの「グリーン・フィールズ・オブ・アメリカ」が流されたのだそうです。「そのことはぼくがこれまでもらった中で最大の褒め言葉の1つだよ」とケヴィンは言います。「ゲイルから聞いたんだけど、亡くなる前の数週間、彼はあの歌のあの録音をよく聞いていたのだそうだ。それに蛇尾にふす儀式のときにも使われた曲の1つ だったそうだ。僕の人生で最高の賛辞をくれたのはフランク・ザッパとウイリー・クランシーとシェイマス・エニスだ。3人とも僕がもっとも調子がいい時に聞いてくれたに違いないんだけどね…」

そして94年2月。チーフタンズは再びヴァンと「Have I told you lately」を録音します。パディはヴァンに何か伝統曲を歌ってもらいたかったのだけど、ロッド・スチュワートのヒットが気に入らず怒りくるっていたヴァンはこの曲を再録音するのだ、と言い張ったそうです。さすが、Van being Van(笑)



そしてヴァンとのセッションの数日後、マリアンヌ・フェイスフルが「ラヴ・イズ・ティージン」をチーフタンズとともに録音したのでした。これも素敵なトラック。

マリアンヌいわく「チーフタンズはみんなとてもいい友だち。みんな大好き。特にデレクね。大騒ぎすることなんか1つもないの。ただプロとプロの仕事。ミュージシャン同士がうまくいくのってそれだと思うわ。まともなミュージシャンなら、チーフタンズと一緒にやってうまくいくのはもう当たり前だとパディは思っているのよ」

そしてパディはシネイド・オコナーのトラックにも着手しはじめます。シネイドは忘れかけていた伝統歌の世界に狂喜乱舞し、一時はアルバム1枚録ろう、と言ってたくらいだったそう。そして「She Moved Through the Fair」も候補にあがったものの最終的には「フォギー・デュー」で決定します。ものすごいテンションでレコーディングされたこの曲の存在感はアルバムの中でも際立っている、と、偶然レコーディングを目撃していたライ・クーダーも話しています。

そしてライ・クーダーとの録音「マラバーの岸辺」はなかなか困難を極めたのですが、パディが「南海の海みたいな雰囲気にしよう」とカリプソのリズムを加えたことで、録音は非常に上手くいったのだそうです。

3月1日、ちょうどツアー中のチーフタンズにチャールズ・カマーから電話が入ります。ケルティック・ハープが最優秀トラディショナル・フォーク・アルバムを受賞した、と。実はメンバーは前日の前夜祭には参加していたものの、まさか受賞するとは思わずツアーの次の場所へ飛んでしまっていたのでした。その受賞にはパディも本当に驚いたそうです。「人間そんなにほしがっちゃ、いけない」

そしてこの年にはジョニ・ミッチェルやボブ・ディランらとともに奈良の東大寺での企画公演に参加しています。これはユネスコから助成金を得た「グレイト・ミュージック・イクスペリエンス」という団体主催で全世界に放送されたものでした。ここでもチーフタンズはジョニ・ミッチェルの名曲「マグダレン・ランドリーズ(アイルランドの黒歴史とも言うべき女性強制収容修道院の歌)」に伴奏をつけて関係者をびっくりさせます。また楽屋では沖縄のミュージシャン(喜納昌吉&チャンブルーズ)ともセッションが楽しかったようで、のちの自分たちの日本ツアーで、アイルランドのミュージシャンとしては初の沖縄公演を成功させています。ここでも異なった音楽を結びつけてしまうパディとチーフタンズの柔軟さが発揮されていると言えるでしょう。後に「グレイト・ミュージック・イクスペリエンス」はどうだったかと聞かれてデレクは答えています。「派手なアーティストはたくさんいましたが、僕が思うに日本の女性たちは最高でしたね。とてもすてきに見えました」いいぞ、デレク!

6月、パディはスティグの自宅に電話をかけていました。その場で了解したスティングでしたが、なんとゲール語で歌う、と主張したんだそうです。(ある意味、さすがですよね、さすがスティング!)「あの時はオファーをもらってとても嬉しかった」とスティングは言います。「ただ家を離れられなかったのでイングランドでやろう、と提案したんだ」チーフタンズとスタッフはスティングのカントリーハウスにぞろぞろと乗り付けたのだそうです。当然のことながらスティングはお屋敷を案内してくれたのですが… デレクは百合の花の浮かぶ池にはまってしまった。(濡れた服はどうしたんでしょうねぇ…)あくまで笑えるエピソードを提供してくれるデレク(笑)

またスティングは自分の家の中プールサイドに設置した専用シェフによる豪華ランチをご馳走する、と言ってきかなかったそうで、一刻も早く録音をはじめたかったパディをやきもきさせます。「僕は気が気じゃなかったけど、食事を楽しんでる振りもしたさ…」

書斎のピアノの前に座ってスティングにゲール語を教え始めたパディですが、パディに寄ればスティングの歌詞の習得はものすごく早かったんだそうです。あっという間に歌詞を覚えてしまって、パディはホッと胸をなでおろします。それにスティングはしっかり予習もしていたらしい。さすが元学校のセンセ!(ストーンズの録音とだいぶ違う…笑)

スティングによると「ゲール語が分からなくてもそのことで歌唱に集中できないことはないんだ」と言う。すごいですね。確かにすごくナチュラルに響いてる。この[素早き戦士]はなんと2、3時間で録音を終えてしまいます。バンドはさらに将来の企画用にレナード・コーエンの「シスターズ・オブ・マーシー」をスティングと録音しました。

午後8時にセッションが終るころには、すっかり両者打ち解けていたそうです。「とても楽しいセショションだった。チーフタンズは優秀なバンドだ。彼らと一緒に歌えたことはぼくにとっては名誉なことだ」ロックスターたちの音楽的能力には簡単に感心しないデレクも「スティングは好きです」「彼には頭脳があり(ない人もいるからねぇ…/笑)、音楽家としての技量があり、何かはかり知れないものを持っています。歌もとても良かったです」と話しています。

さてこれは気づいていない人もいるかもしれないのだけど、ミック・ジャガーのトラックには実はボノがヴォーカルを重ねているんだって。ただ上手くいかないと判断したパディはボノの声を極限までしぼってデュエットという形にはしなかったそうで、ただボノのこの声は音楽に厚みをくわえている、とパディは話しています。「あの件ではボノも別に怒っていないし、僕らアイルランド人が一緒になれば何が良くて何がわるいかは自然と分かるんだ」

11月BMGはこのアルバムのタイトルをついに「ロング・ブラック・ベイル」と決めたが、パディはこの決定には反対だったといいます。「元々付いていたチーフタンズ&フレンズの方がアルバムのコンセプトを表していたし、レコード会社が発売を1月にしたのはクリスマス戦線を逃したという意味でまったく納得できない」と話しています。

さて音を聴いてみましょう。まずはマーク・ノップラーのトラック。



すみませんね、このトラックも貼らせてください(笑) マーク・ノップラーが参考にしたというポール・ブレイディのトラック。



続いてスティングのトラック。



シネイドのトラック。圧巻です。



いや〜ホントにすごいアルバムでした。「ロング・ブラック・ベイル」

次回(19)へ続く。


チーフタンズ来日公演の詳細はこちら。

11/23(祝)所沢市民文化センターミューズ アークホール
11/25(土)びわ湖ホール
11/26(日)兵庫芸術文化センター
11/27(月)Zepp Nagoya
11/30(木)Bunkamura オーチャードホール 
12/2(土)長野市芸術館メインホール
12/3(日)よこすか芸術劇場
12/8(金)オリンパスホール八王子
12/9(土)すみだトリフォニー大ホール